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ドルフィンキック 第1話

とてもよく晴れた夏の日。
まだ朝10時だというのに外には大きな入道雲が出ている。

誰もいないリビングではテレビがつけっぱなしになっている。
流れるニュースで日本の東の海上で台風8号が発生したと伝えている。

「岬ー!今日はお父さんの命日よー!お墓参り行くでしょー」

黒い瓦屋根のとても大きな日本家屋。
仏壇には漁師姿の中年男性の写真が飾られている。

「もう、岬ったら何してんのよ。渚、ちょっと呼んできてくれる?」
「ん、了解」

リビングを通り抜けて階段方面に移動していくとつけっぱなしのテレビがあった。

「お母さんテレビつけっぱ!」
「ごめんね、消してちょうだい」

ニュースではこの台風は進行が早いと伝えている。

全然ニュースを聞いていない渚はブチっとリモコンでテレビの電源を切った。
トントンと階段を上がって行く。

その頃2階ではスマホを片手に文字を読んでいる岬がいた。

「ちょっと岬、まだなの…」
渚が麩を開けたその時。

「え〜〜っっ!!」

「渚どうしよう!大地先輩が今日帰ってくる事になっちゃった!」

部屋にいた岬が顔を赤らめて明らかに動揺した表情を見せている。

岬の大声に驚いたものの渚は少し呆れた表情で言った。

「大地?あいつ週末に帰って来るんじゃなかったの?」

「台風が来てるんだって!待ってたら船が出ないかもしれないから早めたって!」

「台風?また?こないだ7号が行ったばかりなのに?」

「知らないけど、どーしよお姉ちゃん!」

「どうするもこうするも…」

「ねぇ大声出して、どうしたの?」

2人がなかなか降りてこないので母の美波が2階へ上がって来た。

「お母さん、大地先輩今日帰ってくるっって!」

「あら〜大ちゃんが?いいとこ就職したんだって?立派になったかなぁ?お母さんも会いたいわぁ」

「大地のヤツあたしと同級生のくせに岬にだけ連絡するとは水臭い」

「それで大ちゃん何時の船で帰るって?」

3人で岬のスマホに目を落とす。

「。。。」

ドダバタっと岬が階段を駆け降りて行った。

「やれやれ昔からわかりやすいんだよー岬はぁ」

「ふふふ。振られちゃったわね。お父さん」

(写真立ての中の父、渡辺洋一の目にトホホの涙)

