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地の時代の人たち

世は、「地の時代」から「風の時代」に入ったと言われている。が、どっぷり「地の時代」に浸っている人たちがいる。私の親世代、つまり後期高齢者たちだ。彼女たちのコミュニケーションは、物のやりとりがあってこそ成り立つ

姑の周りは食べ物がグルグル回っている。恐ろしいくらいだ。

一人暮らしなのに卵が30個もある。5人家族で使っていたわが家と同じくらいの大きさの冷蔵庫を使っているが、冷凍室も冷蔵室ぎっしり詰まっている。足が悪くて、買い物に行けないだろうと、周囲が心配して持ってきてくれる。持ってくる人も後期高齢者。

一昨日卵を持ってきたのに、また同じ人(後期高齢者)が卵を持ってくる。別の人は味噌と醤油を持ってきて、1週間後にまた持ってきた。斜め向かいで食堂をやっていた奥さん(後期高齢者)が一品を持ってくる。砂糖をふんだんに使っていて、甘党の姑ですら甘いと言う。でも、せっかく持ってきてくれたのだから、ありがたく受け取る。世話になっているからと、今度は姑がお酒を注文して届けてもらう。

高い佃煮をくれた人(後期高齢者)がまた同じものを持ってきた。甘いから私が要らないと言うと、もとお寿司屋の奥さん(後期高齢者)を電話で呼び出し、二つとも持って行ってもらった。お寿司屋の奥さんは、炊き込みご飯とりんごを持ってきた。

甘党の姑の購買意欲もスゴイ。お菓子でも、焼き豚でも、あんパンでも、それ、全部食べるの?というくらい買う。

この中の誰一人として、派手なお金持ちはいない。共通するのは、みんなもと商売人だということ。宵越しの金は持たねぇってところなのか?

糖尿病、認知症、高血圧、ガン•••。

物が金銭のように行き交うだけではなく、慢性疾患も賑やか。

突っ込みどころはたくさんあるけれど、説明しても理解できないだろうし、興味なんてないから、言ったところで聞く耳など持たないだろう。そうやって、物をぐるぐる回して、交流があって、元気なんだから、それでいいじゃないか?ってことになる。


芭蕉の句に「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」というのがある。


魔術(医療、薬)がええも悪いも、その人が知らなくて選択したことであっても尊重するべき。結果として、なるべくしてなった不調であろうが、それがその人の「もちまえ(命のあり方)」。その「もちまえ」を尊重すればいいだけのこと。


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『聖書』へのほとぼりがさめたら、物の見方が大きく変わっていた。


『聖書』前は、医療や薬のウソを知った限りは、周囲に知らせなければいけないと思った。

『聖書』後は、その人の「命のあり方」を尊重する。だけど、私は同化しない


とは言うものの、一度大失敗しているのよね。

「内なるゲットーと外なるゲットー」と言ったのはユダヤ人国家の父、テオドール•ヘルツェルである。ユダヤ人はゲットーに押し込められている、が、ゲットーの内部にいる限り、安全であり自由である(少なくとも普通の国ならば)。しかしひとたびそこから外部に出、いわゆる「同化ユダヤ人」になるなら、自分の精神のまわりを黒幕で包んで、全く心にもない生き方をしなければならない。いわば隠れ切支丹が仏教徒として振舞ったように生きなければならない。これは、自らの精神をゲットーに押し込めることで、 これを彼は内なるゲットーと呼んだのである。(『日本人とユダヤ人』)

私は大人だから、「自分の精神のまわりを黒幕で包んで、全く心にもない生き方」ができると思っていた。だけど、苦しくて破綻してしまった。さらに、その「心にもないイヤな生き方」が骨の髄まで浸食していた。完全に取り去るのに10年はかかった。

泥の中で咲くからこそ、蓮は美しいとは言うけれど、すっかり泥に飲み込まれて、泥と一体化していたと言うわけだ。

今回、そのときと違うのは、わかり合えないという前提に立っていて、それを全く隠さず、アピールしていることだ。

拷問にかけられても”転向”しない覚悟ができているのも違う。


もう何年も缶コーヒーは飲んでいないが、宇宙人ジョーンズのように、脇役に徹しながらも、お茶目な手助けをして、「このろくでもない、すばらしき世界」って言えたら最高だと思う。


(タイトル画像:https://ichibanosaka.com/ja/news/ebessan/より)

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