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ホモ・サピエンスの最後の世代

それまでは、虫歯には全く縁がなかった。小学校の歯科検診で、小さな虫歯が見つかった。学校から歯医者に行きなさいという用紙をもらったのを見て、親が歯医者に連れて行った。今思えば、削るような状態じゃなかった。それから、詰め物を変えるたびに歯が削られ、虫歯がひどくなって、去年抜いた。

歯を抜かれるとき、「バカヤロウ、検診!バカヤロウ、ヤブ医者!」と心の中で叫んだ。

それから1年。何もないはずの歯茎に小さな小さな歯が生えてきた。と言っても、舌で探ると歯茎の中に何かあるという程度。噛めるような歯にまで成長することはないだろうけれど、自分の生命力を感じるようで嬉しい。医療の焼け野原に咲いた小さな小さな花のように感じる。

最近の青空は本当にきれいだ。その下にある海も日に照らされてキラキラしている。木漏れ日がスポットライトのように草を照らしている。紅葉の濃淡が見事だ。何か神々しいものを見ているように感じる。

周囲の風景に神々しさを感じるようになったのは、東京で家庭科の免許を取るための講義を受けて、帰ってきてからだ。フェミニズムに意見をするようなことを言ったら、先生から嫌がらせを受けた。5日間という期間限定の講義だから、覚悟の上で言ったけれど、それなりにショックだった。私自身が痛いというより、問題の根深さに唖然としてしまった。矛盾しているのに、押し切られてしまったのは、今の茶番と全く同じ。共産主義とはこういうことなんだと思った。

東京から帰ってきてから、しばらく悶々としていたから、なるべく歩くことにした。歩いていたら、道ばたの彼岸花や見慣れた街路樹、すすきの葉が風で揺れているところに、日の光が当たっているのが美しくて、びっくりした。「神」という言葉を使ってよいのか迷うが、人間の力では及ばないものが、私の周囲にはあふれていることを感じた。

おばさんの私が、そういった感性が年々鋭くなる一方で、若い人はそれとは逆行することを良しとしていることが分かってきた。

検索窓に文字を入れると、何でも答えてくれる。これはだ、という投稿を見て、びっくりした。


2018年1月末、ハラリ・ユヴァル教授がダボス会議に招かれて講演した。

データを制する者は未来を制す
Now how exactly will the future masters of the planet look like? This will be decided by the people who own the data, those who control the data control the future, not just of humanity but of the future of life itself because today data is the most important asset in the world.
未来を制するのはデータを掌握する者になります。データを掌握する者人間の未来を掌握し生命そのものの未来を左右するでしょう。今日の世界でデータほど重要な資産は存在しないからです。


原発事故の放射能を心配する人を「放射脳」と揶揄し、もう終わったことになった。添付文書に効果がないって書いてあるのに、医者が言うからと薬を飲んで、調子が悪くなる。今の茶番が茶番だと気づかないで、茶番だと言う私をマイノリティとして扱う。きわめつけは、我が子が、オカンはインボー論にやられている、打つ打たないは個人が決めることだと言って、音信不通になった。

ショックを受けることはもうない。たとえ天地がひっくり返っても。

「ショック」とは、想定外のひどいことに出会うことだ。天地がひっくり返ることは、私にはもはや想定内だから。


今、世界は滅びの坂を加速度を増して転がり落ちている。

スクリーンの画面の中で、人々が転がり落ちていく。その中に、我が子や親しい人を見つけている。それらを感情を切って見ている。

「感情を切って傍観せよ」というのが、私に望まれている態度だ。


「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」(芭蕉)


全てのゴールは”死”。そこにどうやってたどり着くかは、人それぞれ。私は手繰られるなら、神々しいものに手繰られたい。グローバリストやデータに手繰られたくないというだけだ。

若い人がデータを神と見る選択をするならば、それが未来になる。


「私たちはホモ・サピエンスの最後の世代になる。」


そういうことだ。



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