1%
「99%の人が知らない○○」とか「99%の日本人が知らない△△」というタイトルの本を時々みかける。先日も薬についての「99%の人が知らない○○」という非売品の冊子を分けていたただいた。昨日行った講演で講師の先生が、「日本人で気づいているのは私の感度では1~2%かな」とおっしゃっていた。
それほど賢くない私は、どう考えても、気づかないその他大勢側にいる凡人のはず。でも、どうも1%側にいるらしい。おバカだから賢くなりたい!とずっと思ってきて、それなりに努力してきた。だから、「気づいている1%」に入っているというのは、念願のおバカ脱出がかなって嬉しいはず。でも、全然嬉しくないというか、辛いし苦しい。
私と同じ過ちを繰り返してほしくなくて、余計なことを言うのだけれど、言うと人間関係が壊れる。1%というのは、超がつくほどのマイノリティということだ。そりゃあ、通じないわ。最初のころは、それが分からなくて動揺した。おバカな私でも分かることだから、話せば分かるはずだって思っていたのに、どうして分からないのだろうって。
人間関係が壊れるたびに、私は大丈夫だろうか、孤独に耐えられるだろうかと心配していたけれど、特に問題はなく、むしろ快適。でも、その人のその先を考えるてしまうから辛いし苦しい。知っているのに伝わらなかったというのは、過去からの積み重ねの上にある。だから、もっと早い段階で、「気づいている1%」になっていれば、できることがあったのではないかと思うと罪悪感に押しつぶされそうになる。
言い訳をすれば、あちらさんが100年単位でやってきたことだから、私が子どものときからあちらさんの仕組んだ思想にどっぷり浸かっていたし、子どもを育てているときも何の疑いもなかった。私が「気づいている1%」になったころには、3人の子どものうち、末っ子しか家に残っていなかった。末っ子には「気づいている1%」の話が多少は通じるけれど、家を出た上の二人の子にはなかなか通じない。この騒ぎの前であればカルトだし、今ならインボー論ということになるのだろう。社会情勢は、もとに戻ることはなく、このまま突き進むと思っている。彼らが気づくか、社会がもとに戻ってほしいのだけれどね。
本当に、敗北だわ。
気づいていても何もできない。
そういう、あきらめのようなものが強くなってきた。私は、あちらさんの煽りで恐怖が喚起されることもない。だから、事態を客観的に観察するしかない。目を背けて、独自の世界に入ってしまってもいいのだけれど、やっぱり愛(いと)しい人たちがいるから、そこまで思い切れない。
このグロテスクで残酷な状況を、痛みをもって見続けることが、私の役目のような気がしている。そう思うと、神だか仏だかお天道様と繋がっていないと無理だなって思う。