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別の方法

職域で息子が接種した。深刻な心配はインボー論だと思っているらしく、社会的良心のようなものもあって打ったようだ。もちろん、打たないでほしいと言った。それでも、打つというから、松葉エキスなどを送った。先日会ったときに、ああいうのを送るのは止めてほしいと言われた。

色々言うのも、逆効果だと思うから、もう、言わないでおこうと思う。

それらの一連のことがあって、私がどういう思いで、黙っていて、おふざけしているのかなんて、家族にも分からない。といえば、人の気持ちなんて誰も分からないと返される。どこまで行っても黙って涙をこらえるしかない。

全国を探せば、オカンは分かっているのに、子どもが打っちゃったという人はいるのだろう。打ったことよりも、腕を差し出すことにためらいが無かったことが悲しい。たぶん、この悲しさは生んだ者の悲しさだろう。それを共有できる人って、かなり少ないと思う。子どもを打ちにつれていって、後悔する人はこれから出てくるとしても。

だから、なるべくそこに触れないように気をつけているのだけれど、誤って地雷を踏まれてしまうと、涙が止まらなくなる。そうやって、泣く私を、ますます変人として扱っていくだけだろうから、泣いてはいけないと思う。そう思うとまた泣けてくる。

医療で子どもをひどい目に逢わせたことを、夫が言うように、隕石が当たったと思うべきだった。悔しいのと子どもに申し訳ないという思いで、色々と調べてしまった。だから、この騒ぎのおかしさは、かなり早い時期から理解していたし、何も知らなければ、これほどの悲しみはなかっただろう。

医療のおかしさに気づいてからの、一連の私の変化は、息子が家を出てからの話だ。もう少し、早く気づいていれば、息子にもその一端を見せることができただろう、そうすれば、彼の生き方も変わっていたのかもしれない。

後悔しても仕方のないことは、分かっているし、私に彼の人生を変えることはできない。私も苦しいが、家族も身内も、異端の私の扱いには困っている。物理的な私は今のままであっても、私が家族から出たほうがいいのではないかと思い始めたところ。

自給自足をするのがいいのだろうが、私は植物枯らしの名人だし、若くないし、拠点も数年以内に変わると思う。今、畑をするのはあまり得策ではない。そうなると、ますます老いてくる。何か私ができることと野菜を交換するということができたらいいなと思う。味噌も梅干しも作るし、裁縫も・・・がんばるわー!有効期限内の教員免許も複数持っている・・・。お金を介さないで「交換」ができるコミュニティーがあればいいなと思っていたところ。もちろんね、必要な分だけいただけば(私はそれほど要らないと思うけれど)、私の持ちネタは無料で提供するし。

そんなことを思っていたら、この記事。

佃さんの自然食カフェでのできごとと、私の体験の本質は似ていると思った。

確かにね、街宣したり、役所に電話したりするのも必要。でも、私は抗うなら、個に分断したい、お金で支配したい、文化を潰したいという動きに抗いたい。

現行医療を信じる人、枠を打とうという人に、できるだけ控えめに言っても、押しつけにしか聞こえないし、言い方が悪いと言われるだけ。たぶん、何を言ってもインボー論にしか聞こえないと思う。聞きたくないのだからしょうがない。


それならば、別の方法を取ったほうがいい。私も、気持ちが穏やかでいられる方法をね。

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