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悔しかった本当の理由。

最近、妙に涙脆い。ふとした時に涙が出てくる。
原因は思い当たる。

負けたからだ。

9月4日に白馬国際クラシックというトレイルレースがあった。
私は28kmの部門に出て準優勝。
トレイルのレースで準優勝なんて、初めての事。
いや、これまでやってきたロードのレースでも準優勝は初めて。
それはもう、嬉しかった。
だって今までにない程、登りも下りも快調に走ってた。
強い選手を抜いていく時、本当に私が走ってる?と疑いたくなるくらい。

嬉しかったはずなのに、悔しい。
優勝できなかったからではない。
世界大会に行けなかったからだ。

このレースはシリーズ戦になっており、全5試合の総合結果で上位3人が世界大会へ行くチケットを手に入れられる。

私の結果は4位だった。

結果が分かった時、ダメだったかぁと思ったが、名だたる選手達に混じって
自分がここまで食い込めたことに誇らしく思った。
まもなく表彰式だ。

表彰は3位まで行われる。
「女子総合2位!みゃこさん!」
大きな一歩を踏み込んで乗る表彰台は、どきどきと嬉しさでいっぱいだった
表彰状と副賞を貰い、私は台を降りた。

シリーズ最終戦ということもあり、総合の表彰式も行われた。
この5大会、全て参加した。その思い出が蘇るようだった。
男女上位3名が台に上がる。
同じ台に上ったのに、さっきよりも高く立派に見える。

世界へ行く選手はどのレースでも強かった。
立派な額縁に入った賞状とwinnerと書かれたTシャツが全員よく似合ってた。彼らは10月末にはポルトガルのレースで世界の選手と競う事となる。

大喝采とシャッター音が鳴り止まない中、
「悔しいなー」という声が思わず漏れた。

家に帰ってきた。
準優勝の賞状と、シリーズ4位のパネルを見て嬉しくならない訳ではなかったが、なんとも複雑で心から晴れやかに喜べない自分がいた。

動画編集に取り掛かる。
この時…抜かれたんだよな。この坂キツかったな。
筋肉痛の肩を回しながら鮮明にレースの記憶が蘇る。

…涙が出てきた。
「悔しい」
漠然と悔しいという気持ちだけがはっきりしていて
涙が止まらなくなった。

それから3日間、もやっとした謎の塊が心にいて消えない
「悔しい」という気持ちが混じりつつ、何か違う。
だけれど何でこんなに「もや」っとしているのかわからない。
日に日に増していく。ついにはスタバのど真ん中で、静かに、ほろほろと涙が溢れて止まらなくなってしまった。

心の限界なんだろうか?

自分自身がどうしてこんなにも泣いているのかわからない。
ただ、悔しいという気持ちがあることだけは分かる。
何故、こんなにも悔しがるのか自分でもわからなかった。
元より世界大会を目指せるレベルではないと思っていたし、
捻挫した1週間後の東京マラソンでギリギリサブスリーできなかった時もここまで悔しくなかった。

自分自身がわからなくなったときに、自分の汚い気持ちも全て受け入れる事を決めた。決めて言葉に出していくと、話しながら紐が解けるように自分の気持ちが理解できた。

「私は、虚しい気持ちになったから悔しかったんだ。」

今回のレースは特例だった。
大会の結果と、シリーズの総合結果の表彰があったから。
やはり、華があるのも注目度もシリーズ総合結果のほうだ。
この白馬のレースの表彰はおまけのおもちゃみたいなものになった。

更に、表彰台に上った人の中で世界大会に進めなかったのは私だけだった。

SNSでの結果や、感想、公式写真の公開も皆「総合結果の方」のみ。
確かに、この1大会の結果より、総合で勝てたことの方が凄いことだ。

だけど、私が持っているのは「今回の大会」でしかない。
もしかしたら…とタラレバを考えてしまう4位という順位が更に虚しく感じさせてしまう。そこには実力という名の大きな壁があるのに、数字だけで見ると惜しいと感じてしまう。

自分にとってはすごく嬉しくて、自信がついた出来事は、周りから見たらなんてことのないように見えて、開けるのを楽しみに取っておいたプレゼントの箱が知らずのうちに踏まれて潰れているのを眺めているような感覚だった。

負けず嫌いの私は、次のレースで勝ちに行くと意気込む。
4位の副賞としてもらったハセツネカップのチケットとその後のフルマラソンやウルトラマラソンに向けてぐしゃぐしゃになった箱のシワを手で戻すようにギラギラとした目つきでエンジンを蒸していた。

そこに拍車をかけたのは、信頼している人からの「無理しすぎても良い方向には向かわないかも」の言葉だった。
もちろん心配してくれているのは分かる。人間ってこういう前に夢中になりすぎて足元見えてない時ほど転ぶ。
前のめりになりすぎてるように見えたんだろう。

それでも、一度ぐしゃっとされたプレゼントの箱のようなハートにはそんな言葉は一番に欲しい言葉ではなかった。素直に応援してくれるものだと思った。でもふと気づく。
それは相手に期待しすぎている、と。
「してくれるもの」は自分が思っているだけのもの。
反省しながらも、その思いも伝えた。

ただ私は「よくやったじゃん、大丈夫だよ、頑張ろう」という言葉が欲しかっただけだと気付いた。

自分の受け入れたくない「もや」っとした塊の正体がクリアになった今、表彰台を上った時よりも大きな一歩を登った気がした。

1週間後、丹後ウルトラマラソン60kmが控えている。
さぁ、気合い入れていこうじゃないか。

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