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パンにジャムを塗る


「幼さでパンを作って大人びてジャムを塗ろう」

最近聞いたMrs. Green Appleの新曲「Dear」にあったこの歌詞が心に響く。





スペインでの全ての日程を終えた今の僕は、日本に帰った後「帰国子女」、「スペイン帰り」という何とも鼻が伸びてしまいそうな修飾語がつくのを楽しみに帰国までの残りの時間を満喫しているのだけれど、その一方でちょっとした懸念点もある。それはあの決まり文句、「留学で何を得たか」を問われること。この約一年間そんなこと特に意識せずに生活していたので、いざ問われるとなった場合に上手くまとめられそうにない。そう思ってあらかじめ整理しておこうと、ノートにいくつか思い当たる要素を箇条書きにしたので、それをここにも簡単に書いてみる。

「留学で何を得たか」
・言語(英語、スペイン語)×
・友人 △
・センス ◯
・アイデンティティ ◎

とまあこんな感じ。三つ目の「センス」に関しては、これもすごく良いものが得れたので後からきちんと文字に残す。少し気になるかもしれないけれどとりあえず今は触れないでおこう。ここに一番残しておきたいのは4つ目、「アイデンティティ」の部分。具体的に言えば“自分と向き合った”経験といったところ。
この留学生活では日本語から離れて、大学の授業では英語を、サッカーや日常生活ではスペイン語を使っていた。どちらもコミュニケーションを取るには問題なかったもののネイティブと比べれば明らかに劣るものになってしまった。つまりは中途半端に終わってしまったわけで、パスポートの査証欄に「学生ビザ」とある以上、ここを達成できなかったのはそういう意味では失敗かもしれない。それでも自分の中でちゃんとこの経験を意義があったと言える部分があるのは、まさにこの「アイデンティティ」を得られたおかげだと思っている。




2か月ほど前に読んでいた小説にこんな一節があった。「アイデンティティの揺れは誰しも成長の過程で訪れる。」当時、まだ自分がこのスペインで何を得られているのか全く分かっていない時期だったけれど、とりあえず進んでいる方向は間違っていないと感じさせてくれた言葉がこれだった。

振り返ってみてこの約一年間、人生で一番だと迷いなく断言できるほど僕のアイデンティティは揺れた。先ほどの箇条書きで言語の部分には×をつけたけれど、そう、それほどスペイン語なんてあまり理解していないはずなのに、自分に飛んでくる鋭さを持った言葉はなぜかよく刺さってしまう。試合を見に来ている観客から中国人と揶揄されるのも、練習帰りの22時頃にすれ違った男の人から差別発言で怒鳴られるのも、他にもいくつかあったそういう経験は彼らの吐く言葉の意味を全部理解できたわけじゃない。ただ、どれもこれまで約20年かけて築いてきた“自分”を折りにかかるものだったというのだけははっきりと感じた。そしてこれらの経験のほとんどがサッカーを理由に起こったことだった。直後はおそらくサッカーをするという選択を取らなければまだマシだっただろうと思っていたし、それは今も変わらないかもしれない。ただ忘れてはいけないのはそんな地で“自分がここにいる”というアイデンティティを持たせてくれたのもまた、僕にとってはサッカーだったということ。人は「幸」よりも「不幸」にその先のストーリーを付け、感情を吐いてしまう生き物だけれど、間違いなく当時の「幸」は光っていたはず。そこを大切に抱えて生きていきたいのが個人的な願望だったりする。僕のそういった部分はこれまでのnoteに書いてきたので良かったら読んでほしい。特に一番初めのnoteで自分が海外でサッカーを通じて日本人でいることの難しさを書いたが、シーズンを終えた今感じる事は、僕はたしかにあの快晴の下、スプリンクラーで良く濡れた105m×68mのコートの中では、自分はこういう人間だということを体現できた。あくまで自認だがそう思っている。

そしてもう一つ。22歳を迎える年でこの経験をできたこと。それもアイデンティティを得るうえで重要な要素だった。大学生活も終わりが近づき、僕はこれから社会に出ていく。子供から大人への最終段階とも言えるようなこの時期は大半の人が、ある程度の知見は持っている、けれどまだきちんと固まった考え方があるわけでもないようなそんな時期だと思う。よって誰かが吐く言葉は社会で生きてきた大人と比べると、良くも悪くもより深くまで届くし、だからといってそれを子供らしさ全開で喜怒哀楽だけで包み込むといったこともしない。むしろこれまでの知見と比較したり繋げながら、頭の回転量を増やして解釈を深めていく。この両方が並行する時期こそが今だと思っていて、そんな時期にこれほどアイデンティティが揺れる経験をできたことがまず財産。加えてそれは、スペインという地が持つ特有の「可処分時間(自分のための時間)の多さ」と相まって、日本にいる時よりも更に深く考え、自分と向き合う時間を多く持つことができた。そういった部分から広がった視野や思考のおかげで、丁寧に確立できた“自分の在り方”や“大事にしたい拘り”みたいなものこそがこの留学から得られたことだろう。タラレバかもしれないが、一年早くても遅くてもだめだったんじゃないかなと思っていたりする。





「幼さでパンを作って大人びてジャムを塗ろう」

最近聞いたMrs. Green Appleの新曲「Dear」にあったこの歌詞が心に響く。

子供の頃、周りと比べて不格好ながらも幼さで作ったサッカーを主材料にしたパン。それは今も腐らずアイデンティティを形成するための核として、大人びて自分だけのジャムを塗ることが許されていたらしい。


そんなことに気付けたすごく濃くて充実した期間だった。











カタルーニャ。ここが僕のアナザースカイ。


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