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天秤が傾いた方(わたしだけの乳がん物語 #4)


2023/6/23(金) 組織検査の結果

変な夢を見る。組織検査の結果を聞く前に“先生”に会ったから聞いてみた。「わたしの病気はなんですか?」先生「寿命は10年縮まるかな」「この病気とは長く続いていくよ」。わたし「それって悪性ってことですよね?」先生「続きはZoomで伝えるよ」

なぜか続きはZoomでやりとりすることになって(夢のお話なのでご容赦を)、また先生に連絡。Zoomでやりとりしようと思っても途中で切れちゃうこと2回。埒があかないと思って、先生がいる聖路加国際病院に行こうと(なぜ聖路加なのか。夢です)、Googleマップで調べて、やっと千と千尋の神隠しに出てきそうな六角形のようなビル、聖路加国際病院に着く。

7階が受付だけど、8階に行ってからオープンスペースのような内階段で7階に(何度も言うけど夢の話です)。受付の眼鏡かけた女性に、先生に会いたい、検査結果の予約時間はまだだけど先に診断された、みたいなことを伝えたら「またあの先生先に言っちゃったの?」と呆れた顔していた。
「なんだ、やっぱり悪性だったんだ」ってところで終わり。

悪性だと告知されたのが夢でよかったと、その時は本当にほっとした。

いよいよ結果を聞きに行く日。現場対応の仕事を終えていったん帰宅。数日前から鼻水ダラダラのAくんは習い事を休むらしい。「この前おっぱいを少し切ったところ、病院に行って診てもらってくるね」「いってらっしゃーい!」と、夫と子供に見送られていざ病院へ。夫も心配しているだろうな。本当に申し訳ないな、と思った。

夕暮れの道中、自転車こぎながらいろいろ考えた。良性か悪性か。
夫に「良性だったよ!!」とLINEするのか、「悪性だった残念」とLINEするのか。どちらもシミュレーションしてたけど、あと数時間後にどちらになるのかまったくわからない状況で、わたしの数時間後の運命を知っている人はこの世にいないんだなと思うと、数秒後、数分後、数時間後、少しの未来ですら確かなものなど何もないんだなと実感。良いことばかりが待ち受けているわけではないから、本当にしんどいことだけど、少し不思議な体験だった。

「がんか、がんじゃないか」
天秤はどっちに傾くのだろう。

結果報告

病院に到着したら1人だけ女性が座っていた。組織検査もその結果報告もあらかじめ決められた日程のみだったから、おそらく彼女も結果を聞きにきたのだと思う。その日通院されていた方々が続々とお会計を済ませて帰っていき、気づいたら院内には彼女とわたしの2人だけが残った。本を読んで気を紛らわす。彼女が呼ばれたのが18時過ぎ。わたしもやっと診察室の前の椅子に通された。

診察室に入る時、ひとつだけ決めていたことがある。それは先生の机の上を見ないこと。ある方のブログに、乳がんになると冊子を配られるからすぐわかってしまうとあった。冊子が置かれているかを見ないように。目線は上に、を決めていた。

前の女性が出てきた。表情は見なかったけど、何か白い紙を持っていたような。そのあと3分ぐらい呼ばれずに待っていると、中でスタッフの方との談笑の声が聞こえる。こんなに和やかなら良性だったのかもとほんの少しだけ期待した。

告知

18:45ぐらいに呼ばれて中に入る。先生もいつもと変わらない穏やかなトーンで迎えてくれた。冊子を見つけないように、どこにも視線をあわせないようにした。

先生「良い話と悪い話があります」

そうか、そっちだったんだな、と思った。

癌細胞が見つかってしまったけど、ステージ0期、いわゆる非浸潤性乳管癌だったこと。でも、がんはがんだから治療しないといけないこと。
良い話と悪い話。

ああ、わたしは乳がんになる方の人だったのか。

続けて先生は、1枚の白い紙に今のわたしの状況、治療の方法、これからは紹介先の病院で治療を行うこと、Hクリニックは連携しながらずっとわたしの予後を診てくださるとのことなどを丁寧に紙に書きながら説明してくれた。

事前にある程度勉強していたから、内容も頭に入ってきていたけど、ステージ0の早期発見でも、病巣が乳管内に広がっていれば全摘する可能性があるということも予習通りだった。全摘するとだいたい”そんなに深刻な状況だったんだ”と思われがちだけど、先生からすると「全部取れる状況で良かった」と思うらしい。

乳がんの一番過酷なところだなと思っていた、非浸潤性で全摘の可能性あり、だった。

大きさ的にも、普通の検診では要経過観察になるぐらいのレベルだったと教えてくれた。見つけてくださってありがとうございますと伝えると、こまめに来てくれたからですよと、どこまでも優しい先生。やっぱり先生の技術力は高かった。細胞診の時、少しでも疑うようなことを思ってごめんなさい。

でも、どこまでいってもがんはがん。そしてHクリニックに通うきっかけとなった左胸にもいくつか影があるから、ちゃんと診てもらいましょうということになった。ただ、可能性としてはもちろん、
・両胸がん
・さらに浸潤してリンパに転移していた
・全身薬物投与
が考えらえるとのことだった。

先生も毎日のように告知をしているけど、非浸潤だと伝えられるケースはやっぱり少ないし、不幸中の幸い、見つかってよかったですと。
先生は、「今日はめいっぱい悲しんで、これからの治療を一緒に頑張っていきましょうね」と言った。

9人に1人が乳がんになる時代。でも残りの8人は生涯乳がんにはならない。わたしはそちら側には入れなかったけど、涙はぜんぜん出なかった。粛々と受け入れたような気がする。

予感通りだったからかもしれない。わたしは大切なことを知るための転機として乳がんを課せられたのか、って感じ。これはこの先の人生をより良いものにしないと、すべてが無駄になるなと思った。

紹介状やそのほか紹介先の病院で治療するための資料を用意してもらった。初診はHクリニックで予約してまた連絡してくれるらしい。これでしばらくはHクリニックともお別れか。

病院を出て、夫にLINE。シミュレーションしていた、悪性の方の内容を送った。

ほんの少しの未来さえ誰にも分からない

乳がん患者となって

ゆっくり自転車で帰った。少し前に病院に向かっていたわたしは、乳がん患者になって来た道を戻ってきた。わたしは何も変わっていないのに、痛いところもかゆいところも無いのに。それでも涙は出なかった。淡々と、乳がんになった意味、何を学ぶべきなのか、それだけを考えながら帰った。

Aくんがお出迎えしてくれて、傍から見たらなんてことない普通の夜だった。夫に結果報告。先生が書いてくれた紙を見せながら、同じように良い話と悪い話をした。

なんとなく、結果が出てからの方が夫のため息が多い気がした。やっぱり夫は最後まで良性を信じていたのだと思う。本当に申し訳ないな。でも、この申し訳なさも、こちらがこの治療を通してどうあるべきかを示せたら、ただの負担ではなくなると思った。何事にも一生懸命に、時間を大切に、家族と向き合って。

テンション上げていこうじゃないか。どんな人だって明日どうなるかわからない。まずはしっかり治療して、根治して、新たなステージを手に入れるのだ。なってしまったものは仕方ない。腹をくくろう、それしかない。

先生が丁寧に説明してくれた

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