年末に、おいしい餅をたくさん買ったので食べ進めている。大きく平たく伸ばした形状の餅で、のし餅というらしい。つきたての餅は手でちぎれるくらいの柔らかさでとても美味しい。

1月1日、昼過ぎに起きて餅を食べて、また寝ていて、なんとなく、もんじゃが食べたくなって材料を買いに行くことにする。
シーツとタオルケットの乾燥をしたかったのでコインランドリーに先に行くことにする。
神社の方面だったので待ち時間で初詣に行けるのでは、と思いつき行くことにする。

去年か一昨年に行った時は年明けからしばらく経っていたので空いていたけれど、元日はさすがに人が多かった、人が集まっていた。
でもせっかく気が乗っていたので、列に並びながらぼーっとしたりしていた。
おみくじも引いた。中吉だった。

せっかくなので公園を散歩しようと思って公園に寄った。
凧を揚げている子どもたちがたくさんいた。
シャボン玉で遊んでる家族もいたり、なんだか祝祭のムードというか、お正月の感じを久しぶりに見たような気がした。

家に帰ってもんじゃを作って食べた。美味しかった。

1月2日、夕方にホットケーキを焼いて食べて、そのあとに、またもんじゃを作った。
お正月に関係なく好きなものを作って食べて、なんとなく自由な感じがした。


夜になって心細い気分が強くなる。

昨日の夜に眠ってから少し経ったときに何かが落ちる音みたいな音が聞こえて目が覚めてしまって、そのあとも変な物音みたいなのが気になって眠れなくなったのを思い出す。
なんか嫌な予感みたいなのを感じて、寒々とした気持ちで、珍しくいやな気持ちだった。

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ツイッターを見たりインスタを見たり、あてもなく指がさまよっているような感じの時を宇宙迷子と私は呼んでいるけれど、そんな感じになっていた。

なんとなく思いついて鷲田清一の本の書評とか対談の記事とかをいくつか読むに至って、気分が落ち着いてきた。

気をつけてないと心がポキっと折れてしまいそう、できるだけ思い詰めないように、気をつけます。

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頑張ろう頑張ろう、と思うたびに気持ちは少しずつ疲れていて、ただでさえ体力がなくてすぐに疲れるのに、いつの間にか気持ちもよわよわになっている。


これもできる、絶対できる、と思うことは、たぶんできない、何もできない、という気持ちになるのと背中合わせで、
自信が過剰というか大きくなりすぎたり、その反面で、もう駄目かなあと思って何もしたくなる。

自分にできることは大きくないけど、それでもひとり分はある、ということを思っていたい。


自信が過剰な時も全然ない時も考えが大きくなりすぎているのかもしれない。もしくは狭くなっているのかもしれない。

今年はがんばりたい、辰年生まれだし、とか気合いを入れているけれど、同時にそんな自分に疲れている。

一年間で色々できると思いすぎず、2、3年とか10年くらいかけるくらいの気持ちでいようかな、と思ってます。

謙虚に、本当に謙虚でいたい。
自分に優しく人にも優しくいたい。


機械化が進むほど、人も機械のように動くことが求められるのだろうか、みたいなことを考える。
より速く、常に正確に、と。
でもそれは無理ですよ、無理なんですけど、と突っ込みたくなる。

そっちに合わせようとするのはできるだけしないようにする。速さや正確さを競うことではないところで頭や心や手足を使いたい。


好きな人が今どうしているか、何を考えているかを考えること、働くとはどういうことかを考えること、戦争について考えること、
どれもつながってはないけどつながってる。

心がギシギシする。
お腹の中がひっくり返りそうになったりする。

はらわたが煮えくりかえる、という言葉に初めて納得がいくような気がした。
でも私がお腹の中がひっくり返りそうになる、と感じる時は、怒りの感情に限らず、感情が動かされて自分の基盤みたいなものが揺るがされる、みたいなことも含まれる感じがする。


色んなことめっちゃ考えたいんです、私の集中力をなめんといてください、みたいなことを思うと同時に、ずっと布団の中で寝てたい、と思う。

どうなることやら、まだがんばれる?と気弱になってる、やっぱり年末年始は苦手なのかもしれない。

強気になってる時も弱気の裏返しで不安に飲み込まれそうになる。

行ったり来たりで、同じところをぐるぐる考えているだけなんじゃないか、という気分にもなってくる。

でも同じこと考えたりしてもいいんです、大丈夫です。
自分が大丈夫ってことも、大丈夫じゃなくても大丈夫ってことも、心の中の引き出しの、上のほうの取り出しやすいところに入れておきたい。


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お腹が空いてきてしまった。
まだ残っている餅を食べるか悩む。

食べてもいいし食べなくてもいいし自由だよ、
でも自分でいちいち決めなきゃいけないから疲れるんだよ!
と、忙しい。

自分を急かさず、人を急かさずいたい。

大丈夫かな、大丈夫なのかな、と思いながら進むくらいがちょうどいいのかもしれない、そう思っておくことにする。