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敵に学べ

昨日、ある講演会に行ってきた。

ネットで、講演される先生の主張はおおよそ分かることが多いから、本物が見たい!というミーハー根性で行くことが多い。今回もそれが一番で、お人柄を知りたいというのが大きかった。講師の先生がこういう活動をするに至った経緯を知ることができ、また、あやふやだったこれまでの枠をめぐる政府や社会情勢について、きちんと整理をして理解することができた。

親睦会にも参加させていただいた。私は基本的に引きこもりだから、周囲との衝突はほとんどないのだけれど、まあ、孤独だよね。私にとって"孤独”は天国ではあるのだけれど、リアル界で同じような考えの人と過ごすひとときはやはり楽しい。新しい情報やら、今まであまり接することのなかったような種類(?)の人とも言葉を交わすことができた。

タリバンがテレビをたたきわる様子に「××ウィルス破壊」と説明がある記事が回ってきて、お~と思ったけれど、まさにメディアが諸悪の根源。私もそう思う。国家より上位にいる人たちの出先機関だから、ここに文句を言っても仕方ないというのは、その場にいた人たちの共通認識。チラッと話には出たが、ほとんど話題にならなかった。

結局、「人々の意識が変わらなければいけない」ということだった。

私が注目したのは、次の三つの話。もちろん、他にもいろいろあった。

⑴社会運動をされている方がいた。原発に反対している人で、この騒動がおかしいという人はあまりいないのだそうだ。この騒ぎと基本的なところは同じだと思うのだけれど、不思議だ。
⑵激しいデモが行われているフランスやドイツに比べて、日本はなんとおとなしいことか。
⑶誰でも分かるような明らかなデータを毎日見せれば、きっと気づいてくれるはず。


⑴については、私も不思議に思っていた。"御用学者”を批判し、社会正義を訴えていたあるフリーのジャーナリスト。おおまじめで○スクをし、茶番を前提に今を憂いていたことに、のけぞった。「え~、気づいていないの?」って。世の中を鋭く分析する知識人と言われる人も、”○ロナありき”で論を展開させていたことにもびっくりした。それ以来、フォローを止めてしまったので、今はどういうご意見なのかは知らない。私でも分かることなのにね・・・

余談だけれど、”立ち読み”が趣味だった私が、書店がつまらない空間になった原因はこれ。


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「人々の意識が変わらなければいけない」が直面する壁は、「人は見たいものしか見ない」ということだ。


この動画が面白い。

白い服を来た選手と黒い服を来た選手が出てくる。白い服のチームが何回パスをだしたのか?

無題

正解は13回。
ではもう一問。


「あなたは今の動画の中で画面中央をクマがムーンウォークしながら横切るのを見ただろうか?」

無題1


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これは、私たちのことを「インボー論者!」と思っている人たちから見た私たちでもある。そういう情報ばかり見ているから!という話。

ネットであれば、自分の検索したものに合う情報ばかりがピックアップされていく仕組みになっているから、距離は離れていく一方だと思う。

こういった人間の心理を、時間とお金をかけて研究しつくしてきたのだろう。もう、あっぱれ!というしかない。個人的な敗北も大きいけれど、

こういうことが分かれば分かるほど、勝機は全くなく、戦うより逃げろ!だと思う。逃げたいと思う人たちを守るための段階に入ったと思う。私たちのことを「インボー論者!」と言っていた人でも、逃げたいと思う人は行動をともにすればいい。


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⑵について。

⑵激しいデモを行っているフランスやドイツに比べて、日本はなんとおとなしいことか。

私もそう思う。日本中でデモを起こしたら、”あの”従順な日本人が!というのは、おそらくあちらの計算外だから、かなりの衝撃だろう。

でも、ヨーロッパと日本は違うから、戦法も違っていいと思う。

今、アフガンが問題になっているが、山が多い国だから、ゲリラ戦で大国は苦労したと言う。まあ、それで、空爆をしまくったのだろうけれど。ベトナム戦争では、アメリカがベトコンに手を焼いたという話は有名だ。あちらは計算づくで来る。ならば、計算に現れないような想定外のことをすればいい。

この国は、過去に何度も○クチンを売りつけられてきた。それでも、国民に1本も打たなかったこともある。

今、日本の土地は買いまくられているそうだ。日本語は漢字(=中国語)だらけだ。でも、日本語は日本語として存在している。そこにヒントはないだろうか。

で、具体的に何をすればいいのかということだけれど、それは私にもよく分からない。

さしあたって思うのは、言葉で負けているということだ。あちらは、ガンガン新語を造って流行らせている。こちらにはキャッチフレーズのようなものがない。

言語化とは概念を作ること。
それはすなわち、思考に形を与えること。

みうらじゅんさんが「ゆるキャラ」という言葉を作った経緯はこういうことだそうだ。

●そんなマスコットを普通の人は、まず気にすることはないでしょう。もし気になったとしても、「物産展に何か変なものがいたな」くらいで、帰宅後にはもう忘れてしまうと思います。                   ●なぜかといえば、それは名称もジャンルもないものだったからです。「地方の物産展で見かける、おそらく地方自治体が自前で作ったであろう、その土地の名産品を模した、着ぐるみのマスコットキャラクター」という、長い長い説明が必要なものだからです。説明しているうちに、面倒臭くなってしまいます。                              ●私の「ない仕事」の出発点はここにあります。 まず、名称もジャンルもないものを見つける。そしてそれが気になったら、そこに名称とジャンルを与えるのです。 前述の長い説明を、たった一言で表現するために私が考えたのが、「ゆるキャラ」でした。(「『言語化能力を鍛える、4つの明日からできる具体的習慣』について述べます」より)


製薬会社の売り方はまさにこれだ。

「今まで名前のなかった”症状”に病名をつけ、それに対応する薬を売る」

敵に学ばなければいけない。といって、私にアイディアがあるわけでもないのだけれど。そういうキャッチコピーのようなものがあれば、他人様の意識もこちらに向くと思う。「インボ―論」を上回る何かをね!



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