男であることの逃れがたい運命、終わりの始まり: 「鎌倉殿の13人」
そりゃあいずれ弟・義経を殺すし、従甥の義高をも殺すんだから、忠臣を
殺すくらい朝飯前なんだろう、頼朝的には。
上総介が謀反に加担したのが見せかけの策であった、というのが史実かどうかはわからないが、義時の焦燥と悲哀はいかばかりであったか。
彼の頼朝に対する何かが修復不能なレベルで壊れた瞬間だ。
愛妻・八重が無事に身二つとなって、安堵も喜びもあっただろうけど、
わが子を抱いた義時の涙は、「こんな濁世に、それも男子として生まれて
しまった」 子に対する複雑な感情の発露に思えてならなかった。
血に縛られ、身分に縛られ、男であることに縛られた彼らに、「逃げ出す」
という選択肢はない。
男と女、どっちがハードでイージーか、などとナンセンスなことをいう
つもりはない。
男が強く残酷であらねばならなかったのと同様、女も美しく非力であらねば
ならなかった時代の話だ。
人望よりも恐怖政治がまかり通った、ある意味単調な世の話だ。
前近代と現代とでは倫理観がまったく異なるにしても、毎日のように世界を
駆けめぐる悲惨なニュースがオーバーラップして、とてもではないが 「神回」
だなどと評する気にはなれなかった。
人の上に立つことが、冷酷な強者であること一択であった時代にあって、
頼朝にも苦悩はあったことだろう。
それにしたって、大泉 洋の株は暴落じゃないだろうか。
もうちょい、孤独な小心者としての悲哀を感じさせる芝居をしていれば・・・
って、脚本や演出次第だろうけど。
(うちの家族は口をそろえて、大泉 洋のことを 「ちゃらんぽらんっぽくて
芝居がくさい」 という。ひどい)
小栗 旬の方が圧倒的に芝居が上手い、ってあたりまえか、主役はこっちだ
もんね。
義時が今後どんなふうに源氏の破壊者へと変貌を遂げていくのか。
見たいような見たくないような。
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