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歴史・人物伝~人物エピソードetc

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人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!「歴史・人物伝」マガジンでは、過去の連載コラムのほか、人物にまつわるちょっとしたエピソード、そのほか雑記コラム等をまとめていま…
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#上洛

歴史・人物伝の連載コラム まとめ読み一覧

歴史・人物伝で過去にコラムを連載し、○○編としてまとめたマガジンを整理・削除いたします。…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介③上洛を目指した今川義元と武田…

昨年から戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史…

歴史・人物伝~エピソード編⑬:朝倉義景(後編)「時代の先が読めなかった武将」

朝倉義景は、足利義昭を庇護していたのにもかかわらず、上洛を決断できませんでした。周囲の状…

歴史・人物伝~エピソード編⑫:朝倉義景(前編)「名門の戦国大名は『KY』だったの…

足利義昭を擁しての上洛を成功させた織田信長と、常に比較対象されているのが、越前(福井県)…

歴史・人物伝~新選組上洛編⑥会津藩お預かりに

幕府が組織した浪士組は清川八郎の策略にまんまとはまり、天皇の意をくんだ尊王攘夷集団に様変…

歴史・人物伝~新選組上洛編⑤清川八郎に異を唱える

不逞浪士たちから将軍を守ることを目的とし、清川八郎の献策を受けて幕府が組織した浪士組でし…

歴史・人物伝~新選組上洛編④ついに京の都に入る

江戸から中山道を進んでいた浪士組は、10数日かけて京に到着しました。幕府の管理下にあるとはいえ、物々しい武装集団がやって来たことを人々はどんな目で見ていたのでしょうか? 浪士組が荷を下ろしたのは京都市の南西部にあたる壬生村です。京都御所や祇園といった中心地からは遠い場所で、近藤勇らが故郷の多摩を思い浮かべるような郊外の散村だったようです。 一行は村内の郷士宅などに分宿し、近藤のグループは芹沢鴨のグループとともに八木邸と前川邸に滞在します。近藤と芹沢が同宿した理由はよく分か

歴史・人物伝~新選組上洛編③中山道を歩く浪士たち

京の治安維持のために幕府が組織した浪士組は、中山道を進んでいきます。途中には碓氷峠や和田…

歴史・人物伝~新選組上洛編②傍若無人な芹沢鴨という男

京へと出発した近藤勇らを含む浪士組は、中山道を進んでいきます。血気盛んな男たちの集団です…

歴史・人物伝~新選組上洛編①京に向かった近藤勇と同志たち

歴史・人物伝は、今回から幕末の京を震撼させた集団「新選組」について書いていきます。前回は…

歴史・人物伝~信長飛躍編⑮戦国大名のトップに躍り出る

織田信長の圧倒的な軍事力で上洛を果たした足利義昭は、念願の第15代将軍となりました。京の…

歴史・人物伝~信長飛躍編⑭信長の実力を見定めた松永久秀

残任で勇猛な人物のことを「梟雄(きょうゆう)」と評しますが、戦国時代を代表する梟雄の一人…

歴史・人物伝~信長飛躍編⑬三好三人衆を各個撃破していく

※先週お休みしましたので、3月2日の第12回以来となります 足利義昭を奉じて上洛を目指し…

歴史・人物伝~信長飛躍編⑫上洛の関門となる近江を制する

足利義昭を美濃に迎え入れた織田信長は、義昭を奉じて上洛するための手はずを整えます。三好一族や六角氏など京周辺で信長に対抗しそうな武将たちを制圧し、上洛の安全を確保しようとしたのです。 まず近江の六角義賢父子の征伐にあたります。信長公記によると、六角征伐の武将の中に木下藤吉郎(豊臣秀吉)の名がありました。この頃には藤吉郎が、それなりの地位に出世していたことがうかがえます。 また信長公記は、稲葉一鉄ら美濃三人衆が「先鋒を命じられる」と覚悟していたにもかかわらず、信長はそうしな