La Bamba/LOS LOBOS #68

La Bamba/LOS LOBOS
ラ・バンバ/ロス・ロボス
1987


ラ・バンバは、メキシコの民謡を元に、ロックのテイストを取り入れてアレンジされた楽曲。1950年代から1980年代にかけて様々なアーティストにより世界的にヒットした。
ロス・ロボスはアメリカのロサンゼルスを拠点とするバンド。メンバーはメキシコ系アメリカ人で、ロックにメキシコ音楽の要素を取り混ぜたサウンドが特徴。

数多くある"ラ・バンバ"の中で全米1位を獲得したのは、ロス・ロボスが歌ったものだけ。


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1987年に公開された映画「ラ★バンバ 」。
主題歌は、ロス・ロボスがカバーした"ラ・バンバ"。

私はこの映画の内容を知らなかったので、調べてみた。


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『ラ・バンバ』(La Bamba/1987)は、スターになった矢先の飛行機事故でわずか17歳の若さで伝説となってしまったリッチー・ヴァレンスの青春と恋、家族と兄弟愛、そして音楽への情熱を描いた映画。

1941年5月13日、LA北部の町パコイマで生まれたリッチーにはメキシコ人の血が流れ、貧しい移民コミュニティの中で母親の女手一つで育つ。若者になったリッチーの夢は、明日のロックンロール・スターになって、農場で働く母親とまだ幼い妹たちにマイホームをプレゼントすることだった。

やがて、南カリフォルニアで暮らすようになり、新しい高校生活が始まったリッチーは、美しい金髪の女の子ドナと出逢って恋に落ちる。彼女の父親はリッチーを差別の眼差しで見つめるが、ドナはリッチーのもう一つの夢となった。

地元のバンドのメンバーになったリッチーは練習に励みつつ、やがて自分のバンドを結成。母親や兄の注力もあり、町の公民ホールでデビューコンサートを開催する。コンサートではトラブルもあったが、ドナとの距離は縮まり、レコード会社からもスカウトされる。

1958年に「カモン・レッツ・ゴー」でレコードデビュー。そこからリッチーの人生は変わり始める。セカンドシングル「ドナ」/「ラ・バンバ」は大ヒット。ドナとの恋も順調、念願のマイホームも母親にプレゼントすることができた。

その後、リッチーはアラン・フリードのR&Rショーに出演。エディ・コクランやジャッキー・ウィルソンらと共演。ティーンの観衆から絶賛と歓喜の声を浴びる。この夜、彼は本当のロックンロール・スターになったのだ。

クリスマスに地元に戻ると、母親が盛大なパーティを開いてくれた。だがリッチーにはスターとしての過酷なスケジュールのツアーをこなさなければならない。ツアーの途中、確執のあった兄と電話で和解するリッチー。それが家族が聞いた最後の声だった……。


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1959年2月3日、アイオワ州クリアレイクでのツアー後に搭乗した飛行機が悪天候により墜落。同乗していたバディ・ホリー、ビッグ・ボッパー、パイロットの3名と共に死亡した。17歳没。一度に3人のロックンローラーが死んだことでファンに衝撃を与えたこの日は、後にドン・マクリーンの曲『アメリカン・パイ』内のフレーズにちなみ、「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。

リッチーの死後「ドナ」は全米2位、「ラ・バンバ」は全米22位を記録した。

スターとしては1年余りの短い期間でありながら、2001年にロックの殿堂入りをはたす。
同じ年に、マイケル・ジャクソン、ポール・サイモンが受賞している。
そこに名前を連ねるなんてすごい。

こんな深い話を知らずに陽気な曲に元気をもらってたんやなぁ。

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