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コミュニティを作る

●20代女性
「彼氏がもうすぐ枠を打ちます。私が接種に反対していることは伝えていますが、立場上、どうしても打たないといけません。
「打つなら松葉茶を飲んで」とか「ビタミンDや亜鉛がいいよ」と勧めると、抵抗もなく受け入れてくれます。優しい人なんです。
でも、私はやっぱり、打って欲しくありません。接種した人からスパイクタンパクとか妙な物質が出ているって話もあるから。それできのう、思い切って言いました。「もし打つなら、少し会わない期間を置きたい」と。もっと踏み込んで、「キスやセックスもしたくない」とも。
険悪な空気が流れましたが、彼は「それでも会える日が来るまで待つ」と言ってくれました。
●50代男性
「先生、ワクチンを打つ人の気持ちって、想像したことがありますか?『気持ちも何も、マスコミに洗脳された被害者であって、自分の頭で何も考えていないだろう』、と言えばそうなのかもしれません。でも、それだけではないと思うんですね。
私の父、もう84歳なんですが、ワクチンを打ちました。さんざん説得したんですが、ダメでした。認知機能が衰えているわけではありません。頭は私よりもしっかりしているぐらいです(笑)
ワクチンで多くの人が死んでいる。死亡以外にも様々な副作用が出る。絶対打ったらダメだよ。
そういう具合に、言葉を尽くして説明しました。先生の記者会見の動画も見せました。「そうか、体に悪いんやな。ちょっと考え直すわ」と言ってて、理解してくれたと思っていました。
でも先日久しぶりに会ったら、もう2回目の接種を済ませた後でした。ショックでした。やっぱり分かってくれなかったか、と。
一体何を考えているんだろう、と思いました。死亡のリスクがあるワクチンであることは重々理解している。それでも、打った。どういう気持ちなんだろうか、と。
父は健康です。もちろん、年齢相応の衰えはありますが、同年代の人に比べれば全然元気なほうだと思います。5年前母に先立たれたときには、ずいぶんへこんでいましたが、立ち直って、ゲートボールとか読書とか、町内会の老人仲間との交流とか、人生を楽しんでいるように見えました。
それなのに、なぜ打ったのか?
そろそろ潮時かな、と思ったと思うんです。
「人生には意味がある」とか「生きることは絶対的な善である」とか、世間的にはなんとなくそういうことになっていますけど、80代の老人の心境って、必ずしもそうじゃないように思います。
人生、一通りやりきった。幸い健康だけど、それほど楽しいわけじゃない。かといって自殺するほどつらいこともない。一応毎日生きてるけど、いつお迎えが来てもいい、みたいな気持ちで毎日を過ごしている。そんなときに、ワクチンの接種案内が役所から届いた。町内会の立場上、当然打ったほうがいい。「みんながかからないために打った」と言えたほうが、大きな顔ができる。私は「死亡のリスクがあるワクチンだから打つな」と言ったけど、これはむしろ逆効果だったかもしれない。ワクチンを打つという社会への面目を保ちながら、かつ、仮に死んだとすれば、実は父にとって、これほど都合のいいことはない。退屈な人生からきれいに幕引きができるわけですから。姥捨て山を実践しているようなところがあるのかもしれません」「先生、枠を打つ人の気持ちって、想像したことがありますか?『気持ちも何も、マスコミに洗脳された被害者であって、自分の頭で何も考えていないだろう』、と言えばそうなのかもしれません。でも、それだけではないと思うんですね。(『打つ人の気持ち』より)

この二つの話にドキッとした。どちらも、ウチの息子の心境に近いのではないかと。後の話は、80代の男性の話だけれど。息子もあっという間に打っちゃったのよね、仕事柄しょうがないところはあるけれど。

「人生には意味がある」とか「生きることは絶対的な善である」とか、世間的にはなんとなくそういうことになっていますけど、80代の老人の心境って、必ずしもそうじゃないように思います。

男であれば、若くてもそういうところがあるような気がする。全国転勤の仕事で彼女と離れているし、特に今はブラックだし。「しょうがない」って。すがりついて止めるのは、彼女であれ母であれ、女の役目のような気がする。


*****

インフルエンザワクチンの副反応による死亡率は0.00001%、子宮頸がんのワクチンの死亡率が0.00003%なので、子宮頸がんのワクチンの方が3倍インフルエンザワクチンよりも、死亡率は高いというふうに言えます。そんな中コロナワクチンというのは、0.0015%の死亡率ということなわけですから、子宮頸がんワクチンよりも50倍死に至るということが言えます。(「【人生が変わる7分】厚生省データから判明! コロナワクチン副反応での死亡率 インフルエンザワクチンの150倍!」より)


例えば、死亡率はこれだけ高いのだから、あの液体は毒でしかない。すぐに死ななくても、身体によいわけはない。だから、どんな理由があっても「打つな!」と、反枠の人なら誰でも思っているだろう。

私にはもう一つ、打ってほしくない理由がある。あの液体が”穢れたもの”だから、そんなものを進んで身体に入れるべきではないと思う。

自分から穢されるな!


