中原の実験的ネオ短歌の提案/その考察


①1分間海ダッシュ短歌
横須賀市20年後吉野家は増えててほしい私のために

②2L水爆飲み短歌
絶対零度  死ぬほど会いたいお前のために1人で乗るよシベリア鉄道

③くしゃみ100連発短歌
砂浜で僕の名字と君の名が合わさった文字列超良い作品

④一味致死量辛いラーメン短歌
激痛  父にぶたれた夢だって心動けばハイパー現実

中原の実験的ネオ短歌の提案


反省

一短歌のクオリティの低さ

正直、一つ一つの短歌のクオリティは低いように感じる。浅い思考で超短時間で作られた短歌は、やはり言葉や構造が薄くなってしまうようだ。

本来の短歌の制作過程の思考は、
思い立った言葉をとりあえず並べる→・句同士のバランス・その表現をした理由・言葉が適切か、などをグルグル何回も何日も、時には数ヶ月置いておいたりして遂行する。従来の短歌は、深い思考と共に出来上がるものがほとんどだ。

しかし、ネオ短歌における思考は上記のものとは全く違う。強いて言うのなら、大喜利やラップバトル、平安時代の歌合わせと同じ類なのではないか。つまり、歌人のもつボキャブラリーや表現力、常日頃何を考えて感じているかが顕著に現れる短歌表現なのだ。

引き出しの少なさ

突発的に出された題に良い歌を作れるかどうかは、自身のボキャブラリーや発想の転換力が大きく関わってくるようだ。今回やってみて感じたことは2つある。
①ボキャブラリーの少なさ
②持ってるリズムの少なさ

まず、ボキャブラリーが少ない。「死ぬほど会いたい」や「超良い文字列」という言葉は、空っぽの脳から出てる言葉感があり、俗っぽいとも捉えられる。
今考えれば、死ぬほど会いたいではなく、その会いたい人の場所の説明をシベリア鉄道から広げられたと思う。1人で乗るよなんて言わなくても、シベリア鉄道に愛する人に会いに行く時なんか絶対1人だろう。ほかのもっといい言葉を入れられたように思う。31文字しか記すことの出来ないのだ。
超良い文字列も頭悪そうだ。バカップルが砂浜で2人の名前を合わせてニコニコイチャイチャしている姿が容易に想像できる。うう。自分の脳から突発的に出た短歌がこれだと思うと恥ずかしい。それに、その出来上がった文字列を「作品」と言い切るのは何だか不自然に思える。うーん。

「持っているリズム」についてだが、「絶対零度」や「激痛」など、最初に強めの名詞を置いてしまうのは

火花放電  僕に子供が産まれてもネーミングライツは買わなくていい

青松輝

という短歌が脳にこびりついているからだ。私が初めて短歌に興味を持った時、この短歌に出会ってしまい、ビリビリと影響を受けてしまったのだ。それ故ふとした時にこのようなリズムの短歌を作りがちになってしまった。

パフォーマンスとの関連性はある

例えば、2Lの水を飲み終わったあとの私は吐き気と寒気と猛烈な尿意で、マジで頭が回らなかった。世界中の水を満足に飲めない方におでこを床に 着け擦切れるくらいの謝罪をしたかったし、飲んでる最中何回も撮影者に水を吹きかけてやろうか迷った。それはそれで面白い映像になるのではとは思ってしまった。したら死ぬほど怒られただろうから本当にしなくてよかった、理性が残ってて本当に良かった。

無事完飲した訳だが、もちろん私の脳は死んでた。故に字余りがかなり目立つ(それはそれで良い表現かもしれないが)そして、やはりワードチョイスのメタ感は否めない。薄っぺらい短歌となった。

一味致死量短歌も食べ終わった瞬間、ガチで口腔内が痛すぎて激痛という言葉しか出てこなかったのだろう。「イタい!おい!なんでこんなことしてるんだ!いたい!!!」しか考えられなかった。それ故脳が回らなかったのだろう。
体言止めが2つもある。この手法は歌のインパクトを出すには効果的な用法だが、多様するのはかっこよくないだろう。

身体的苦痛を遂げ作られた4首は全て薄味の短歌になってしまっているし、初句と五句目に名詞を置きがちになっている。私の短歌の癖や小手先でどうにかしちゃおうという魂胆が見えてしまい、恥ずかしい!

