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せっかち?

このことを真面目に考えると、ワクチンの安全性に納得ができない、それが確認できるまではワクチンを打たないと決めているのであれば、当面、今住んでいる社会システムからの離脱を念頭に置かないといけない可能性があります。
えと・・・冗談みたいな話ですが、割と真剣にそう思います。最悪のケースではありますが、今、当たり前のように暮らしている生活、この社会システムの中では住めなくなるかもしれないということを想定した方がいいように思うのです。まったく困ったものです。
できれば、日本にはこんなおかしな波が押し寄せてこないことを願いたいです。しかし、もしそうなってからでは大変です。幸い、日本はまだそこまで深刻な状況には陥っていないので、少し時間はあるでしょう。
今、住んでいる社会システムから抜け出すなんてことは、容易なことではありません。完全に別世界で生きることなど不可能です。ですから、できるところからでいいと思います。
とにかく今の社会システムから、少しでも抜け出して生きていけるようにする。少しずつでも、そうした準備を進めておいて損はしないと思うのです。

あ、ちなみに悲壮感は要りません。せっかくなので、楽しくやっていきましょう。それこそ、新しい文明圏を作るくらいのつもりでいけたら、面白いのではないかと思います。それくらいでないと、やってられません(笑)。

私も全く同じ考え。

覚悟を決めて、そこへ向ってのスタートを切らねばと思う。やっぱり家庭菜園くらいは始めたい。と思うのだけれど、今はマンション暮らしだし、1,2年したら彼(か)の地へ引っ越す予定。私としては、さっさと彼の地へ引っ越して、猫のひたいほどの庭で家庭菜園をしたり、コミュニティーに入る、作るなり、なんでもやりたいところ。

が、植物を枯らすことにかけては名人。みそをつくり、ぬか漬け、麹菌の培養、・・・など、菌関係はわりと育てられるのだけれど。もう若くないのだし、始めるなら早いほうがいい。

独りであれば、ポーンとどこか山奥にでも行って、自家菜園でもなんでも、既に始めていると思う。

でも、さしあたって、私を頼りにしている人たちが、私に期待しているのは、野菜を作ることでもなく、今のこの家に私がいること。若者の「健康的自立」を手伝ったり、仕事の愚痴を聞いたり、時々、姑のご機嫌伺いをすることなど。

どうして野菜を作りたいのか?と言えば、自分のためではない。私を頼りにしている人たちのためだ。私自身は1日1食でも大丈夫だし、不食の人を目指したっていいし。人間、死ぬときは飢え死にするというから、時期が早まるというだけだから、いつだっていい。

危機感がなさ過ぎるのよ!とあせる私が、せっかちすぎる気もする。なんとかパスポートなんて私は絶対にイヤだし、少なくとも家族にはやらせたくない。

そういえば、オリンピック。無観客ということは、感染者、いや観戦者は3S政策のうちの2Sを満たしている(ふと、“感染者”でいいのかもと思った)。見ないと言っていた人も、せっかくだからと見ていたりするらしい。テレビ大好き人間の夫もかじりついているのだろう。

・・・もう、いいのかなって思ったりする。

私が守りたい、奉仕したいという人たちに危機感が無いのだもの。それが、彼らの幸せってものかもしれない。


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昨日の成果。ハギレと古着で見よう見まねのパッチワーク。ファスナーは、昨日短パンにリメイクしたときに解体したものと、古いビニールポーチから引っ剥がしたものと。ファスナーなんて、ん十年前に高校の家庭科でやったきり。逃げ回っていたけれど、案外、できるものね!

お金をできるだけ使わないという意味では、畑をやらなくても、梅干しを漬け、味噌をつくり、ハギレや古着を使ってゼロ円裁縫をする。できるところからでいいよね。

私にも悲壮感はなく、けっこうワクワクしている。が、3S政策のど真ん中にいる夫と、今のシステムに乗り続ける子どもたちと、別れることになるかもしれない。

でも、なんだか吹っ切れたかもしれない。明日は明日でまた、ぐちゃぐちゃと思ってしまうかもしれないが。

15年前、イエスが現れたことは、私にとってありがたいことなのかは分からない。少なくとも、「誰にとってのゴールも死である」という当たり前に気づかせてくれた。どんなコースを取ろうと、ゴールは死。ゴールは他人に決められるものでもなく、私が決めるものでもない。

その真理を知ることで、生きるのは楽になったけれど、新たな苦しみも得た。だから、ありがたいのかな?とは思うけれど、納得はある。それでいいのだと思う。

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