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「背伸び」という不便益

大人に憧れた20代

自分の20代の頃の写真を見ると、やっぱりどこか変だ。どれも凄く楽しそうだが、バブル景気をかじっているせいかいちいちどこか少し派手め。
僕もゴルティエやドルガバのダブルのスーツで出かけたりして、夏は夏でビーチでめっちゃブーメランパンツ(笑)。
僕は高校卒業と共に一人暮らしを始め、ボンビーなバイト暮らし。バイト先のパルコではマヌカンのお姉さん達に緊張し、少し歳上の大人に憧れて、背伸びしてDCブランドの服をマルイのクレジットで買っていたっけ。あの頃は洋服代で毎月10万円くらいのローンを払っていたと思う。

僕の18-21歳頃の「大人ってカッコいい」という気持は一体いつなくなったんだろう?
自分が変わったのか、バブルと共に居なくなってしまったのか、自分の周りにカッコいい大人がいなくなったのか、はたまた年齢のせいなのか。

背伸びした買い物

買い物の仕方についてはここ数年で特にすっかり変わったなぁ、と思う。
近頃は百貨店などで商品を購入する機会はデパ地下以外滅多に無くなった。欲しいものはネットで市場価格を確認してからamazonや楽天などでクチコミを読み、更にメルカリで料金を調べてからやっと購入。
このくらいの歳になるとそうそう「一生モノというものは無い」、とわかってくるし、服などワンシーズンに2パターン位で充分。デザインよりも機能性重視。そもそも自分も古びてきたから新品でなくとも中古でも問題なし(笑)

若い時分に色々背伸びした買い物や散財したことに後悔はない。「そんなに良く知りもしないで、結構高いのに何で買ったんだろう?」と我が家の押し入れには、大蔵陶苑のカップ&ソーサーやブランドものの陶器、指輪や時計など20代で買ったものが結構しまわれている。僕の20代は、カッコイイものは今みたいに全然安くなかった。
ただ少し背伸びをした買い物は、商品を手に入れた時、「大人になったような気分」が味わえ、嬉しかった。けれど若すぎてそれらを上手く使いこなせなかったりして気がつけば押し入れ行きに。

ムリしたからこその思い入れが。

でも今振り返ると、若い頃の背伸びはとても懐かしくて、ほろ苦い恋の思い出に近いその感覚は決して悪いものではなく、モノを大切に扱い、最後までを面倒みよう、という気になる。

100均文化やメルカリ文化を否定するつもりはないが、「何となく買ってしまう」「使い捨ててしまう」のではなく、「色々思い悩み、算段して多少無理して買った経験」は大切な〈不便益〉ではないか、と今思える。
今そうした思い出のショップたちもお店をクローズしたりして寂しい限り。

気がつけば自分も、やっと思い出の品物たちを使いこなせそうな年齢になってきたなぁ、とそろそろ昔買ったものを引っ張り出してみようかとふと思う今日この頃だ。

F.O.B COOP閉店で伝えたいこと 益永みつ枝さんインタビュー

※「不便益」とは、文字通り「不便の益(不便から得られる益)」という意味。「便利にすること」を追求してきた時代から「AI生活では得られない人間らしい益」を考える点で、今僕が気になっているワードです。

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