100年の計
「十界」は仏教用語で、迷いと悟りの世界を10種の領域に分けたものだ。吉野先生が面白いことをおっしゃっていたので、字幕を一部書き起こしてみた。
(十界のどこにいるかは)学歴・人種・収入・地位・名誉・年齢と微塵も関係がない。
俺から言わせてもらえば、「日本人の4割は餓鬼界の住人」
餓鬼界とは何か?
“眼前の事象に固執する餓鬼”
“餓鬼”とは?⇒食べても食べても満足しない鬼の状態
・・・
食・性・睡眠の三大欲求があったら、昔一番厳しく制限をかけられた欲は・・・
“食欲”だった。
・・・
(食欲が)自由になった。そうすると“餓鬼”がすごく増えている。
ハッキリ誤解を恐れずに言うけど、餓鬼界にいる人達が病気になっている
・・・前から言っているけど、“ガンになるには15年かかる”
例えば8歳でガンになれば、逆算するとマイナス7年になる。そうするとその子に責任がない。母が何を食べていたか?で決まる。
(「超神回!笑いなし!【仏教「十界」の深い話】あなたは餓鬼界にいる!?【吉野敏明】より」)
子に責任がない。母が何を食べていたか?で決まる。
内海先生も同じようなことをずっとおっしゃってきた。私にとっても耳の痛い話。他人様には絶対に言えない。自分のこととしてしゃべっても、傷つく人がいるから、言うべきじゃないと叱られたこともある。
ウチの子どもはガンになりはしなかったけれど、私も妹も妊娠中にトラブルがあった。実家の母に、「私はどうもなかったのに、あんた達はどうしてこうなの!」と言われた。それがずっとコンプレックスだった。私は昔から甘い物は好きではなかったけれど、料理が嫌いでフェミかぶれの母は、しぶしぶ作っていた。だから、出来合いのものや簡単にできるものが多かった。少なくとも、母は娘達を責めることはできない。
子どもたちに申し訳ないと思った一方で、このコンプレックスも解消されることになるから、私はわりとすんなりと受け入れられたのかもしれない。
無知ゆえに子どもたちを医療の餌食にした反省もあって、本当に申し訳なかったと今も思っているし、子どもにも謝った。
だからこそ、他の人にも同じ過ちをしてほしくなかったし、私自身の罪滅ぼしもあって、医療の嘘だとか、食について周囲に伝えようとしてきた。
で、返ってくるのは罵声ばかり。内海先生がボコボコに言われ続けてきたのは、よく知られている。
餓鬼界にいる人達が病気になっている
結局、見ている世界、住んでいる世界が違うということだ。だから、言葉が通じないのは当たり前。吉野先生は日本人の4割が餓鬼界の住人だとおっしゃっているが、周囲が慢性疾患だらけの私からすれば、日本人の7割はそうだと思う。液体注入をした人が、それくらいだし。
この茶番でその数の多さを見せつけられ、私にできることなどないから、もう、別世界で生きるしかないとも思った。
そして、
“眼前の事象に固執する餓鬼”
短期的にしか物事が見えないというのは、私も感じていたことだ。俯瞰とは逆。
これは日本人の民族性にも原因があるのかもしれない。今、『日本人とユダヤ人』という懐かしい本を読んでいる。それによれば、日本には四季があり、それに合わせた米作りのスケジュールがある。フィリピンなどでは年に三回も米が取れるから、好きなときにもみを撒く。遊牧民からすれば、秒刻みでスケジュールを組んでいるようなものだと。『日本人とユダヤ人』の著者イザヤベンダサンは実際は日本人だとも言われているが、彼は、これを「キャンペーン型稲作」と呼んでいる。
余談だが、日本人は、隣りが田植えをはじめれば、自分も田植えをし、隣が取り入れをすれば自分もする、という話も紹介されている。これは現代の同調圧力につながっているのだろう。
昨日、林千勝先生の動画を見た。タイトルはこちら。
「【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第8回「もう一つの帝国、ロックフェラーの歴史と力 / 日本的ではなく世界的、選挙と共に終わった『新しい資本主義』」[桜R3/11/20] 」https://youtu.be/5bulCtyeh7Y
そのなかで、「ロックフェラー家の勃興」という題のついたフリップが示された。
この騒ぎは、少なくとも1901年のロックフェラー医学研究所ができたところから始まっていると、林先生はおっしゃる。作り上げられた計画が100年かけて着々と実現されたのが今だ。
ユダヤ人たちが祝う祭に「過越祭」がある。紀元前1300年ごろの「出エジプト」の苦労をしのぶものだ。宴の最後は皆で「来年こそはエルサレムで」の言葉で締める。紀元70年から、ユダヤ人は世界に離散していったが、1948年にイスラエルが建国された。
ロックフェラーがユダヤ系なのかは別としても、日本人の時間軸からは想像ができないような壮大な時間軸だ。世界はそうやって動いている。
日本人の短期的な時間軸がいいか悪いかは別として、幕末や明治初期に訪れた外国人たちが驚くようなことがたくさんあった。有名なところでは、識字率が高い、江戸の街が清潔であったことなど。
1878年(明治11年)、初めて日本国内を旅し、直接日本人と接した英国人女性イザベラ・バードは、次のように述べている。
《人々は稀に見る愛情深さ、礼儀正しく勤勉、家庭教育の徹底、深い絆と助け合いで結ばれ、社会秩序は見事に守られていたのだった》
150年経った今、これが、完全に崩壊してしまっていることに、愕然とする。いや、悪意をもって壊された。それとは分からないように、時間をかけてじわじわと。
もう、どうしようもないのか・・・
私は何点かどうすればいいのかという柱があるのですが、その第一は目覚めた人間が増えること、日本ではまだ1,2%ですね、2番目は、気づいた人間、立ち上がるべき人間が、…私は命を賭してまでとは言いませんけど、職を賭すことだと思いますね。(31分ごろ)
私は、この言葉にハッとした。
今、私は無職で、賭する仕事はない。この茶番の前、嘘をつきたくなかったから、非正規の仕事を辞めはしたけれど。
賭するものは特に持ち合わせてはいないけれど、やっぱり何かしなくてはいけないと思った。
故郷を守りたい
わたしには、実家という故郷がないだけに。
住んでいる次元が違い、言葉が通じなくても、周囲に伝え続けなければいけない。どんなに虚しくても。いや、住んでいる次元が違うことを自覚しているからこそ、言葉ではなく態度で、何度でも繰り返し伝えていかなければいけない。
テレビが大好きで、もともと○ロナ脳だった夫が、わりと早い段階で茶番に気づいたようだ。それは、10年かけて医療の嘘、食のことを私が言い続けてきたからだと思う。相変わらず好きな物を好きに食べてはいるけれど、通じていたのだなと思った。
仕事上、飛行機に乗らなければいけない夫が、打っていないと聞いて、すでに2回打った息子は、たぶん驚いたのだろう。今まで、控えめに情報を送っていても、全て既読無視だった。それなのに、昨日、ちょっと反応があった。単なる気まぐれかもしれないけれど。
だから、時間をかければ、何かの化学反応があるのかもしれない。人が考えを変えるには、時間がかかる。
「このままで行けば、日本は消えますよ。」
後期高齢者の親世代を飛び越えたその何世代か前を、取り戻さなければいけない。
そのために、何をするかを、いや、どういう心構えで行動するのかを、考えなきゃいけない。
日本が消える前に、大急ぎで、時間をかけて。
(タイトル画像:歌川広重 《寺子屋遊び》)
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