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「すごい」はまだ先の話っていう話。

「海外留学するなんて成長した。」
「サッカーもちゃんと続けてるのすごい。」

こういった言葉をありがたいことに、ここ最近色んな人からいただく。もちろんとても嬉しいし、それが頑張るためのモチベーションに変わっているのは間違いない。ただそういった言葉をもらった時にどうしても疑問に似た違和感が残ってしまう自分がいたのでここに残しておこうと思う。

貰った言葉に対する返事としては失礼にあたるが

「やりたかったからやっているだけなのに何がすごいのだろう。」と。


「海外の大学に通ってみたかったから」「スペインでサッカーをやりたかったから」この2つの願望がたまたま「留学生かつ競技サッカーを続ける」という結果に行き着いただけ。「ゲームが好き」で、「ゲームを毎日する」人となんら変わりはない。偉そうに聞こえるかもしれないけど本当にそう。特別頭の良い大学に行ったとか、プロサッカー選手になったなんてものとは程遠い。むしろ両親に頼み込んで、そうさせてもらった側なのだからコスパの面なんかからすると最悪だと思う。

ただそれでもこれまで日本を出たことが無かった私にとって、この国は時に「ゲームをする」というよりも「ゲームの世界にいる」ような、そんな感覚すら覚える経験をくれる。初ゴールを決めたときに抱きついてくれたチームメイトや観客からは日本とはまた違ったものを感じたし、あの時観に行ったエル・クラシコもそう。挙げ出したらキリがなくて、全て間違いなく人生の財産になるものばかり。留学生らしい飲み会や友達と遊んだ思い出っていうのは他の人より少ないけれど、その代わりこの国が持つ熱に魅せられたからこその経験と学びを多く得た。一つ一つをちゃんと自分のものにできればこの先の人生をいい方向に変化させていけるだろうというのは感じている。というかさせないといけない責任がある。そうじゃないと顔向けできない人がいるので。

今はまだ自分がどう変わったかっていうのは良く分かっていないのが正直なところで、毎日鏡を見ていると髪が伸びているのに気づきにくいのと同じような感覚の中にいる。ただ一つだけ挙げるとすれば、こういった文章を書けるようになるくらいには毎日が充実していて、頭をロジカルに働かせられるようになったということかな。(そのせいかMBTIは「INTJ」だった。)残る大半の不透明な部分に関しては日本に帰った後、かつての環境にまた身を置くことで認識できるようになるものだと思ってる。全て吉と出るのが望ましいけれど、もしかしたら凶もいくつか引くかもしれない。ただそれも込みで自己研鑽を続け、大人の階段を昇る。その時はこんな天邪鬼でも、それこそシンデレラでもないことを願いたい。そしてその階段を高く上ることができた時にはじめて「すごい」という言葉がスッと入る。そんな気がしている。そうなれば価値があったと思えるななんて事を考えつつ、最後にそういった将来に向けた自戒も兼ねて、大好きなこの言葉で締めて今回は終わりにしよう。



“覚悟はいいか。俺はできてる。”



想い出がいっぱい。
今回も読んでいただきありがとうございました。




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