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茸を食いて舞う

『今昔物語』はおもしろい。芥川龍之介の『芋がゆ』や『羅生門』は、『今昔物語』を題材にしたことは有名だ。原文を読んでみると、芥川は近現代の人だという、当たり前に気づく。すいぶん前に読んだから、おおかた忘れてしまったのだけれど、「尼ども、山に入り茸を食いて舞う語」が妙に印象に残っている。原文でも難しくないのだけれど、短くまとめた訳があった。

今は昔、京に住む木こりたちが山へ出かけて道に迷ってしまった。すると山の奥のほうから尼さんたちが数人、踊りながら姿を現した。
「尼さんたちが、こんなふうに舞いおどりながらやってきたのは、まさか人間ではあるまい。天狗であろうか、それとも鬼神だろうか」
恐怖にかられながらも木こりたちが尼に舞っている理由を訊ねると、尼たちは説明した。
花を摘みにきて道に迷い、空腹に耐えきれずきのこを採って食べたところ、心ならず舞いだしたという。
さて、この木こりたちも空腹でたまらなかったので、飢え死にするよりはと尼たちが食べ残したきのこを食べた。とたんに、この木こりたちもその気がないのにひとりでに舞いだした。
こうして、尼も木こりも、たがいに舞いながら笑うのであった。
しばらくそうこうしているうちに、まるで酔いが醒めたようになって、めいめい家に帰りついた。
以来、このきのこのことを「舞いたけ」と呼ぶようになった。

「尼ども、山に入り茸を食いて舞う語」(第二十八)

(「ミステリアスな魅力。くすっと笑えて不思議な「きのこの説話」3選」より https://intojapanwaraku.com/culture/69023/ )


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今の状況とかぶってしまう。まさか、この人が!という人たちまで踊らされているから。

最新の論文を毎日お読みになっているという井上正康先生(大阪市立大学名誉教授、医学博士)が、「私たちはマイノリティですから」とおっしゃっていた。そう、私たちは1%側。

1%側からすれば、99%が”恐怖”という毒きのこにやられて、踊らされているように見える。でも、99%側から見れば、毒キノコを食ったのはそっちだろう!と思っているのだろう。

前にもどこかで書いたと思うけれど、少なくとも私は、食べる物は情報だと思っているし、1%側の人は食に気を遣っている人が多い。


日本の人口を1億2千万人だとすると、1%は120万人。

120万人もいれば、いろいろな人がいるだろうけれど、1%を自覚している人は明るい人が多いような気がする。井上先生も明るいものね。99%側からすれば、毒キノコを食って、ケラケラと踊っているようにしか見えないのかもしれない。

私個人については、深刻期が過ぎて、オモロイ期に入った。

「マジで、こんなことやっているの?」

「次は何をやるつもり?」

で、「マジでこんなこと言っているの?」

一般的に私たちが何か治療を受けるのは、治療を受けたことで得るベネフィット(利益)が、受けたことで損失が発生するリスクを上回ると判断するからだ。
たとえば抗がん剤治療は吐き気がしたり、髪が抜けるなど副作用のリスクがある。しかし多くの人は、それらのリスクより、がんが寛解するというベネフィットが大きいと考えて抗がん剤の治療を受けている。
mRNAワクチンでは、感染予防率が高いこと(ベネフィット)、重篤な有害事象は非常に頻度が低いこと(リスク)を天秤にかければ、ベネフィットがリスクを上回る。
ところが実際にはこの天秤がうまく働かず、ワクチンを忌避する人もいる。それを非合理的と批判するのは簡単だが、千酌教授は「人間は計算機ではなく、つねに合理的な判断ができるわけではない」と優しく諭す。
「新型コロナウイルスは新しい感染症であり、罹患するとどれだけ大変なのか、一般の方からはわかりにくい。それはすなわち、発症や重症化を防げるというベネフィットが見えづらいことを意味しています。ベネフィットが見えないので、リスクばかりに目が行くのです」
人間はベネフィットが明白でも、合理的な判断を下すのは難しい。    

(「なぜワクチンのデマが拡がるのか」接種のメリットを人間が合理的に判断できない理由」より https://president.jp/articles/-/50365?page=2)

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ギャハハハ!

根本が違うよね。治療を受けたことで得るベネフィット(利益)を考えるから、現代医療はできるだけ使わないようにしているのだし、今回の枠については「ベネフィットが明白」というけれど、利点がほとんど無いと考えているから。分銅1ミリグラムと1キログラムで天秤にかけてみる?

抗がん剤も、”治療”ではなく、”寛解”を期待しているということがこの記事で分かった。「治らない」という前提なんだ。これは、心に留めておきます。だから、ガンを患っている人と気が合わないんだ。

「ベネフィットが明白」だって言うけれど、私からすれば、宗教であり、信仰のように見える。

偽宗教は、信じる者の足元をすくう。お金、時間、健康、命、・・・を取られる。カルト宗教ってそうでしょ?

「感染予防率が高いこと(ベネフィット)」って、なんでわざわざ「ベネフィット」というカタカナ語に言い換える必要があるの?するなら、「利点」だとか「利益」だとかにすればいいのに。「新しい」という言葉も”まやかし”の呪文だよね。「新しい」については、また、いつか書こうと思っているけれど。

意識しているのかどうか知らないけれど、読者への惑わし満載~

毒キノコを食べ続けている人に何を言ってもムダだというのもよく分かったから、1%側の私たちのことは放っておいて!


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昔、待合室に雑誌の「プレジデント」があったら、必ず読んでいたのだけれど。何年か前に、ん?と思ったことがあった。オンラインで、「おい、おい」という記事が何回か続いて、私の中での格付けは急降下していた。まあ、こういう記事が載るレベルなんでしょうね。

先日の講演で、医師がおっしゃっていた。医学雑誌のメタ分析をしたところ(そういうメタ分析の論文の話で、その医師が分析したのではなかったと思う)、医学雑誌の格付けの上位にあるものが、枠推進ばかりだって。普通は反対意見も掲載するのにね、というお話。(メタ分析:複数の研究結果を収集・統合・比較し、統計学的に解析すること)

まあ、背後でお金が動いていることは想像に難くない。

この騒ぎも共同幻想だけれど、お金も共同幻想だから。それをデジタルにしたがっているというのは、幻想度を強めるってことだろうね。

幻想といえば、毒キノコ。

『今昔物語』では、幻想が覚めるけれど、99%側は死んでも、いや子々孫々まで幻想の中に生きるのだろう。というか、(喜んで)子どもも産まないし、もうすでに産むのが難しくなっている。

人類の定められた運命かもしれない。おばさんの私はそれが不幸なことだと思うけれど、若い人はそういう世界を望んでいるのかもしれない。しょうがないのかもね~

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