私のピアノ

4歳からピアノを始めた。
母の影響でピアノを始めて16年経つ。
今も使っている16年目の電子ピアノは、今はもういないけど大好きな憧れのおじいちゃまが買ってくれた。
本当はグランドピアノが欲しいんだけど、やっぱりこのピアノは手放せない(笑)

最初に習ったピアノの先生。優しいおばさんで今、絶対音感を持てているのはこの人のお陰。たまに何人かで競争する和音の聞き取りも1番だったし、暗譜も、リズムも何もかもピアノの基礎をこの人から学んだ。5年間だった。

小学校に入ればピアノの伴奏は絶対やっていたし発表会もいつもかっこいい曲が弾きたくて自分の意思は貫いていたからいつも楽しそうね、って言われてたけど、そう見えていただけで小さい頃はピアノが本当に好きじゃなかった。
ただやらされていた、というのが正しいのかも。家でのママのレッスンいつもできなくて泣きながらやってた。ずっと泣くから、間違えずにできたらご褒美にアンパンマンチョコ貰えるんだけど、アンパンマンチョコのためにやってたもん。
発表会、中ホール が満員になるくらいのお客さんの前で5年間、年に一回発表会があって弾いた。幼馴染みの子とも、母とも連弾した。発表会のために作ってくれたドレスすんごく可愛くて、母はとてもセンスがいい。
その娘なはずなのになあ、ピアノはやっぱり好きじゃなかった。
昔のビデオ見るとピアノに弾かされている感はんぱない(笑)

先生の教室が遠くになるから他のピアノ教室に通った。
そこで塩入先生と出会った。6年間学んだ。
この人からは音の抜き方とか、アレグロ、レントの強弱とかスキルを学んだ。
めちゃめちゃ怖くて絶対スキルアップしないと怒られるし超怖かったけど、そんな先生ほど褒められるとすんごく嬉しくてたぶんスキルは私のピアノ人生の最上期。
中学校の合唱コンクールでは優秀伴奏者賞、卒業式では1番難しいとされていた桜も弾いたし、コンクールにまで挑戦しようとした。現実的に考えて出れるような甘いものじゃなかったから辞めちゃったけど。出ようとしていたコンクールを見に行ったけどやっぱり上には上がいる。悔しかった。
それから普段のレッスンではランクが高い曲にチャレンジして今じゃもう弾けないけど、めっちゃ練習した。
この頃からピアノが大好きだったなあ。弾ければ弾けるだけ楽しくて。
小さい頃は言われて練習していたけど、塩入先生に出会って、ピアノが大好きになった。
自分から練習するようになったし、高校受験はピアノでも受けようとしていたくらいだった。

先生が変わって、まゆ先生になった。
この先生は音大の現役ですごく可愛くてピアノも美しかった。
先生にはピアノを弾く身だしなみを教わった。腕の抜き方、仕草、動作。
先生のピアノはいつも魅了される。
また見たいなあ。

ピアノ。ピアノってすごく素直。イライラしているときに弾くと強い音が出るし、逆に萎えてるときに弾くと全然元気のない音が出る。すごい。だから逆に音の強弱はとても難しい。
いつでも生活の中にはピアノがあったし、私の影響で弟や従兄弟までピアノを始めたピアノ一家。
さすがにピアノで音楽の大学を首席で卒業した母には絶対叶わないけど(笑)

高校1年くらいで部活との両立ができず現役を引退した。

よく肝が座ってるって言われるけどたぶんピアノで鍛えられたのかな、笑
ピアノの発表会、誰よりもうまく弾きたくて特に同級生とかには対抗心凄かった(笑
発表会って1人で舞台に立って注目される時間。
アナウンスが流れて名前が呼ばれたら下手から真ん中まで歩いて行くんだけど、私の歩く靴の音しかしないの。不思議な空間だった、礼をして、拍手が起こって、ピアノに座る。いつも弾く前に「誰よりも私を見て!」って思ってた(笑)
毎回弾く前寸前まで手は震えるし、シーンとしている中あの緊張はもう味わえないと思う。
始まっちゃえば、全然平気なんだけど、あの始まるまでの時間地味に好きだった(笑)

こんな感じのピアノ人生。
今でも趣味でほぼ毎日弾くし、友達の結婚式でも弾きたいなあって思ってたり(笑)
だから弾いて欲しいって思ったら呼んでね、

これからも生活の中にはピアノがあるし何よりピアノをやっていて良かった方が多いから母、ありがとう。

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