仕事とは何か?
645年 大化の改新
蘇我蝦夷・蘇我入鹿の親子は、聖徳太子の子であった山背大兄王を滅ぼして権力を一手に握ろうとした。中大兄皇子は中臣鎌足とともに、その蝦夷・入鹿親子を滅ぼして中央集権を目指した。
皇極天皇の前で蘇我入鹿を討った中大兄皇子は、後に、天智天皇となる。
歴史では、
登場人物を整理しやすくするために、天智天皇という呼称を使っています。その「天智」という呼び名は、その天皇がなくなってから送られる名前で、「諡(おくりな)」というものです。
「諡」は、
基本的に天皇がなくなったときに、その天皇の人柄や業績、好みなどにちなんだものが学識経験者によって選ばれ送られました。
たとえば、
平安期の中頃に醍醐天皇という天皇がいます。
なぜ「醍醐」かというと、この天皇が醍醐という食べ物がとてもお好きだったからだとも言われています。「醍醐」というのは、牛乳を煮詰めて作られるチーズのような食べ物です。
「諡」がどこから与えられたのか?
を知ることでその天皇がどういう人物であったかを推測することができるのです。
歴代の天皇の「諡」はどこから取ったのかということを全部克明に調べた人がいます。それは誰かというと、明治の文豪として知られる森鴎外なのです。
基本的に天皇の諡は中国古典から取られたものであることはわかっていたのですが、それがどのような古典のどの文章から取られたものなのかということまでは、長い間わかっていませんでした。
その調査を晩年の仕事として取り組んだのが、森鴎外だったのです。
森鴎外は天皇の諡の調査を、誰かに言われてやらされたのではないだろう。これは私の人生の仕事だと捉え自ら取り組んだのであろう。
このように本来、仕事とは
人から与えられるものではなく、
自らが選び、自らが取り組むことであろう。
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