おうぎダーク_1

終物語 (2)第5話 おうぎダーク 其ノ壹

暦:(忍野扇がいてくれたから今が在る。
あの謎めいた、正体不明を正体不明で包んだような彼女が僕達の街にいてくれたからこそ、僕は…そして僕達は今にたどり着けた。
今が在り、先が在る。そんな風に思える時が、いつかきっと来るのだろう。僕はそういうやつで彼女はそういうものだ。
忍野扇…彼女は僕の青春の象徴だと僕は彼女を思い出す。
ニヤニヤとした彼女の笑顔…彼女にとっては僕の愚かしさが面白かったに違いないのだ。僕自身、笑ってしまう。大笑いしてしまう。
ならば結局、笑い話だったのかもしれない。
僕が過ごした青春は、僕が過ごした高校生活最後の1年間は…。
辛くもあり、悲しくもあり、苦くもあり、醜くもあり、どうしようもなくもあった1年間は…。
それでもいつか思い出すとき、誰かに話す時、みんなに伝える時、語る時は…笑顔で語るべき他愛のない自愛に満ちた、笑い話だったのかもしれない。)

扇:知らない?いいえ、知っているはずですよ。私は何も知りませんが。

暦:(扇ちゃんなら、きっとこう言う。)

扇:あなたが知っているんです、阿良々木先輩

暦:(そう、僕は知っていた。忍野扇の正体も最初からきっと…知り尽くしていたのだ、笑えることに。)

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真宵:へいへーい、ピッチャーびびってますよー

余接:駄目。ケリつけるんでしょ、今夜で

暦:まあ、そうだけど…

余接:お姉ちゃんがいない今、僕は何の力にもなれないけれど。
鬼いちゃんの戦いを見届けるくらいのことはしてあげるよ。
だから、さっさとあの輪に入ろう

忍:おー、お前様ではないか、我が主様。

暦:は、八九寺…

真宵:いや、それはもう地獄で散々やったからいいじゃないですか。
バラガキさん

暦:いや、かっこいいけれども八九寺…人を土方歳三の少年時代みたいに言わないでもらおうか、僕の名前は阿良々木だ

真宵:失礼!噛みました!

暦:違う、わざとだ。

真宵:かみまみた!

暦:わざとじゃないー!

真宵:かがみました。

暦:確かにキャッチャースタイルだったけれど!

真宵:斧乃木さんもお久しぶりです。その節はお世話になりました

余接:うむ、君の帰還は嬉しく思うよ

暦:どうした、八九寺

真宵:あなたの脳こそ、どうしましたか。
なぜ、おもむろに私の成長過程の乳房を鷲掴みにしようと試みたのですか

暦:いや、今のお前ってどういうコンディションなんだろうと思って

臥煙:今の彼女のコンディションは、君がこの公園で初めて会った時同様の幽霊状態だよ。ゴーストだ。

暦:ごめん、八九寺。考えなしに連れてきちゃったけれど、
思えば僕は、お前が半年間石を積んでいた労働を無にしちゃったんだよな

真宵:いいんですよ、阿良々木さん…お気になさらないでください。
その辺りについては既に臥煙さんと話がついていますので

暦:ん?話がついている?

臥煙:まあまあ、そういう話も含めてグリーティングを開始しようじゃないか。差し当たって、こよみん…成長した君の美女奴隷に命令して、
私の後輩の式神をイジメるのを止めさせてもらっていいだろうか。

暦:(斧乃木ちゃんが怖れていた、夏には見た数々の暴言の仕返しの最中らしい。)

>>

臥煙:さて、これからお姉さんが昨日今日で頑張って立てた計画を君たちに開示する。こよみん、言った物は持ってきてくれたかな。

暦:持っては来ました。ですけれども、元々あれは臥煙さんの持ち物だったから返すために持ってきたのであって

臥煙:んー確かに、いい保存状態だね。大事にしてくれていたみたいじゃないか。忍野扇…それが私達が今から向かい合う、敵だ。戦うべき相手だ。退治すべき対象で、憎むべき対象だ。そうだよね?こよみん。
最もここが重要なポイントだけれども、忍野扇という名前はあくまでも便宜上のものであることを忘れてはならない。
忍野扇の本質は、正体不明にこそあるからね。正体を失うことこそが…彼女の持つ唯一の彼女らしさなのだから。まずは順を追っていこうか。時間もないし1度しか説明しないから、よく聞いてね。

暦:一つ確認しておきたいんですけれど、扇ちゃんが今夜中に動くっていうのは…確信があるんですか?

