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不「自由」に生きる。

最近、某携帯ショップのCMで、自由に生きよう! みたいなのが目に付く。

今日はそれについて私の感じたことのお話をする。

自由は、実はそんなにいいことでもない。私はもう社会人で働いていて、少しは人生についていろいろな決断をして、(大げさな物言いだけど)ここまで生きていた。
けど、それは自由な時もあったし、不自由な時だってあった。

例えば、私は高校に入ったとき、運動系の部活に勧誘され、一度その部活に入ることを自分で決めた。
でも、運動系の部活はいろいろとお金がかかったから、結果的に文科系の部活に私は入った。
そのことに対して、当時から恨みとか後悔はなかったけれど、これはどちらかというと不自由って言えるだろう。

これと同じように、私たちの人生は、よっぽどのことがなければ不自由で進んでいく。義務教育もそうだし、家庭の経済環境だってそうだし、自分一人でやれることのほうがきっと少ない。
今となっては、全部不自由、学校から会社から結婚から死ぬまで、全部不自由だけど安定して決められた道ならばそのほうが楽なのではないかと思ってしまう。

だから、あのCMがどの層に対して発信しているのかはわからないけど、今までの不自由が維持できなくなってきているから、自由に生きるしかなくなったんじゃないかなと偏見な目で見てしまうのだ。

昨今、多様性は確かに広がってきた。インターネットを使えば一通りのことはできるし、自分で自由に情報にアクセスできるから、自分で乗り越えることができる。

その代わり、自分でやらなきゃいけないことも増えた。それは自分でできるから、いままで人がやっていたことも、自分で。

ここまでは一個人での考えだったけど、今ではそれが世間に広がってきていて、だから不自由を減らす方向に流れているのだと感じる。

だから、私の今年の目標は自分で生きる力をつけること。きっと、そのうち、一人で生きていける力が絶対に必要になると思うから。

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