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私とお弁当

今回、テヒョンのピンクのくまちゃんのいなり寿司を作って
思いの外沢山の方々の目に留まり、たくさんのいいねをいただいて震えている

15年ちょっとキャラ弁を作り続けてこんなに評価を頂いたのは初めてだ

しかし実はこの冬、私のお弁当作りは終わった
節目としてここで振り返ってみようと思う

お弁当の始まり


30年ほど前、自分のために
大学生の頃はたまに
社会人になってからはほとんど毎日
作り始めて

まぁ、お弁当と言っても実家ぐらしだったから母の作ったお夕飯を取り分けておいて卵焼きと野菜の副菜を一品添えるぐらいの簡単なものだった

人のために作るお弁当


結婚して夫のためにお弁当を作るようになった
バランスや彩りを考え、自分では考えられない量を詰めるため何を入れれば隙間が埋まるのかに頭を悩ませるような作業
愛妻弁当と言うにはおこがましいただの「妻弁当」だった
15年ぐらい作り続けたが、色々な事情が重なって7、8年前から作らなくなった

それと並行して娘のお弁当が入園とともに始まり長女の幼稚園卒業と同時に次女が入園した
しかも、長女の学校は月に一度「お弁当の日」なるものが存在し、
夫、娘2人の3つ作る日もあった

加えて当時次女は食が細く、食べるのも遅く、食事の時間は彼女にとって苦行のような時間だった
それでも痩せた彼女を心配して無理矢理にも食べさせていたからお夕飯などは2時間にも及ぶこともあった
今考えればそれが正しいのかどうかわからないが
幼稚園でのお弁当は少しでも楽しく食べて欲しい
そう思って始めたのがキャラ弁だった

キャラ弁の始まり


元々凝り性だし、工作は好きだし、落書きみたいなお絵描きも好きだったからキャラ弁作りにハマった
ハマった頃はお弁当を作った後にキャラ部分に取り掛かり、キャラ部分だけで1時間くらいかけて作っていた

仕事もしていない専業主婦だったからできたのだろう

色々なキャラクターを作りたくて方法を考え、色の出し方を考え、
キャラ弁用の着色ふりかけがでたと言われたら買い求め紫や水色のキャラクターも作った

SNSにも上げるようになり、いいね欲しさに作っていた気もする

そのうち作るのにも慣れ、三女も入園し、夫(これは普通の)、次女三女、時に長女とキャラ弁3つ作っても送り出せるほどになった
もうこうなると次女のためではなく、私が作りたくて作るキャラ弁になっていた

長女は特に何も言わないけれど受け入れたし
次女はイラストなども描くし、キャラクターも好きなので喜んだ


その陰で
次女は幼稚園の友だちに「えー、そのキャラクター食べちゃうのー?かわいそー」と言われたりして嫌な思いをしたり(それでも私はキャラ弁好きだからよかったんだけどね、と大人の対応をしてくれたが)
キャラクターのために使った食材がご飯に合わなかったり、ふりかけがおいしくなかったりで不評なことも多々あった

三女はその典型で「白いご飯は白くあれ」という考えを曲げず、一時キャラ弁を拒否された時もあった

その頃には私が中毒化していて顔の付いていないまっさらのお弁当を持たせることが罪悪に感じられるほどになっていたため
海苔で顔をつけることだけは許してもらい、白黒のキャラクターを毎日考える日が続いた

今考えると異常だ


三女が幼稚園を卒園し、小6、小3、小1に子どもたちがなったとき、その1年だけはお弁当は夫と月1の長女のお弁当のみだった。その時嬉しかったのか寂しかったのかは思い出せない
中学は給食がなかったため、長女が中学入学と同時にまた毎日お弁当が始まった
その1年のブランクがよかったのかもしれない

そのあたりになると私のお弁当に対する気持ちが変わってくる

やっぱり美味しく食べてもらってこそだと

「安全でおいしいのにかわいいキャラ弁」


を目指し始めた

まず、おかずを安全に、生のカット野菜を使わない
フリルレタスもかわいいけれどフリルの部分に何かが付いていた時の菌の繁殖を考えたら使えなくなった
トマトもピックを刺すのをやめた
ハムや練り物も普段要冷蔵のものは必ず火を通すようにした
たっぷり保冷剤使えば大丈夫です!という方もいるが、キンキンに冷えたご飯が美味しいかと考えたら私にはできなかった
卵もしっかり火を通す

次に子どもの嗜好を考えた
白いご飯にチーズを載せるのを嫌がるのでサンドイッチ、焼きおにぎりやケチャップライス、カレーのとき以外のチーズをやめた
かぼちゃ混ぜご飯も、ゆで卵の黄身混ぜごはんもやめた
色を付けるためだけのふりかけも
ギューギューに固く握ったご飯も
娘たちが美味しくないと言ったものの中で
私の押しつけだったものはやめた

美味しくないと思いながら食べてほしくないからだ

こうして私のキャラ弁は多少形が崩れても美味しく食べられるおにぎり程度の形作りに
色はあくまでもシンプルに
部品もなるべく少なくご飯の味に影響は少なく
なるべく触らずを意識することによって時短にもなり、1時間かけていたキャラ部分も長くて20分程度になった
そこがお互いの妥協点と言ったところかwww


そうやって試行錯誤を繰り返し「私のお弁当」が完成したと思う

昨年12月頃、気づいたら最後のお弁当の日が終わっていた

特にお礼もお手紙もないけど、母って仕事ってそんなもんだなと思う

子どもは母が元気でそこにいるものと思っている
絶対に自分を愛してくれているし、どんな事があっても味方でいてくれると信じて疑わない
自分の世話は喜んでしていると思っている

私もそういう母でいたいと思っている
でも子離れもしなくてはいけない
今は手は出さず、見守るだけ
そこのバランス調整中

そして日常はまた続いていく


今はまた自分の職場弁当としてお夕飯の取り分けをご飯とともに味気なく詰めて持っていくだけのお弁当とも呼べない食事を作る日々
そのお夕飯も自分で作るようになったと言うだけで、30年前と何も変わらない

私、おつかれさまwwwがんばったね
これからも楽しくたまには自分にもキャラ弁作ってみよう

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