境界の上に、居る。

いってきたぜ〜!

 批判も出ていた行方不明展開催に対しての見解を着地させておきたい。そうじゃなきゃ「面白かった〜〜〜〜〜ッッッ!」って語れない。
 行方不明という事象をコンテンツ化すること自体を不謹慎というのなら、それは間違っていないのでしょう。実際に傷ついている人からしたらその原因が人為的なものだろうとオカルティックなものだろうと関係ない。展示では大切な誰かがいなくなった、残された側の痛みも強烈に描かれていて、その人たちが今回の展示に嫌悪感を表すのならそれは致し方ない。むしろケアされて然るべきです。ただ、「そんなん言ったらホラーやサスペンスは不謹慎祭りじゃないか。」の意見もその通りで、そこの線引きが上手くなされていなければ炎上待ったなしだよな、と思っていました。個人的には「やっちゃいけないライン」についてよく考えられていたと思います。インタビュー記事然り、散見される「フィクションです。」の文字然り。実際私は現実の行方不明者、事件を想起することは一度もありませんでした。あの展示を不謹慎だとは感じなかったよ。


 __まあそれは、忘れてしまったことも忘れているような、記憶の空白を観測できない私の感想に過ぎないのですけれど。



 ということで。


行方不明展、おっっっもしろかった〜〜〜〜〜!!

電話ボックス!ブラウン管!ガラケー!ゲームボーイアドバンスSP!くまのぬいぐるみ!塩!フラフープ!プール!

いかにもな代物から「なんなのこれ……。」ってものまで。いくつかは罠というか、「そうか、私たちは展示を見に来ているに過ぎないのか。」とハッとさせられるものもあった。そうなんだよね、用意された怪奇現象を楽しみに来たんじゃなくて、痕跡をただ眺めること、それだけを提供されているんだった。何かが起こったのなら、その時はもう手遅れなのかもしれない。

 私は所在不明のパートが好きだったな、地下一階の。ただゆうくんは気持ちが悪過ぎた。暫定1位です。ただ1番心に残ったのは、やっぱり残された側の感情かなあ。

 執着、心配、懇願、受容、忘却。

 いなくなった彼、彼女の面影はもう掠れた。どんな人だったのかなんて探し主にさえわからなくなってしまった。忘れたくない気持ち、やるせなさとか、諦念に項垂れている。

「どうか覚えさしていてください。」
「これを持っていってください。あちらでも使えるのかはわからないけれど。」
「ここではない世界に行けたとして、その先であなたがちゃんとやり直せるって保証はどこにあるんですか?」
「何度も試したけれど、でも、もういい。」
「誰の?」

 だいたいの文書にはどこか愛があった。孤独な人などいなかった。だから、そうして向けられた感情さえもからりと捨て、忽然といなくなった人々に対して奇妙さを感じた。気もした。

 ところで、一つ。

「あなたはいつも死にたがっていたから、おんなじかと思っていたのだけれど、違ったみたいだ(意訳)。」

こんなキャプションがあった。記憶がぼんやりし始めてきたので一字一句覚えていないのだけれど、あれは「ほぉ。」と思った。
 自分は「死にて〜〜〜」と思う時はしっかり「死」を望んでいたのであまり分からなかったのだけれど、「死にたいのではなく、いなくなりたい。」と思う人には、行方不明という事象は一種の憧れとして捉えられることもあるんだな。これが面白かった。
 noteの感想を見ていると確かに「誰も知らない場所に行きたい、そんな感情を持ったことがあるのなら共感できると思う。」「いなくなりたい、を部分的に肯定して答えをくれることに、優しさや愛を感じた。」という感想が見られました。
 この展示を、重苦しく掴みどころのない、得体の知れない不穏さがメイン属性なんだな〜きみわる〜と見ていた私の横で、柔らかで曖昧な優しさを受け取った人がいたのだと思うと、景色は無限にあるというか、人の感受性は面白いものだなあ、感じました。ええ。


 総じて面白かったです。境界線の上にも世界はあったね。

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