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Small World

15年前、子どもを心療内科に連れて行ってしまった。薬を飲んで良かったのは、飲んだその日だけで、あとは何一ついいことはなかった。子どもの”症状”は日々変わる。手の動きがおかしいと思っていたらそれが治まって、次は幻覚を追って玄関を飛び出してしまう、・・・。原因は薬だと思った。それなのに、医者に”症状”を訴えれば、薬が合わなかったのね、と言われて、別の薬に変更になったり、薬の追加・・・。別の医者に聞けば、あの先生はいい先生だと言う。そのうち、子どもの症状悪化についていくことに精一杯になった。いつのまにかその”症状”の原因は母親のアンタだと言われるようになった。

毎日がジェットコースターに乗っているようだった。私が悪いということだけは明白だけれど、とにかくものすごいスピードで、ドンドン事態が悪化していく。抗うこともできないままに流されていった。

この騒ぎが起きた去年、既視感があったのは、このときの感覚と似ていたからだ。えっ!ちょっと待って、それは違うでしょ?と思っているうちに、ドンドン事態が進んでいく。違うのは、おかしいと思っている人が他にも数多くいることだ。世界規模で行われていることだから、目撃者は私一人ではない。当然と言えば当然だろう。

15年前の心療内科における“医療”には納得ができなかった。通院を辞めて、子どもも家族も落ち着いた2,3年後、精神医療被害の勉強会に行ったり、本を読み、勉強もした。それから、どうしてああいう状況なったのかを何度も何度も分析した。

人は、納得ができないことは、それなりに調べたり、考えたりするものだと思っていた。でも、同じように子どもの間近で見ていた夫は「隕石に当たったと思え」と言った。私には理解できなかった。

でも、この騒ぎになって分かったことは、なるべくしてなったことでも、それを隕石が当たって運が悪かったね、と思う人が99%だということだ。私がしたように、納得できないことを調べたり、考えたりするのは余計なことらしい。少なくとも、社会性のある人や良識のある人はしないようだ。いや、してはいけないのかもしれない。


あの△CR法を開発したキャリーマリスはこう言う。

「基本的に大多数の人間には判断能力が無いわけです。」        


自分で判断することは非常識だから判断を放棄するのか、判断能力が欠如しているのか、私は他人様の思考回路が理解できずにいる。前者は狂っていると思うし、後者は私一人ではどうにもならない。

少なくとも、こういう人たちは、「相手の土俵に引き込まれる」ことはとても危険だ。相手の土俵は、相手が決めたルールの世界だから、圧倒的に不利だ。仮に、一生懸命勉強して、”専門家”を上回る知識を得たとしても、”専門家”というステータスがなければ、勝てない。裁判だって負ける。だから、自分で飛び込んで行くのは、愚の骨頂。あっちは、あの手、この手で手招きしたり、恐喝したりして、自分から飛び込んでくるのを待っている。まさに「飛んで火に入る夏の虫」を待っている。

そのような状況にならないように、「自分の軸を持て!」と言われるが、自分軸を持ったところで、それは無理だというのが、今回の騒ぎで分かった。「自分の意見だ」と胸を張って液体を体内に注入しに行く姿は、不思議な光景だ。戦後教育を積み上げてきた結果だろう。

軸になり得るのは、自分ではなく、神だとか、仏だとか、お天道様だとか、ガンディーの言う真理などだ。”私”や個人よりもっと壮大なもので、”私”や個人を超越したものだ。

デカルトが「我思う、故に我あり(Cogito ergo sum)」と言うが、見ている世界が小さくなる。「私」がナンボのもの?その奢りゆえに手繰られる。○ェミニズムにかぶれている人なんかを見ていると、本当にそう思う。主体性が大事って言っても、小さな世界じゃん。

神だとか、仏だとか、お天道様だとか、ガンディーの言う真理を持たない人、持ちたくない人は、軸が無いか小さな世界での軸しか持たない人は、飲み込まれそうなものには、できるだけ近づかないことが肝要だ。

私にできることは、軸が無いけれど、逃げ回っている人の精神的支えになることかもしれない。ウチの若者だとか(笑)。

液体注入が開始されて、毎日、自治体からのお知らせだと町内放送が大音量で流される。最近は、2回も放送する。家族がつけるテレビやラジオをちらっと見たり聞いたりすると、「ガンガン煽っているな」と思う。ノルマ達成が厳しくて、あせっていることが、ひしひしと伝わってくる。渦中にいれば、やっぱり早く液体を打ちに行かなくちゃと思うのだろうけれど。私は、デカい世界のデカい軸を拠り所にしているから、あちらの土俵に乗っていないだけ。

私が、この世で用が無くなったら、回収されるだけだ。用無しかどうかの判断、回収のタイミングは、私が決めるものではないし、ましてや他人やあちらさんが決めることではない。液体を打つか打たないかも含めて、自分の身体を傷つける行為は、私の一存ではなく、神だとか、仏だとか、お天道様だとか、ガンディーの言う真理に委ねている。

だから、煽っている人たちも、煽られている人たちとも、世界が小さくて、関わるのがめんどくさい~。でも、軸がぶれまくっていても、頑張って逃げ回っている人(ウチの若者とか 笑)は応援したいと思う。


〔おまけ〕

ここ数週間、忙しいこともあって、この記事は2週間以上書いたり消したりした。最初は別のテーマで書いていたが、書き終わってみれば、この記事のテーマは「小さな世界」だと思った。「小さな世界」と言えば、ディズニーの”It's a Small World”。ディズニーと言えばあちら側。改めて歌詞を見て、ぞっとした。

DLに行ったことはないが、”It's a Small World”というというアトラクションがあるようだ。Wikipediaを読む限り、ぞっとする。

中国の上海にもDLがあるが、知り合いによれば、ちょっと忘れたけれど、駐車の取り締まりだか車輌の移動をさせるとき?、”It's a Small World”の曲を流すそうだ。1年前の話だけれど。経済開放とは言え、大都市上海で公共機関がアメリカの音楽を流すの?と不思議に思っていた。でも、同じ穴の狢(むじな)なんだもんね。

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世界は一つだけれど(世界支配)、実は小さいと思っている?最終目標って何なのだろう・・・


タイトル画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BF%B5

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