見出し画像

移り変わりはするけれど、今ほんとうに好きなものを手に取ろうよ。(誘惑に負けやすい自分へ。)

ブランチの時間、とある国道沿いの喫茶店できなこトーストとゆで卵にホットブレンドのセットを注文した。
そこはわたしの育った街――都市部からは少し離れて田舎とも都会とも言えない雑多な通りに古くからある老舗の喫茶店だ。
注文してから提供までにほんの少し時間がかかっていて、トースターのチンという音が聞こえるとまもなく店員さんがわたしの席に料理を持ってやってきた。カウンターの奥でコーヒーを淹れている姿も見えていた。
きなこと蜜でほんのり甘く味付けされた厚切りのトーストはわたしをとても落ち着かせた。
やさしい食事を求めて立ち寄ったのは大正解。そして自覚したのが、あぁわたしはこういう空間が好きなんだ、ということだ。
世の中には多くのものが溢れている。誘惑だらけ。わたしは誘惑にものすごく負けやすい。最近ついつい”手軽なフード”に手を伸ばしがちだった。空腹じゃないのに。
たくさんの娯楽や食べもの、あらゆるモノがある日々の中でわたしは何かを求めてそれらを手に取る。
だけど心のどこかでは、多くを受け取るがためになんとなく何かを見失っている気がしていた。
わたしは元来「好き」のストライクゾーンがとても狭く、そしてこだわりがないようで実は深く、好きになるととことん好き。自分にしっくりハマるとかなりの幸福感に浸っていく。
ほんとうに好きなものってなんだろう?目の前の誘惑を手にするのと好きなものを手にするのとでは大きな違いがある。
やさしい甘さのトースターを食べて、一度立ち止まってみようと思った。流れゆく数多の誘惑すべてを享受するのではなく、自分のたしかな選択を存分に味わうために。言葉にしてみようと思う。

好きな食べもの

チーズ
野菜、果物
ほどよく甘いスイーツ
添加物が少ないもの
カリカリ、サクサク、ふわふわ

お店選びで何が食べたい?と聞かれると、チーズと答えてしまう。自分の中にそれしか選択肢がなく、最近はもはや「チーズって言ってしまうんですよね…」という答え方になる。お肉とワイン!とか、炊き込みご飯の気分!とかあるはずなのに、いざ聞かれるとこの一択。それくらいチーズが好き。(もちろんチーズ以外の選択肢を楽しみたい、というかチーズを選びすぎてそれ以外が恋しいまである)
あとは添加物が少ないものが好き。原材料を見て種類が少ないものは絶対に当たりだ。ジャンクフードよりはヘルシー志向、だけれど揚げ物もちゃんと好き。問題は素材の味をどれだけ生かされているか、だと思う。商店街に売られている唐揚げとかおいしいよね。
で、話は冒頭に戻る。老舗店のランチ定食やトースト、それらとセットの卵がわたしは大好き。
ヘルシー志向なことには違いないけれど、結局何が好きなのかと突き詰めれば”素材の味を生かしたサクサクふわふわ”なのかもな〜なんて今考えている。

好きな音楽

雨のパレード
iri
あいみょん
LEGO BIG MOAL
ヨルシカ
…etc

イヤホンを家に忘れて外に出るとしょげるタイプ。何かしら聴いていたい。気分によってかなり色々聴く。
その中でも年単位で聴き続けているのはこのあたりかな。最近出会った音楽の中で、またこの先数年聴き続けるかもな〜と思うアーティストもいくつか。
常に何か聴いていたいからAppleMusicでおすすめを辿ることもよくあるけれど、感性が近い人に教えてもらった音楽、好きなドラマやアニメから知った音楽とかはいちばんハマりやすい。自分で探すより圧倒的に”縁が強い”と思う。

今思いつく好きだなーって曲たち。

こう並べてみると自分の好みが分かりやすい気がする。

好きな空間

都市の片隅にある商店街とその周辺
自然の水がある場所

わたしには地元の中でも好きな街がある。それこそ老舗の喫茶店があったり地元の人が長年(おそらく)やってる八百屋さんがあったり個人経営の飲食店とチェーンの飲食店が雑多に立ち並んでいたり、人はそれなりに多いけれど適度なにぎわいと地域感がわたしはとても歩きやすいと感じる。
そこは地元の商店街だけれど、今考えてみれば地元以外でも似たような街が好きだったなあと思う。
洗練された都会というわけでもなく、かといってにぎわいを失ってもいなくて、昔からずっとそこにいる・ある変わらない人やものが独特の味を出す。街が息をしているような場所で、やさしさとかぬくもりというものが自然にあるのだと思う。
都会でしか生きていけないかと思いきやキラキラした景観や人だかりはちょっと苦手で、だけど田舎で居心地よく過ごすこともできない。そんなわたしにはなんだかちょうどよいのだろう。
それからもう一つ、水がある場所が好き。海というよりは遊歩道のような通りに水が流れているとうれしいと感じる。なんたって風が気持ちいい。この空間を思いついたのは、神社のような神聖な場所の浄化される感覚が好きだなあと考えたからだ。好きだと言うほど神社仏閣巡りは全くしていなくて、なんとなく好きだなーと感じる空間として共通しているのは自然の水があることだ。
商店街にしても水のある遊歩道にしても、いろいろなことを気にせずに落ち着ける場所・息をしやすい場所が「好きな空間」だ。

好きなものと誘惑たち

何が好きか、と考えると意外とむずかしい。なんせ移り変わるのだ。これって”今”求めているだけでは?と思ってしまう。ただその中でも、長年好み続けていたりしっかり根拠があったりと自分の中で確固たる「好き」は生まれていく。
そこで思うのは今求めているだけのものは誘惑で、いくつもの誘惑に触れていく中でたしかな好きなものがはっきりしていくということだ。そしておもしろいことに、誘惑でしかないものは後からなんとも言えない気分になることがある。たとえばついついコンビニでおやつを買った時とか。(空腹じゃないのに!)
好きなものにたくさん触れていきたいと思う。どのようにかというと「意識的に」だ。世の中は多くの誘惑で溢れている。それが売り手の戦略だからだ。世の中はけして悪くはない。だけれど自分の感性や気分を何より大切にしたい。それならば積極的に、意識的に好きなものに触れ続けることでそうではないものに目を奪われる隙をなくしていこう。
ずーっと食べ続けてしまうよりも、一日三食とたまにはちょっとしたおやつをとびきりおいしいもの、好きなもので揃える方がいいことづくしだ。

ここまで書いておいてなんだけれど、自分の好きをこうして綴ることにはほんのちょっと気恥ずかしさがある。(好きと誘惑を比べておいてもなお、この好きは”今”だけでは?なんて思うのだ)
かつて、自分の好きなものを綴り続けるブログを書いていたことがある。わたしのその文章を好きだと言ってくれる人もいた。ものすごくヒットしていたわけではないけれど、好きなことを好きなように言葉にすることが誰かに与える影響はそれを感想という形で言葉でもらうととてもうれしかった。
よいことは連鎖する。好きなことをだれかと共有することでしか得られない幸福感もある。好きなことに触れている自分はなんとなく心地よくて大好きだ。
誘惑に負けやすい自分がいる。なんだかもう、それは仕方ないと思う。いつもよりほんのちょっと「好き」を意識して生活してみよう。やりたいかどうかではなく、好きかどうか。それで手に取ることを決めるのだ。来週にはきっと、誘惑が気にならなくなっているかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?