20代の女性のパンツについて考えた。
日本中の男性は、大筋で20代女性のパンツが好きである。
本当は「世界中の男性が〜」と書きたかった所であるが、バヌアツ共和国やウガンダ、バチカン市国などの事を全く知らない私が断言するのも憚られると思ったので、今回は日本に限ってみた。
また「大筋で〜」という部分も断言したい所ではあるが、「老女のパンツが好き」というコアユーザー目線まで含めて語るとなるとまた色々と変わって来るし、「幼女の〜」という方には取りあえず一切関わりたくないので、今回はある程度の幅を狭めさせて頂きたい。
という事で「女性のパンツ」のみという表現となると様々な角度で問題も出て来てしまうのでここではあえて「20代」と限定させて貰った。
「20代の女の子のパンツ見れるんだけどさ、どうする?見る?」
こう問いかけられて、断る事が出来る男性はどれほどいるであろうか?
社会的地位や倫理、道徳、羞恥心などのフィルターを外した場合、ほぼ100%近くの男性が「イエス」と答えるであろう。
だが、世間でも言われている通りパンツとはただの「布」である。
それ以上でも、それ以下でもない。
昔、とある女性に
「男性から見て、女性のパンツってそんなに見たいものなの?」
と問いかけられた。
その深みのある問いに少し怯みながら向かい合ってしばし考えて出た私の結論。
それは
「女性のパンツは虹の様なものである」
という事だ。
虹。
それは美しい。
そして、儚い。
美しくて儚い夢への架け橋ではあるが、かと言って「どうしても見たい!」という程のものではない。
しかし、いざ「見たい」という気持ちになったからといって、そう簡単に見られるものではない。
時間や天候、方角など様々なタイミングに大いに左右される。
そんなタイミングの障害をかいくぐってもしも見る事が出来たならば、ほんの少しだけ幸せな気持ちになる事が出来るのだ。
パンツとは、もはや虹と同義語である。
世の男達は、決して布だからと言って見たいわけではない。
その美しく儚く朧げな存在と出会える瞬間に心を踊らせているのだ。
嗚呼美しき哉、人生。
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