実は、この騒ぎの前から現行医療は穢らわしいと感じていた。


穢れ=人間の奢り


不思議体験の直後はよく分かっていなかった。分かっていたら、子宮頸がん枠を打ちに子どもを連れて行ったりはしない。気づくのが遅かった。


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・・・ヨハネの黙示録に、大いなる都市であるバビロンの崩壊が書かれていますが、こんな記述があります。
「お前の魔術によって すべての国の民が惑わされ、 預言者たちと聖なる者たちの血、 地上で殺されたすべての者の血が、 この都で流されたからである。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭18:23-24‬‬)
このバビロンが、古来バビロン帝国のあったイラク地方の国のことを指しているのか、現代版バビロン、つまり古来バビロンのように真の神から遠く離れ、ありとあらゆる悪を犯して罪を重ね続けている国家を指すのかはわかりませんが、いずれにしても神の目に罪深い国であることは確かです。
魔術は、ギリシャ語でファーマキア(φαρμακεία)
と言い、その他の意味には、
薬、薬剤、薬品、医学の使用
などがあります。
英語で薬局や製薬などを意味する"pharmacy"や"pharmaceuticals"は、ここから来ているそうです。(「獣の印を受けた人は、絶対に天国に行けない」より)

この話を知って、ひっくり返るくらいびっくりした。不思議体験のあと、人間関係を壊してでも伝えなきゃと思ったことは、全て薬、医療がらみだったからだ。そして玉砕。人間関係も壊れた。全てのケースで私が悪いと批判されたし、私もそう思う。批判され罵られたことよりも、その人のその後の苦しみを想像してしまうのが辛かった。知っていて止められなかったのだから。後になって、元気で、どや顔してくれたらいいけどね。


最初は、子どもを医療被害に遭わせて、色々と気づいたから、同じことを他の人にも経験してほしくないと思った。「添付文書、見た?」とか、「仮説に基づいた薬だよ。治っている人はほとんどいないよ」とか、「お金の流れを考えて」とか。

そのうち、これほど上手くできている神業とも言うべき人間の身体に余計なことをする行為(医療など)は奢りであり、生き物に対する冒涜だと感じるようになった。

そして、聖書のこの話を知った。

私は、自分から穢されるな!を周囲の人に伝えようとしてきたのだと思い至った。


*****

「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。 そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字(666)である。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭13:16-17‬‬)

この獣の刻印を受けた人たちは、神の裁きがこの地上に下るとき、裁きの対象になり、最終的には、反キリストや悪魔と共に、地獄に行くことになるそうだ。

・・・昨日牧師から興味深いことを学びました。
まずは、「刻印」という単語ですが、新旧約聖書の原語であるギリシャ語では、カラグマ(χάραγμα)という単語が使われています。
この単語には、日本語聖書で訳されている『刻印』という意味の他にも、
彫刻
押印
痕跡
入れ墨
などの意味があります。(前掲)

このブログを書かれた人は、今回の枠は「刻印」ではないと言っている。そういえば、内海先生が、今回の枠は身体に異物を入れることに抵抗をなくすことが目的だ、ということをおっしゃっていたと思う。それなら、まだ良かった。少なくとも、打って後悔している人はこちらに引っ張ることができる。


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溺れ死にそうになって、そこにイエスが現れて助かったというムスリムの人がいるそうだ。私は既存の宗教には属していないが、少なくともクリスチャンではない。私も死にかけていた時だった。

その時のイエスの言葉の意味を毎日考えている。

最近になって、今の状況と私の立ち位置のようなものがうっすらと分かってきた。

じゃあ、何をすればいいのだろう。


私は、生活を断たれても、殺されても打たない覚悟はできている。私の身体は私であって私じゃないから、私の判断で勝手に穢してはいけないと思っている。だから、枠を受けたくないという人たちにとっての、一つの精神的な支えにはなると思う。

でも、それだけじゃ足りない。

今回の枠で即死じゃなかった人にも生き抜いてほしいと思うし、枠を受けたくないという人にとっても、生きていくためのものが必要だ。私が不食の人になったとして、一人生き残ってもしょうがない。


ふと、お金に支配されないコミュニティを作る、いや作れるかもしれないと思った。


現行のお金システムの中で生きていくとなれば、この先、獣の刻印を受けなければ生きていけない。それとは別の生き方を目指してみよう。たとえ、すぐにひねり潰されたとしても。


山奥に行けばいいのだろうけれど、夫の実家を守ることに決めている。夫の実家は、年寄りだらけのシャッター街の街だ。そこに現行のお金システムから外れたコミュニティを作る。畑も作る。希望するなら、若い人にも入ってもらう。そのために、今は何をすべきか。

*****

無題

(http://www.e-douwa.com/japan/SpiderSilk/index.htmlより)

別に、お釈迦様に褒めてもらおうとは思わないけれど、特に若い人は、私を踏みつけてでも助かってほしいと思う。深刻なことを書き連ねてきたけれど、面白いことになりそうだとわくわくしている。となると、やることがたくさんあって、けっこう、忙しいかも・・・


(タイトル画像https://blog.goo.ne.jp/chipndale97/e/5629a42797691c39ea1f3095aa08bd57)

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