臥煙:動くね。それは確信があるというよりは、ただの事実だ…今夜しかない。ここで動かないなら、むしろ彼女じゃないと言える…
驚異は消滅するともね。

暦:(まあ、この件に関しては僕にも確信があった。だって、本人がそう言っていたのだから。)

扇:阿良々木先輩…私の味方をしてくれませんか?私を助けてください。

臥煙:じゃあ、まずはこの公園と北白蛇神社の関係からでも語るとするかな。今の悲劇に至る濫觴〈らんしょう〉から…
北白蛇神社の前身、白蛇神社を襲った400年前の悲劇から。
400年前…というば、何があっただろう。
そう、伝説の吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの訪日だ。
その時の着地によって、そこにあった日本という国の一地方に溜まっていた水を…湖を散らした…蹴散らした。その湖は、ただの湖ではなかった。
その地方の信仰を一身に集めていた神聖なる湖だった。
しかしこの杯盤狼藉〈はいばんろうせき〉は地域に恩恵も与えたのだよ。
着弾の衝撃で舞い上がった湖の水は、
そのまま当時干ばつ状態にあった現地に降る…恵の雨となったんだから。
結果、西洋の怪異である吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは現地の信仰を乗っ取ることになった。
言うなら神を蹴散らし、神の立場を乗っ取った。
信仰すべき湖を失い、神を失った彼らは、新たなる神を見つけなくてはならなかった…否、新たなる神を作らなくてはならなかった。
そのために神社を移築した。
どうやら信仰も人口も失った現地の皆さんは近場の土着信仰と合流することで生き延びる道を探ったようだね。
それは、まるっきり的外れだったというわけでもない…
接ぎ木をするための鎹〈かすがい〉はあったんだ。
鎹・軸・山と湖を繋ぐ紐はあった…それは紐ではなく、縄というべきかな。クチナワ…つまりは蛇だ。
湖で信仰されていた神の、その神体の具体的な姿は水蛇でね…
そして山間部での小さな土着信仰における神体の姿は山蛇だった。
水蛇と山蛇…蛇繋がり。
ただやっぱり無理があったんだよ、理〈ことわり〉に叶わない接ぎ木には。一見、成立していてもやはり歪な感は否めない。
その歪さは、アンバランスさは1種のエアスポットを生んだ…
良くないものを集めるエアスポットを。
跡形もなくなった湖が…昔あった跡地がこの白蛇公園であって、
信仰が移築された先の山の神社というのが北白蛇神社だった…というわけなんだよ。
ちなみに細々と、しかも先細りしながら継続していた白蛇神社…改め北白蛇神社は約15年前に滅んだ。
忍ちゃんの第一の眷属である彼が…彼の灰が里帰りを遂げ、
結果神社の境内に集まっていた良くないものを神様ごと食ってしまったからね。
そういった経緯があったからこそ眷属の彼の件が片付いた後、私は忍さんを北白蛇神社の新たなる神として据えようと思っていたんだよね。
こよみん、ここで一旦休憩を挟んでお互いの意見をはっきり表明してみないかい?

暦:表明?お互いの意見を?

