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日本人でいるということ

情熱の国。スペイン。
この国に留学生として来て約半年が経過し、残りの留学生活も後半に差し掛かった。ここでの経験は日本にいた頃と比べるとはるかに濃く、今までになかった程の思考の質と量を伴うので、個人的な頭の整理も兼ねて、私の思う事についてここに記していこうと思う。

 本題だが、日本の大学に通っていた私は大学生のうちに海外への交換留学をしようと決めていた。もちろん行先は今いるスペイン、そしてカタルーニャだ。理由も安直で、小学生の頃に当時のバルセロナのサッカーに惚れたから。ただこれだけ。正直言って、今のバルセロナは当時ほどの輝きを放っていないし、衰退気味にあるのが現実。イングランドのプレミアリーグの方がサッカーとしてのトレンドも熱量も数段上だと思う。それでもイングランドに行きたいとは思わなかったし、カタルーニャでないといけないというのが強くあった。あの頃の記憶や衝撃が色褪せることなく心の中にあったから。そして、ここに来る際に決めていた目標が大きく2つ。
 一つは大学生としての責務、勉強に励み単位を取得するということ。まあこれは当たり前。そして二つ目が、大学生の傍ら、スペインで一人のサッカー選手として1シーズンやり遂げるということである。おそらくこれは10年前、あの頃のバルセロナに憧れを持った時に抱いた夢が、自分でも認識できないほどわずかになりながらも形を変えつつ残っていたものだ。自分はサッカーだけで留学できるような器ではないと思いながらも、どこかこの気持ちを消化せずにはいれないもどかしさがあった。だからこそ勉強との両立という形でカタルーニャに乗り込んだのが約半年前のこと。

 チームが決まったのは、スペインについて2週間ほど経ったころ。いくつかのチームにセレクションを兼ねた練習参加を受け、全て合格。その中から大学と両立していけるチームに加入した。そこでの細かいことは後々語るとして、約半年ここでサッカーをして感じたのは、題にもあるように「日本人でいること」の難しさだ。要するに日本人としてのアイデンティティの確立のこと。今までそれが当たり前の社会で生きて、それが当たり前の環境下でサッカーをしてきた。十年以上も。
でも初めてスペインでピッチに立ってボールを持った時、真っ先に観客から飛んできた言葉は「chino」、中国人を意味する言葉だった。そしてこれが思った以上に精神的に堪える。悪気はないとしても彼らにとっては初見のアジア人=中国人という認識なのだ。プロ選手ならば国籍問わず歓迎されるが、ここはアマチュア。誰だこいつみたいな目を見に来ていた人ほぼ全員からされたのを覚えている。ここでは日本人ですらいられないのかと落胆したが、それと同時に目標も立った。それは、ここで「日本人」の大学生がプレーしていたと認識してもらおうということ。私の所属するアマチュアリーグでさえ毎試合100人前後、多いときは300、400人越えの観客が訪れるほど国民がサッカーを愛するこの国で、私が日本に帰った後、「そういえばあの日本人はどうなったのか」と彼らの中から1人でも口にしてくれるようにと。
 別にこの年になってプロになろうなんて微塵も思ってないし、そもそもなれるはずがないと何度も痛感するサッカー人生を送ってきた。そろそろサッカーとも折り合いをつけていかないとと考えている。だが最後にこの目標だけは達成して終わりたい。これまでパッとしなかった十数年のサッカー人生だが、小さい頃に憧れた土地で一人の「日本人」として、サッカーを媒体に現地の人々の記憶に少しでも残っていればそれ以上の幸せはないし、あの頃からの夢がほんの少しだけ叶った気持ちになれる。十数年の成果としてはもったいないくらいに。
 幸いなことにある程度、試合には出場させてもらっていて毎試合のように見に来ている人からは、日本人であると認知され名前を呼んで応援してもらったり、ボールを持てば現地の子供たちが「Kubo!」や「Mitoma!」と声をかけてくれたりもする。

今現在、半年かけてやっと自分という存在が彼らの中で形を成してきていると感じる最中にある。この留学生活も残り半分を切っているが、終える頃にその形がはっきりとできあがっていれば良いなと願うだけだ。もちろんそのための努力は怠るつもりはないし、もし最終的にそうならなかったとしてもこの経験は間違いなくこの先の人生で財産になる。そこだけは、多くのことが手探りなこの異国の地でも唯一確信している。

長くなったけど以上これらが私がスペインに来て強く感じたこと。
最後まで読んでくれてありがとうございました。


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