帰り道の延長


自暴自棄と同じ速さで歩く、と考えている頃には気分は凪の状態になっていた。

帰りにカラオケに寄って一人で歌って、疲れが取れていた。大きな声を出すというのが、単純にストレス発散になっていたのだろうと思う。

声の出る音域が狭すぎるのと声が通らないけど歌うのは楽しい。人前で歌ったことはないけど自分的十八番はプリプリのM。小学生の頃に母から伝授されたので歌える。

中学生くらいのときも、休みの日に友だちとカラオケに行って、じゃあ2時間後に、と、二人別々に分かれてひとカラをする、というのをたまにやっていたのを思い出す。真っ昼間にカラオケに行って、その後マックに行く、みたいなのが楽しかった。


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帰り道で不動産屋さんの窓ガラスに貼ってある物件情報を眺める。引っ越しの予定はないけれど、週に一回か二週に一回くらいは見ているような気がする。

その日もなんとなく、部屋の間取りと家賃を見比べていた。基本的に、紙に細々と文字や説明があるのを読むのが好きというのはある。


「すみません、!」
みたいな声が聞こえた気がして振り返ると段ボールを抱えた人がいた。
私に話しかけているらしい。
どこかに配達したくて住所が分からなくなって建物の名前とか知りたいのかな、とか考えていると、
「八百屋なんですけどっ〜」と不思議な間でその人は話し始めた。
段ボール箱には「しらぬい」と書いてある。
また柑橘だ、と思った。
しらぬいは、不知火。

その人はどうやら道に迷っているわけではなく、しらぬいが特売なのでいかがですか、と声をかけてきたようだった。
八百屋は2分くらい離れたところにあったと思うけど、八百屋さんが2分の距離を売り歩くことってあるんだろうか、やっぱり配達の途中だったんだろうか。不思議。

不動産屋で立ち止まって割と楽しく物件情報を眺めている人間ではあるけれど、断れない性格というわけでもなく、人に対して疑い深いので、一応値段を聞いたりはしたけど断った。
こちらが買い物をするという心持ちではないときにいきなり話しかけられるのは、少しの時間とはいえ、気持ちのエネルギーを微妙に削られた。

集中して不動産屋さんの紙見てたんだから!と思った。

でも私も別の場面ではそういうことしているかもしれないし、と思うと少し落ち込んだ。


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何かを言うことで、それ自体がネガティブな言葉ではないとしても暴力的になることがある、というのがこわくて、何かを言うことで相手に負荷をかけてしまうのではないか、というのが怖い。

自分の行動で、もしくは何かをしなかったことで、言葉が人を傷つける状況を作ってしまうのではないか、というのがこわい。

自分の言葉や行動の持つ力というか影響力を大きく考えすぎているだけなのかもしれない。


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何個もチャンネルがあるから大丈夫でいられる、
と少し前にスマホのメモに書いていた。

ここで上手くいかなかったとしてもこっちがある、みたいな感じで思ってるからこそ今がんばろうと思えるのかもしれない。


新しいことを始めようと、ほとんど決めていたことを一旦見送ることにした。

今の自分のスケジュールを考えると時間も体力も足りないな、と思ったからではあるけど、
こういう人として見られたい、とか、良いことをしてるね、と思われたい、みたいなのが強くなっていたような感じがしたから思い直したというのもある。

良いことをしたい、というのはもちろんあるけれど、
良いね、と周りから思われるからやるのではなくて、自分の出来ることを考えて探っていきたい。