ここまで酷評してきてしまったがしかし、身体的苦痛を遂げ、脳は回らなく、ズタズタな状態で詠んだというバッググラウンドがあるとやっぱりどこか趣を感じてしまうところもある。これはこれでダメダメな訳では無い。しかし、より良いものにするためにはそれ相応のトレーニングを積まなければならないだろう。
今からその提案をさせて頂く。


サーキットの提案

題とワードチョイス

今回のネオ短歌で軽視してしまった部分がある。それは、題とパフォーマンスの関連性だ。もっと題に思いを馳せるべきだったと思う。大喜利、ラップバトル、あるいは歌合わせだって、題に則してパフォーマンスを繰り広げるものだ。例えば大喜利だったら、題が含む全要素に寄り添い、フリップや答える時の声色、表情、間、全てを操り答えを出す。
この類の表現の、題への寄り添い方は言わば、現代文の記述問題みたいな感じだ。しっかりと筆者の考えを読み取り本旨をくみ取って上手く枠内に決められた語数で収める力。
つまり、題と自分のパフォーマンスを経た自分の激情をドッキングして瞬時に言葉を取捨選択し歌を作り上げるトレーニングを重ねなければならないわけだ。

そのためには、これは創作者なら皆やることだろうが、日常の些細なことに目を向け疑問を持ち感じて考えて結論づけたり、という思考を絶やさず行うべきだ。また、当たり前だが、ジャンル問わずインプットを常日頃行わければならない。そして、その行いの中でふと心が動いた時には一首詠んでみるのが良いだろう。
(薄々感じていたが、ネオ短歌は平安時代の貴族が行っていた遊戯的短歌に回帰していると思う。それは回帰と言うよりもむしろ、それが短歌の本質なのだろうと私は考えた。多分有名な歌人は皆日頃やっているのだろう。多分。)

パフォーマンス面の強化

ネオ短歌は、本来の短歌とは違い表現者の動き、喋り、目線、息継ぎ、全てが短歌表現になる。ならばパフォーマンス面を強化する他ないだろう。

パフォーマンスの追求は、自分自身自分の見た目や声を分析することが大切になってくる。これは己が持つ固有のものだから、良い方向へ武器にしていくしかない。
例えば、今年度のM-1グランプリ決勝進出女性芸人のヨネダ2000はきっと、2人の声質や体型、顔つき、髪型、全ての要素を考慮しあの芸風にたどり着いたのでは無いかと思う。本当に面白い、私も餅をつきたい。

私の場合は、
ビジュアル:・少女
声質:・高め・速め・はっきり
と分類。
そして、この特徴に合うキャラクターを想起する。私の場合は、少女性と声質のパッション感、そして私の本来の性格から 「元気はっちゃけ系」でいくといいのではと思う。(雰囲気で言うと、女子高生ラッパーのKTみたいな感じだろうか。烏滸がましいが)

しかし、ここで難しいのが、ネオ短歌のジャンルはまだ成立していないため、どのようなパフォーマンスが効果的か誰も分からないことだ。先人がいない領域を開拓するのは困難だ。先進することはいつだって激動なのだ。例えば、全力ダッシュをした後、息を荒らげたまま短歌を詠むのか。息を整えて前髪チェックをしてから演じるフェーズに入って詠んでも面白いかもしれない。はたまた叫んでしまうのか、ボソボソと暗い雰囲気を纏いながら甘く重い詩的な短歌を呟くのも面白いのでは無いか。
発展案として、例えばポージングをつけたり歌っぽくしてみたりダンスをしたり、事前に観覧者に与えたい印象をつけるために身なりを整えるのも良いだろう。

是非とも自分に合った方法を見つけて欲しい。

競技化とネオ短歌

東京短歌大学 21XX年度 過去問対策


21XX年度
東京短歌大学 短歌学部 ネオ短歌科
入学者選抜試験

▫️第一次試験問題 ▫️

○問題

与えられた写真1枚につき一首詠みなさい。


○試験時間  10:00〜16:00
○昼食時間  12:00〜13:00
(昼食時間中に試験を続けてもよい)

○配布物  問題用紙、写真5枚、解答用紙

東京短歌大学 21XX年度 一次試験問題


21XX年度
東京短歌大学 短歌学部 ネオ短歌科
入学者選抜試験

▫️二次試験問題▫️

○問題

「風化」という言葉をテーマに短歌を読みなさい

○試験時間  A10:00~12:00
                   B11:00~13:00
                   C12:00~14:00
                   D13:00〜15:00