ここは長崎県五島市美良来町(ミラクルちょう)。
その昔は遣唐使が帰港したと伝えられる古くからある町だ。

岬が海岸近くを猛スピードで走り抜けていく。

キラキラと光る水面。
透明度の高い海が見える。

白い砂浜が夏の光でさらに白く輝いている。

遠くに石碑があり、「海豚の碑」と書かれていた。

汗が吹き出し、息が上がる。

でも岬は大地に会いたいとの想いだけで走っていた。

「もう!大地先輩のバカ!」

LINEの文章によると仕事終わりに一睡もせず帰ってきたため、

事前に連絡もできず、船に乗ってから爆睡していたためあと10分で港に着くという事だった。

岬の家からはおおよそ15分から20分ほどかかる距離だ。

「これじゃあ久しぶりに会えるのに汗だくだよー!」

「こうなったら近道だ!」

叫びながら海が近い小道の方を選び駆け抜けていく。

ふと海から風が吹いてきた。

何か声のような音が岬の耳に入った。

岬はビクっとして立ち止まった。

『アレル…ウミガ…』

「海が荒れる?」

「やだな。また聞こえちゃった」

岬にはまだ人に話せない秘密があった。
それは海の声が聞こえるということ。

小さい頃、母の背におぶさり海の側で風を感じていると風に乗って海の声が聞こえてきた。

『オキニコイ…タイグンダ』

まだ言葉を話せない頃で岬は不思議だった。

岬にははっきり聞こえているのに側にいる渚や美波には全くその声が聞こえていないようなのだ。

10年前に父が亡くなった時もそうだ。

『ソノオトコ…カエサナイ』
『イノチハ…モラウ…』

いつものように漁に行く父を見送った日だった。

港で渚と美波と岬で手を振っている時に聞こえてきた。

恐ろしかった。

渚や美波にその事を伝えようとしたが恐ろしくて話せなくて誰にも伝えられないままだった。

そしてその日父が帰って来ることはなかった。

今日のように一見穏やかそうに見える海だが遠くの海上に台風ができている日だった。

海の中で波はうねり、父の漁船は飲み込まれ遺体はついに見つからなかった。

岬はあの声の通りになってしまった現実にショックを受けた。

「あの日もしこの声のことを話せていたら…お父さん生きていたかな?」

しかし父の死を予言したような声の存在をどのように説明すればいいのか岬にはわからなかった。

しかもこの声が聞こえるのは自分の周りには誰もいないのだ。

岬は誰にも相談できずにずっとこの声の謎を抱え続けていた。

この声の正体はわからないのだがヒントは掴んでいた。

それは海の近くにいる時によく聞こえるので海の何かである気がしていた。

岬はこの声を「海の神様」と仮定して、自分だけでそのように呼んでいた。

「海の神様、今急いでます…!今は話しかけないで!」

岬はそんなことを思いながら先を急いだ。

フェリー乗り場には30分くらい前に船が着き、出迎えの人が何人か来ていた。

大地と一緒に船に乗ってきた人は観光客っぽい人達と50代くらいのおじさんだった。

大地も船から降りて古びたベンチに座りスマホをのぞいた。

大地の母である実里のLINEにも連絡したのはほんの1時間前だった。

仕事を中抜けして急いで迎えにくる、と書いてあった。

岬のLINEを見たが既読になった後は何も返信はなかった。

「岬…背また大きくなったかなぁ?」

大地は東京に上京した日に送りにきた岬の姿を思い出していた。

確かベンチの側にある木のこのくらいの位置に頭があったような…。

その時フェリー乗り場に赤い軽自動車が入ってきた。

ザザーっと砂利を蹴散らして急停車すると運転席から実里が降りてきた。

「大地ー!お待たせー!」

「母さん!」

「急に帰ってくるからびっくりしたわよ」

「悪い悪いバタバタでさー」

「これ荷物かい?先に車で運んでおくよ」

「ん…ぉお悪い」

「連絡したんだろ?岬ちゃんに」

「ぁぁ…したした」

「じゃぁ一緒に歩いて帰って来なって(暑いけど)。
あの子ずっとお前がいつ帰ってくるかって聞いて来るんだよ」

「…う、うん…」

「大地センパーイ!!!」

遠くから岬の声がする。

「おお!岬!」

「そいじゃお母さんは退散するよ。しっかりね」

「母さん、なんか考え違うからな!」

「もぉ照れ屋ねぇ〜」

実里はニヤニヤしながら車に大地の荷物を積み入れた。

「岬ちゃ〜んまたね〜」

「実里おばさん!またね!」

港に続く階段を見下ろすと岬の視線の先には大地が立っていた。

「よ!久々だな」

「先輩…!」

岬は嬉しそうに手を振って駆け寄っていった。

大地が上京してからというもの定期的にLINEはしていたが会うのは初めてだった。

抱きつかんばかりに手を広げて走ってくる岬の頭を大地は鷲掴みにし、わしゃわしゃっと撫でた。

「やっぱりまた背が大きくなったな!」

「きゃぁ!先輩!もう!せっかく髪整えて来たのに」

「え?そうなの?でもぐちゃぐちゃだったぞ」

「それは走ったから!」

2人とも笑顔が溢れた。

岬は大地にべったり懐いていた。

父を早くに亡くし岬には身近に頼れる男性はいなかった。

ある日岬がどんぐりを集めながら下校中、道端にいる毛虫が怖くて道を通れずにいると、大地が毛虫を片付けてくれた。

