AURA-first visit

よいしょ。少し落ち着きました。

もう先週になりますか。音楽支援ボランティアのことを。


先に言ってしまうと、「復興はどこからで、どこまでなのか」ということが、今も頭を巡ります。

今回伺ったのは益城町。かなり被害が大きかった地域です。
車を走らせると、九州では伝統的な造りなのでしょうか、瓦屋根の建物が軒並み崩れて、大きなビニールシートがかけられている状態でした。(ジャーナリストではないので伝え方がわからず写真は撮ってないですが、そのような現状。電柱も斜めで、ギリギリ保っている、という印象です。)

しかしながらほとんどの方が仮設住宅に移ることができていました。一応のプライバシーは確保できたような状態でしょうか。そのためあまり多くの方にはお会いできていないのですが、中にはもう5ヶ月もここにいる、と体育館で寝泊まりしている方もいらっしゃいました。一度移った仮設住宅も、住みづらくて戻ってきてしまった、とおっしゃる方も。

仮設住宅に移ることは、まったくもって"復興"とは別であって、"復興"ではないんですね。復興に向ける準備が整ってきた状態、とでも言えましょうか。"家のようなもの"に、一旦は帰る場所ができるわけですから、あくまで"仮設"。そこからやっと復興がスタートしていくわけです。

そういう意味でいうと、思った以上に全っ然復興なんてしてなくて。まだ5ヶ月だからそりゃそうだと思われる方が大半かもしれませんが…私のイメージは甘かった。本当に。

かなり衝撃で、動揺したまま、体育館へ。

体育館では、段ボール製の更衣室へのペイントと、音楽のコラボレーションをさせていただきました。
DJ DAICO,美耶子,DJ KINGと音を出す中で、美術家の松岡友ちゃんが子供達と一緒にペイントしていく。子供達も喜んでくれました。よかった。

また来るね、って約束して、体育館を後にしました。

その後は、河原小学校での夏祭りのお手伝い。
わたあめ作るの手伝ったり、みこしへのペイントを子供達と一緒にしたり。AURAメンバーの飛行機の都合で、最後までいられなかったのが非常に残念でした。

みんなでおみこし作り。

甲子園球児がピッチングを披露してくれたり、和太鼓の一糸乱れぬ演奏の迫力と美しさに感動して、思わず涙が出ました。まさに高校生の青春をかけた日々の賜物ですね。海外での公演も決まっているとのこと。心から尊敬。

熊本の人は、勢いがあるなと、簡単な言葉ながらひしと感じました。
熊本を盛り上げよう、ってみんな思ってるし、悲観するばかりじゃなく前を向いている。子供達がそうなんです、きっと大人がそうだからなんだと思います。

たくさんの人が熊本に遊びに行って、美味しいもの食べたり、楽しんでくれるのが1番嬉しいと言っていました。美しい人と町があります。できることなら、一度は足を運んでみてもらいたいな。


福島や仙台、岩手とかももしかしたら、同じなのかもしれないなと思って。5年も経つけれど、5年しか経ってなくて、もしかしたら何年か前から動いていないかもしれない。
たとえ年月が経っていても、仮設住宅にいられることは復興ではないんですよね。だって仮設じゃない家があったんだから、そうやって暮らしたいんですよね。それが普通だったんだから。そうやって暮らせるようになることが復興なのかなとも思います。個人の暮らしをまた守ることができるようになれば。
ほら、補助金を打ち切るとか、あるじゃないですか。今もそこに暮らす人々が、ひとつ区切りをつけられること、いかに不安で酷なことか、容易に予想ができます。そんな状況でもきっと力強く生きていけてしまうのが人間であり日本人だったりするのだから、ずるい人はずるくなっていってしまうのだろうなと、ぼんやり思いました。
やっぱり暮らしている町には愛着を持つものだし、責任ある立場であればあるほど、他の場所に移ることも難しい。であれば残る人のサポート、しかるべき人がどうにかしてあげなくちゃ。何やってんだよ、とね。


歌を歌ったあとに、今も体育館で暮らすおばあさんとお話ししました。

「みんなが来てくれて、歌ってくれて幸せだ」と、おっしゃいました。その言葉で私も幸せになった。本当は、ずいぶん迷っていたけど、行ってよかった。ありがとう。


冒頭で書いた「どこからが復興で、どこまでが復興か」ということ。これはおそらく、ひとつ長く時代を見ていかないとわからないことだと思います。
でもね、あんなに元気で美しい人がたくさんいる熊本なら、絶対に大丈夫と、なんとなくの確信があります。私はできることで支えていこうと、改めて。

ボランティアヴィレッジの皆さんも、お世話になりました。ありがとう。

また、行くね。

#prayforkumamoto
#AURA

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