○配布物  問題用紙、解答用紙

○注意事項  教室内の機材を壊してのパフォーマンスは禁止とする。常識の範囲内でパフォーマンスをすること。

東京短歌大学 21XX年度 二次試験



[問題解説]
今年度も例年通り、二次試験は一語テーマを与えられ、即興で短歌を詠むという形でしたね。即興で短歌を完成させる瞬発力やどんな観点でそれをその形で詠んだのかを、ポートフォリオと照らし合わせ面接されたのでしょう。パフォーマンスと問題用紙に記載されていますが、体を張れば良いという訳では無いです。前年も、自分の詠んだ短歌のコンセプトと、身体や顔身振り手振り呼吸声の出し方がマッチした、統一感と説得力のある作風が選ばれています。
一次試験の写真の問題も、プロのフォトグラファーが撮った素敵な写真で、詠むのも楽しかったのではないでしょうか。こちらはしっかりと思考し短歌を完成させる集中力と技術が計られています。ですが、例年かなり崩した自由律や英語カタカナ記号を多用した、先鋭的な形の短歌を詠んだ作品も合格されているので、やはり、どのような観点で写真を捉え、表現したかどうかが見られていますね。受験生の皆様はお疲れ様でした。そして、来年度受験する皆様は、是非とも沢山のことを経験し、自分の短歌表現の幅を広げ技術を深めていってください。

湘南短歌学院 講師


[合格者体験談]

僕が湘南短歌学院にお世話になったのは高3からでした。高校1年生の頃から短歌に興味を持ち始め、日々短歌に制作し、公募にもちょくちょく出してはいました。良い賞を取ったことはないですが、ポートフォリオの心配はあまりしなくていいと思います。私はポートフォリオに載せれる賞は数個しかなかったですが、それよりも日々どんなことを考えて短歌を詠んでるかを明快に伝えられる力や、説得力のある短歌を作る力を鍛える方が大切だと思います。

湘南短歌学院の指導は少人数体勢なためとても細やかで気になったことをすぐ質問でき、良い環境でした。実践的な短歌表現の講義や歴史についての深い知識を得ることも出来ました。夏期講習のドローイングを交えた外での短歌100本ノック授業がとても楽しかったです!直前講習では実践的な問題に取り組みながら良い短歌をつくる訓練ができました。それを通して、初めて自分の短歌スタイルを確立できたように感じます。それが大きな自信となりました。

僕はあまり真面目な生徒ではなく、高校1年生の時は、勉強をあまりせず短歌に勤しんだり、本を読んだり、ふつふつと考え事ばかりしていました。今思えばそれは本当に有意義な事だったと思います。そのおかげで今の僕があると言えます。しかし如何せん、東京短歌大学は5科目7教科の共通テストを必要とするので、1年生のころからしっかりと勉強することを強くオススメします。ありえない点数じゃない限り足切りはされないと思いますが、6~7割は取りたいところです。
僕は学習予備校には通ってはいませんでしたが、共通テスト模試は受けていました。特に苦手だった数学は青チャートをこの大学を視野に入れ始めた春から着手していました。理科基礎は夏休みまでに軽く1周し、過去問を周回しました。社会科目も同じく、市販の参考書を解いてから、過去問を周回しました。間違えたところはしっかりと見直すことが本当に大切です。量を重ねることで自分の苦手な部分も分かり良かったです。また、この大学を志望する方にありがちなのが、慢心し国語の対策を蔑ろにしてしまうことです。しっかりと根拠を持って解く練習をしましょう。僕は、全体の結果は6割5分程でした。

短歌や勉強だけでなく、スポーツや学校生活を楽しんだり、展覧会に沢山行ったり、本を読んだり、経験を積むことが自分の短歌表現に反映されます。是非沢山のことを学び経験し楽しんでくださいね。

東京短歌大学を志したとき、快く賛成しサポートしてくれた両親、沢山話を聞いてくれ応援してくれた友人、優しく的確な指導をしてくださった湘南短歌学院の先生、皆様に心から感謝します。

湘南短歌学院 学院合格者インタビュー



ネオ短歌の必要性

ここまで長々と考察をしてきた訳だが、
「従来の短歌でええやん、俺は普通の面白い短歌が詠みたいわ〜」て思ってる人、、、

うるさいうるさーい!!そんなんそりゃそうだよ。私だって素敵な短歌が大好きだし素敵な短歌を作るのも大好きだよ!短歌が大好きだからやってるんだよ!

短歌。平安時代からここまでたくさんの変革を遂げて今日の形となっているのだ。現代短歌の中でも、例えば記号を使ったりカタカナ語を使ったり英単語を使ったり字余り字足らずを上手く利用したり1単語だけ文字の大きさを変えたり、、、たった31文字の中でこんなにも心動かせるのか、と私は新しい歌を読む度にそう思っている。しかし、

破壊と想像。新しいものを作るには、従来のものはぶっ壊さないといけないのだ。紙媒体短歌からインターネットの海に漂う短歌。そしてライブ感満載パフォーマンス短歌へ。



穂村弘さん、木下龍也さん、岡野大嗣さん、最果タヒさん、岡村真帆さん、そして俵万智さん。こんな青二才が偉そうにすいません。先人いてこその今ですよね。でもなんか、もしよければ私と一緒に辛いラーメン食べたり水爆飲みしたりくしゃみ100連発したりして。一緒にイノベーションを起こしませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?