臥煙:目的と言ってもいいけれどね、目的意識と言っても…。
私たちは決して協定を結んでいるわけではない。
私としては、君の起こすミラクルに期待して、こよみんをプランに組み入れたものの、それがさらなる災厄を引き起こす危険性も否定できない。
忍さん…当時は忍ちゃんをどうするか、こよみんに委ねてみたら…
まさか無関係の女子中学生が神様に祀り上げられるなんて結末に辿り着いちゃったみたいにね。

暦:それを言われると、ぐうの音も出ません…。
じゃあ、言いますけれど…僕の目的は、
とりあえず八九寺と忍のことを何とかしたいと思っています。
特に八九寺はこのままだと暗闇に飲まれかねない。

臥煙:まあ八九寺ちゃんの事については私に副案があると言っただろう。
だから次は忍さんについての心配を聞こうかな。
忍さんのことを何とかしたいというのは…こよみん、
具体的にはどういう意味だい?

暦:だから…今、こうしてこうなって…
忍野や影縫さんの所在が知れないことも、もちろん気に掛かっていて…。
そりゃ僕だって自分の住む街が平和であればいいとは思いますが、
ただそれを目的に据えられる一人物では僕はありませんよ。
僕に考えられるのは、せいぜい身近な知り合いの身体くらいのものです。

臥煙:それが私にとっては危険だと言っている。
が、それなら折り合いもつけられる。少なくとも今回はね。

暦:というのは?

臥煙:君が気にしているのは、身近な人々と言え結局は他人のことばっかりだということだ。
君が自分の身を全く案じてない以上今回は私と折り合える。
忍さんは?君の目的は?忍さん。君は今何を考えている…
何をどうしたいと思う?

忍:ふ、わしはご主人様に従うまでじゃ。
我が主様がうぬに協力すると言うのなら、そうするまでじゃし…
我が主様がうぬと対立すると言うのならそうするまでじゃ。
専門家…言わせてもらえるならば、わしの希望としては、
できることなら幼女に戻してほしいもんなんじゃがの。

臥煙:では、全員のスタンスが出揃ったところで、
これからの具体的な動きの説明に入ろう。
こよみんの目的と私の目的、それに忍さんの目的と八九寺ちゃんの目的を同時に果たすための最低条件の説明だ。最低条件は二つ。
一つは北白蛇神社に新たなる神を据えること。
そしてもう一つは…忍野扇の退治だ。

暦:臥煙さん、忍を神に据えようって話だったら

臥煙:そのつもりだったんだけれどね?
しかしこよみんが地獄から八九寺ちゃんを連れてきたことで
状況が変わった。ある意味では忍さん以上にふさわしい神の代理が…
否、神の跡継ぎが現れたのだから。

暦:神の…跡継ぎ?

臥煙:八九寺ちゃんだよ

暦:え?いや、そんなのもっとダメでしょう!だって八九寺は

臥煙:八九寺は?

忍:まぁ、資格はあるかもしれんがのう。
地獄から復活してくるという時点で、
その迷子娘は文句なく一つの奇跡を満たしておるわけじゃし。

暦:しかしそれなら…そんな条件は僕だって、
あるいは斧乃木ちゃんだって満たしているわけで

臥煙:同じじゃないよ、違うよ?復活したと言っても条件が違う。違いは、ここで神様にならなければ八九寺ちゃんは暗闇に呑まれる…ということだ。つまり三択だよ。
一、もう一度地獄に帰る。
二、暗闇に呑まれる。
三、神様になる…だ。
北白蛇神社に祭り上げられることで八九寺真宵は現世への存在を許されることになる。
だから、八九寺ちゃんにとっては基本的にはいいことずくめではある。
もちろん仕事はしてもらわなくちゃならないけれども。
しかしエアスポットの管理さえしてくれれば、
それだけで十分に予防策にはなる。

真宵:だそうです

暦:だ、だけど蛇を祀る神社ですよね?蝸牛の怪異である八九寺をそこに祀るとなると、また歪みが生じることになるんじゃ…?

臥煙:そこが、こよみんが考えなしだったというのが信じられないくらいのミラクルなんだよねー。
それがなければ私も八九寺ちゃんを神に据えようとは思わなかったかもしれない。蝸牛は、蛇の上位互換だ。
いや、上位互換という表現は我田引水〈がでんいんすい〉が行き過ぎて、
言い過ぎかな。
だけど、こよみん?三竦〈さんすくみ〉くらいは聞いたことがあるだろ?

