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おしつけ

久しぶりに実家の父から電話があった。去年、認知症の診断を受けに行き、認知症ということになっている。私は、向精神薬のウソを知っているから、認知症の薬を飲ませることに反対した。結果として、実家近くに住む兄弟とも決裂した。だから、今回の枠は実家の両親や兄弟は当然打つだろう、打っただろうと思っている。少なくとも父は打った。去年、要介護が認められて、”優先的に”打ってもらい、ご満悦だ。寂しい人だと思うが、私にはどうしようもない。

父はしばらく話したあと、「枠は打たないのか」と切り出してきた。「打ったほうがいい」と言う。

「あの液体は毒だから打たない」

「どうして?」

一日中、テレビの番をしている人に説明しても分からないよと思いながら、「そういう話を切り出すものじゃない、打たないものは打たない」と言った。

そう言ったら、「そうやって、押しつけをする」と言う。


離れたところに住む姑は、打たないことを決め、周囲にもそう宣言している。「次男の嫁(私)が打つなと言ったから」と私を言い訳に使っているようだ。口実にしてもらっていいと思っているが、実家の父にも「ふみさんが打つなと言ったから」と言ったのだろう。

私は、姑が市から送られてきた接種券を見せて「どう思う?」と聞いてきたから、「打たないほうがいいと思いますよ」と答えただけだ。「打つな」なんて言っていない。

父は、姑の判断が私の押しつけだと思っているかもしれないが、それよりも、「受け入れられない」と言った言葉が、「押しつけられた」言葉だと感じたようだ。父のほうが押しつけてきたのにね。

認知症が進んでいる(?)からそういう反応をしたとも考えられるが、こういう反応のしかたは、父に限らない。

「こういう話もあるよ」と言うだけで、別に押しつけをしていないけれど、相手と別の意見を言う、医療以外のことでは、採用するかしないかは別として、意見の一つとして受け入れる余地があると思う。でも、医療に関しては、ヒステリックな反応をされる。


もともと断絶だったの。だけどそれが健康観に関しては絶対に一致しているという変な誤解があった。


子どもを医療被害に遭わせてしまったことに気づいたから、「世間一般で考えられている健康観を持っていると、被害に遭うかもしれませんよ、私は手痛い失敗をしましたから」というのは、良心から言ってきたのだ。そう言うたびに、罵詈雑言を浴びせられてきたから、身体の不調や医療の話はタブーだと認識している。

父と話していて、自分と同じ健康観を持っていると信じて疑わない鈍感さに、始めて心底うんざりした。父だけではなく、様々な人の、この無邪気さ、脳天気さに、これまでどれだけ気を遣い、ひどいことを言われても耐えてきたのかが、一瞬にして思い返された。

今までうんざりしたことがなかったことに気づいて、「心配する時はもう終わった」と思った。


ただ、生んだ子は違う。親孝行をしてほしいとは思わないけれど、だまされて自分の身体を差し出してしまうことや、「個々の意見の尊重だ」とか、「自分の身体だから、自分で決める」と言い放つことには、

ふざけるんじゃない!!!

という思いしかない。申し訳ないが、これは生んだ者にしか分からないことだと思う。最大の親不孝はこれだ。仕事上、やむを得なくてというケースがあることは理解している。そうではなくて、まんまと騙されているのに、どや顔しているのが情けないのだ。


テレビが大好きで、俗物が大好きで、去年の春ごろは完全なる○ロナ脳だった夫。理系なのに小学校の算数も分からないのかと思っていた。そのうち、打つや打たないで、もめるだろうと。

今日、ボソッと「打たない」と言ったから、ちょっと驚いた。

生んだ子たちが、現行のお金システムにどこまで食らいついていくのかは分からない。でも、そこから降りられること、降りても生きていけることを見せていくのが、親としての最後の勤めかもしれない。間に合うかどうかは分からないけれど。夫も丸め込めそうなのが、嬉しい。

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