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朝通達:おめでとうの意味、わかってますか?

最近仕事で「何に対してのありがとうか考えながら発しなさい」って通達がきてるんですよね。
知るか、口から勝手に出てんやわ。まあ多分お客さんが質問に答えてくれたことに対してとか、そういうミクロな単位での感謝だと思います。

まあ確かに、何に対しての言葉かって突き詰めることは結構大事かもしれない。すみません、が実はありがとうの意で使われているとかは有名な話ですよね。

じゃあ、おめでとうは?

これはなかなか取り違えることないよな。
芽出る、愛でるからきた言葉という説もあるけど、どちらにせよ自然発生的なものではなく、何か具体的な事象があって、それに対する祝福の意をあてがうわけで。
普段この言葉を使う文脈に悩むことはない。
「あれ取っといたよ!」
「おめでとう!」
なんて会話が交わされた暁には義務敗の文字が背後にひたと迫る。

おめでとうは正確だ。そうなんだけど。
このフレーズ、てめーはダメだ。


「引退、おめでとうございます」


違和感があるかと言われると首を捻ってしまう。文面上、何の疑問も浮かばないとは思う。
だけど、この"引退"の二文字が、誰かの春に、やっと見つけた安寧に、微かに差した希望に、区切りをつけるものだったら。
「何らめでたくはねーよ」と返されるのは、まあ、必然かもしれない。
実際言われました、昨年。せっかく送ったのにケチつけなくてもいいじゃんね!!
でも、確かに自分でも「?」って思ってはいたんだよな。幕引きを1分でも1秒でも先へ、と望んでいる姿を3日間目の当たりにし続けたもんだから。

でもね、そんな「?」の正体を、2個下の学祭という今日、見破ってきました。

私は後輩のことが大好きで、いつもお世話をしてもらって生きているんだけれど、この時に言う後輩には1個下2個下含まれております。

1個下は何だろう、能動的で、やりたいこと、行きたい先がハッキリしてる。
大学生活滑り出しからお預けを食らって、ひたすら待って、時には不安になってやけになって、それでも音楽をやりたい!と粘り続けた子達だった。意欲は十分。残り時間は不十分。
私の推測なのだけれど、そんな環境だったから焦燥感に付き纏われていたんじゃないかな、意識的にしろ無意識的にしろ。
引退を目前にした私たちの熱量について来れる、何なら追い越す勢いで、もはやライブゾンビだった。だから上記の「めでたくねーよ」もわかるし、その文句垂れニキも1個下です。

対して2個下。
みんな大人で余裕があって、サークルと音楽の楽しみ方のバランスが良い。学科やバイトでも友達ができるし、サークルがなくてもまあ楽しめるよね、ってスタンス。
すごく熱心に来る子は少なくて、「この子達の何人が引退まで続けるんだろうなあ」と考えたこともあった。まあだからといって辞めてほしくない!とかでもなかったけどさ。
「辞める」という選択肢がすごくナチュラルに持てる代だなと思っていた。
そうそう、そういえば初心者も多かったんだ。
初心者歓迎と謳いつつ千尋の谷に突き落とすところはうちのサークルのよくないところだと思います。
私が仮に違う楽器で入ってたら多分春過ぎに辞めてた。
話がダレてしまったけど、とにかく「ここまで続けるとはなあ」って思いながら、今日、最後のライブを見届けに行きました。

もう詳しくは書かんけど、いいライブだったね。やりたいことやり散らかしたり、好きな音楽で世界を閉じ込めたり、ひたすらカッコ良さで圧倒したり。いいライブでした。本当に。

「休部しようかと思ってるんですよね」
「どうしても馴染める気がしなくて」
「なんか最近疲れました」

そんなこと言ってた人達とは思えない。圧巻の幕引きでした。

今は寂しいかもしれないね、けどどこか張り詰めた顔をしていた君らがそんなに晴々とした顔で、声で、音で、最後に幕を引けたのなら祝福以外に言葉は見当たらない。ここでかける言葉を探したらさ、やっぱり「おめでとう」しかなかったよ。

あーーあーー、これでもう心残りというか、見たいものは全て見てしまった気がする。バンド、とかいう騒々しくてキラキラした世界に未練はなくなってしまった。今は。
そんな身で勝手なことを言うけど、みんなはもっと音楽やってて欲しいな。楽しそうに弾いている姿をまた見せて欲しいです。

誰に知られずとも記します。
引退おめでとう!

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