暦:蛇と蛙と蛞蝓〈なめくじ〉か…(蛞蝓?どこかで聞いたよな…)
ああ、そうだ。蛞蝓豆腐、貝木が千石に施していた偽物の怪異。

臥煙:そう。蛇に有効な怪異…蛞蝓。そして、蛞蝓と蝸牛は近縁種だ。

暦:(ならば蝸牛は、蛇と関連がないどころか…蝸牛は蛇を抑え込める。千石のように暴走することなく、千石のように蛇に飲まれることなく。逆に、蛇を飲み込める。)

真宵:ナメクジ真宵というわけですね。

暦:八九寺、お前は本当にそれでいいのか。

真宵:ええ、いいですよ…神様。あがるじゃないですか!

暦:(あがるって…)

真宵:失礼、神ましたというわけですね

暦:そんな風に言うと、ギャグみたいになるからやめて。
ギャグで引き取ろうとしないで、こんな重大なことを。

真宵:二階級特進どころではない、大出世ですよ。

暦:いや、わかってないってお前…多分。

真宵:分かってますよ、ちゃんと。

暦:そうなのか?神様になるという行為の責任や意味、
重みや役割をちゃんと分かっているのか?

真宵:いえ。そういうのは全然わかってないんですけれど。

暦:わかってないのかよ!!

真宵:但し!そうなれば、
これからも阿良々木さんと楽しく遊べることだけは分かりますよ。

臥煙:まあこれで条件の一つは満たされたということさ。
八九寺ちゃんがこの御札を飲み込めば、
北白蛇神社に新たなる神様の誕生というわけだ。
こよみんが八九寺ちゃんを暗闇に呑ませたいというのならば…まぁそこは、こよみんの判断に任せるけれどね?私としては手段の問題だ。

暦:そうだ、臥煙さん。その…暗闇の件なんですけれど、
ひょっとしたら僕達はとんでもない勘違いをしていたのかもしれません。
忍野扇は暗闇ではない…のかもしれません

臥煙:知ってる

余接:マジでー?違ったのー?うっそー。てっきり、そうだと思いこんで、僕あちこちにそういう伏線を貼りまくっちゃったよー

臥煙:そもそも、どうしてそう思ったんだい?忍野扇が暗闇だって

暦:いや、だって…

臥煙:あー、聞き方がまずかったね。私が聞きたいのはどの段階でこよみんがそんな発想に至ったかということなんだ

暦:いつってことはないです。彼女の言動を見聞きしていたら、
自然そんな風に…実際あの子、八九寺を探してたりしましたし、
千石の件だって、正弦の件だって…
(いや、結局のところ僕は、むしろ感覚的にそう思ったのだ。だって彼女の黒々しい雰囲気は暗闇そのものだったじゃないか。ルールを重んじる、暗黒。バランスを奉る、漆黒。)

臥煙:彼女自身、最初は自分のことをそう思っていたんじゃないのかな。
今だってそういう任を彼女は自分に課していることは確かだ。
忍野扇は暗闇でこそないが、しかし暗闇と同じことをしている…
同じ役割を負っている。

暦:暗闇と同じ役割…

臥煙:念のために整理しておくと、八九寺ちゃんをこの状態のままで放置しておくと、また出〈いずる〉この街に生じるかもしれないと…
さっきまで心配していた暗闇は掛け値なく本当の暗闇だ。
対して仮に八九寺ちゃんを北白蛇神社の神様に仕立て上げ、
祀り上げたところで、やっぱり八九寺ちゃんを襲うかもしれないのが…
暗闇と同じ役割を負う、忍野扇なんだ。

暦:祀り上げたところで…襲う?

臥煙:いや、だから最低条件は二つあると言っただろう?
八九寺ちゃんを神に祀り上げるだけじゃ足りないんだ。
忍野扇を退治しないと、話は全くまとまらない。

暦:退治、退治って…そう繰り返しますけれど、
それやめてもらっていいですか?退治なんていう言い方をしたら、
まるで扇ちゃんが怪異みたいじゃないですか

臥煙:そうだよ。彼女は普通の…化け物だ。