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マンモトーム生検(わたしだけの乳がん物語 #3)


2023/6/9(金) 組織検査

仕事をしてからクリニックへ。後で調べて分かったことだけど、この組織検査はマンモトーム生検という手法だったらしい。最初に別部屋に案内されて、看護師さんからの説明。第一声で履いていた赤いスカートを褒められて、緊張をほぐしてくれようとするその優しさで泣きそうになる。ここで泣いてどうすると思って、なんとか涙をひっこめた。検査の内容と検査後の注意点について説明を受ける。

そして検査。最初にエコーでしこりの位置を確認。局所麻酔して、エコーを当てながら針でいろんな方向からしこりめがけて探っているのが分かる。モニターを凝視して針を見ないようにしていたけど、細胞診の時とはまったく違って、かなり長い指揮棒のようなものが目の端に映る。怖い。しこりに到達するまで体感10分ぐらいかかっていて、少しだけ「技術不足」という乳がんプラザの回答が頭をちらつく。(結果、土下座する勢いで少しでも先生を疑ったことを謝りたい)

麻酔が効いてるから痛くはないけれど、長い棒でけっこうな力でぐりぐりされているのは分かる。モニターを見ながら、胸の組織を吸引している音を聞きながら、とてつもなく悲しくなった。わたしはなんでここに寝て、大きな針を刺されておっぱいぐりぐりされているんだろう。

妊娠中の羊水検査の時もそうだったけど、わたしは女性特有の臓器に針を刺されることにめっぽう弱いみたい。女性という性を突き付けられるからなのか。羊水検査の時も子宮に針を刺して吸い取った。

悲しくて悲しくて、目から涙がとめどなく流れてきて、マスクをしていてよかったと思った。先生「しっかり組織取れましたよ」

静かな止血時間

終わったあと、看護師さんがベッドの傍らに座ってずっと胸の傷口を抑えて止血してくれた。その間、むせび泣いているのがばれないように、ばれないようにと天井を見続けていて、それでも涙はどんどん出てきて、小刻みに揺れているのもばれていると思った。

なんでこんなことになっちゃったかなぁ。頑張って何度も深呼吸。涙を止めて、落ち着いてと心の中で繰り返す。看護師さんが何も言わず、下を向いてずっと押さえてくれている。見ず知らずの人の胸を、血がちゃんと止まるように長い間強く押さえてくれるという行為が本当にありがたかった。

すごく長く感じたけど、5分ぐらいだったのかな。静かで、悲しくて、ありがたくて、なんとも言えない時間だった。そのあと先生に替わって、血を絞り出す。先生「絞り出さないとしこりが大きくなったと勘違いしちゃうからね」。今なんじゃないか。今、聞こう。わたしは寝ながら、処置を受けながらの状態でずっと心にもやもや抱えていたことを質問することにした。

先生への質問

わたしが声を絞り出した時、先生と看護師さんが一瞬静寂となった。涙声で変な声だったし、止血中の質問ていうのも変だったのか、一瞬この人は何を言い出すのかなとシリアスな雰囲気になった。精一杯質問したら、丁寧に答えてくれた。

① 乳管癌を疑うという病理所見があるのにクラス4や5が出ない理由は何か
 →乳がんと一言にいっても、がん細胞はいろんな顔を持っていて、クラスが上がれば上がるほど分かりやすい特徴になるけれど、今回は明らかながんではないからクラス3となったと考える

② エコーを見た感じは先生のご経験からどうか?
 →分かりやすいがんではない

③ しこりは何センチか、これで仮に悪性だとしても早期発見と言えるか
 →1センチに満たない、半年前は変化は無かった訳だから早期発見と言える

聞いてよかったなと思った。最後までぐずぐず涙は出ていたけど、診察室を出る時にその看護師さんに「ずっと押えてくださってありがとうございました」とお礼を言った。「とんでもないです。どうぞお大事になさってくださいね」

右胸は分厚いガーゼで固定された。お会計¥25,000ぐらい。

外に出ると雨も上がっていたから歩き&バスで帰ろうと思ったけど、切開したところがとても痛くて夫に車で迎えに来てもらうことに。何かを話そうとすると泣きそうになってしまって、なかなか言葉が発せない。とりあえず、「痛くはなかったけど、なんか悲しかった」と報告。

息子Aくんもすごく心配してくれた。おっぱいが大好きなAくん。傷の具合を心配しながらも、おっぱいをちらっと見ようとしていてとてもかわいい。

悪性か良性か シミュレーション

組織検査の結果が出るまで2週間。長い、長すぎる。

細胞診

2週間後:結果

10日後:組織検査

2週間後:結果

結果待ちの間も日常生活はあるし仕事もあるし、先のことは考えずに目の前のことを粛々と…なんて絶対ムリ。隙を見ては検索。勝手に拾った情報で一喜一憂してはまた検索。

悪性と良性どちらもシミュレーションしたけど、ほんの少し良性だった場合を想像することが多かったような気がする。「マンモトーム生検 乳管内乳頭症」「マンモトーム生検 良性だった」「細胞診クラス3b 乳管内乳頭症」。

夫に結果を伝えるLINEの内容でさえシミュレーションしていた。どっちなのか。少しの未来でさえも分からなかった。

それでも、この頃には悪性だった場合に備えて基本的な乳がんの治療についての基礎知識は頭に入れていたと思う。西加奈子さんの本を読んだり(立ち読みごめんなさい)、人様のブログを読んだり、入院準備をメモしたり、かかる治療費やお金、保険のこと。着々と乳がんに向けた勉強をしていた。この時点で乳がんには浸潤性と非浸潤性があること、非浸潤は転移しない代わりに病巣が広くて全摘する例もあることを学んでいた。ステージ0なのに全摘。早期発見なのに胸を全部とらなければならないなんて。乳がんて過酷、この印象が強かった。

結果が出るまでのこの期間も本当にしんどかった。でも最後まで頭にひっかかっていたのは「乳管癌を疑う」という病理コメントと、「一日の大事さを知る、先の悪いことを想像しない」。こんな自分になるための転機なのではないかという予感。

子供が生まれてから、わたしの願いは「自分を含めた家族の健康」しかなかった。どんな願い事の時もそれだけを願った。その一方で、もし家族が重い病気だったらという想像をして、勝手に苦しくなっていた。

それを断ち切るように、今を大事に生きる自分になるために課せられた試練なのじゃないか。

わたしたち夫婦は一緒の仕事をしている。夫から事業の資金繰りが苦しいことも伝えられたし、その上で攻めるべく新しく始めようとしている事業の話も聞いていた。大事な時期なのにどうしても情熱を傾けることができてなくて、心の中で「白黒ついたら」を言い訳に、ずっとスマホを見ながら結果が出るまでただひたすら時間を消費すべく、ダラダラ過ごしていた。

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