またある日は岬も渚も風邪で学校を休んだ時、2人分のプリントを持って来てくれた。

渚には給食で出たコッペパン。岬にはどんぐりだった。

そんな優しさを持つ大地が岬にとってどんどんかけがえのない存在になっていった。

さっきまで晴れ渡っていた空の向こうに黒い雲が見えてきた。

岬はふとあの言葉を思い出した。

『アレル、ウミガ』

「先輩、今日は早くお家に帰ろう。疲れたでしょ?」

「そうだな。母さんが荷物全部持って行ったし、東京土産は明日渡すよ」

「やったー!東京に暮らせて羨ましい!きっと何でもあるんだろうな」

「はは…まぁな。岬は来年は高校卒業だろ?どうするの?渚や美波さんみたいに介護士として病院で働くのか?」

「ううん…。あたし東京に行きたい。でも進学じゃなくて就職したい。」

「たくさんお金稼いだら仕送りして、2人にうんと楽させたい」

「東京に出たって稼げるとは限らないぞ。あっちだって厳しいんだから」

「そうだけど…」

岬が東京に行きたい理由なんて、大地がいるからに決まっている。

だがそれを本人に言っていいのか岬はわからなかった。

将来の話をされても岬にはこれといった夢もなく、大地の言う通りで東京に行っても稼げるわけではないだろう。

「東京では毎日目まぐるしいぞ。うちの部署は水産科で世界中の魚を取り引きしてるから色んな国から問い合わせがきて、俺なんか全然対応できないんだ」

「大地先輩、英語喋ったりするの?」

「いいや、全然。かろうじて一言二言言い返せるくらいだ。」

「やっぱり東京に出るならもっと勉強しなきゃ無理かなぁ…」

「岬の得意な事って何だ?そういうのを活かせば別に勉強が出来なきゃってわけでもないだろ」

「うーん…そんなのがあればねー」

2人が歩いていると風が強く吹いてきた。

黒い雲がわいてきたようで、今にも雨が降りそうな天気になってきた。

「岬、少し急ぐか。雨が降りそうだ」

「そうだね、なんか海も荒れるらしいから早く帰ったほうがいいね。」

「そうか、船では海は穏やかだったんだけどな。ニュースで言ってたのか?台風来るって言ってたもんな」

「うん、まぁ、そんなとこ!」

岬は海の神さまの声だとはとても言えなかった。

2人が急いで歩いていると

『助けてくれ』

という声が聞こえてきた。

岬がピタっと足を止めたのを大地は不思議に思った。

「どうした?」

「海の方から声が…」

「声?」

そう言い残して岬は海の方へ走って行った。

「おい!海が荒れるんだろ?行くな!」

大地も後を追って海の方へ向かった。

岬には確かにはっきり声が聞こえてきた。

息苦しそうな感じて、「助けて」と。

「先輩、誰かが助けてって呼んでる!だから行かなきゃ」

「岬、待て、助けてなんて聞こえなかったぞ」

「早く行かなきゃ‼︎息が弱ってる感じがした‼︎」

岬と大地は海に続く小道を海岸の方へ降りて行った。

切り立った岩肌が多く、間に砂浜があるような場所だ。風は次第に強くなってきている。

岬が砂浜に降りた。

辺りを見回している。

「岬、あれ!」

大地が指さした先には一頭のイルカが横たわっていた。

金色に光っている。

「金色のイルカ?なぜ光っているんだ??」

「助けてってこのイルカの声だったのか??」

「私にも分からないの。でもこのイルカを助けたい」

2人はイルカの帯びれを動かしてみた。

「重すぎる!イルカなんて大人数いないと運べないぞ」

「それに会社の研修でやったけど、野生の生き物に素手で触ったりするのも危ないんだ。病気を持ってるかもしれないから」

「岬、諦めよう。潮が満ちてきているからそれに乗れば沖に帰れるかもしれない」

「弱ってるから見過ごせないよ!海水をかけてあげなきゃ」

2人がイルカのまわりで右往左往しているとまた岬に声が聞こえてきた。

『波を呼んでくれ!』

「波?呼ぶってわたしが?」

『いいから早く呼べ』

「ぇええーどうすればいいか教えて!」

大地はなぜ岬が急に1人でしゃべっているのか不思議だった。

「岬、お前、イルカとしゃべってるのか?」

『念じろ!私の声が聞こえている者なら呼べる!』

「念じる…心から思えばいいってこと?」

『いいから早くやれ!』

「わかったよ!」

岬は手を合わせて、波の方を向いた。

「波よ、来て!」
「このイルカを海に返して!」

岬は心の中で強く念じた。

強く吹いていた風が一瞬さらに強風となりあたりにゴォと吹きつけてきた。

次の瞬間、これまで打ち寄せていた波の数倍の高さの波が浜辺めがけて押し寄せてきた。

「なっ…」

大地は言葉を失った。

岬も目を開けて大きな波をみている。

「これ私が呼んだの?」

「岬、一発波だ!逃げるぞ」

大地が岬の腕を引いたその時には、どっと押し寄せてくる波にイルカと一緒に飲み込まれた。

波の凄まじい力で岬と大地はあっという間に海に飲まれてしまった。

辺りはどんどん雲が出始めて雨まで降ってきた。

さっきまでの晴天から一転して嵐の様子を呈していた。

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