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先輩の言葉に思うこと

こんにちは。二日酔いってどれだけ飲んだらなるんですかね、みうです。
意識が朦朧とした中で書いた昨日の記事は日本語が雑すぎて今朝色々直しました。直しきれてないかもしれないけれどもういいや。
ちなみに今日は日本酒が入っています。昨日ほどではないのできっと大丈夫と信じたいです。

今回は自分のポリシーの1つをお話ししたいと思います。

高校時代の先輩の言葉

私は高校生の頃に運動部に入っていました。そして端的に説明するのであれば論理に基づいたスポ根を仕込まれました(詳しいことはマガジンを参照ください)。

一口にスポ根と言っても、漫画やアニメで見るようなものではないとは思うのですが、根性論、精神論のようなものですかね。
でもその先輩が教えてくれたのはただの精神論ではありません。「論理に基づいた」という言葉付きです。これだから私も十分に理解できるわけです。
ともかく説明が長くて面倒くさいのでスポ根という言葉を借りてまとめます。すみません、雑で。

スポ根を仕込んだのは私より1つ上の、キャプテンを務めていた先輩です。
小学生の頃からの経験者なので技術もあって、当時の状況からしてもその先輩の存在なしにはチームは到底成り立ちませんでした。
けれども皮肉なことに、その先輩の存在が部活を崩壊へと導きました。

私は今でもその先輩を憎むようなことをしていません。その先輩がしていたことが全て正しかったとも思わないものの、それ以上に私の代のチームメートの態度が悪かったことが第一に崩壊の要因だと考えるからです。

話が逸れそうです。というか逸れました。戻します。

さて、私の代とは敵対関係にあったその先輩の言葉を取り上げたいと思います。


隠して頑張ると決めたなら、
二度とそれを表に出すな、人にそれを気にかけさせるな。

その言葉を聞いたきっかけは、ある部員の言動でした。
その部員は、練習をする前から手首に違和感をもっていたにも関わらず、部活を休めないと言って練習をしていました。
そして案の定、手首の痛みのせいでプレーに支障が出ました。
先輩が手首の使い方が違うと始動しますが、その部員はその時初めて元々もっていた違和感を訴えました。
この言葉に先輩は強くそう言ったのでした。

少し捉え方を変えてみる

振り返ってみればそれは少し無茶な話でした。
逐一自分の体調不良を報告して練習を休んで、ということになってしまえば、それはまた別の意味での崩壊を招きうる事態になります。先輩のものの言い方も相まって、ちょっと嫌な気持ちにもなりましたが。

それでも私は、先輩のその言葉をヒントに一つの自分のポリシーのようなものを確立させたように思います。

そのポリシーは「相手にとっての一番を考える」ということです。

私が本当に大切にしたいと思った人に対してはいつもこの思いを一番にして接しています。
至極当然のことではあると思いますが、結局簡単そうに見えて難しいことなのではないでしょうか。



例えば何かつらいことに直面した人に対して、「つらくない?」と声をかける度に「大丈夫!」と元気な返事が返ってくるとき、こちら側がずっとその人の本心を気にかける必要もないのかもしれない、ということです。

それはもちろん「相手の身に起きたつらいことを無視する」というのとは違います基本的な思いやりをもつのは大前提です。
いつも通り接することが一番相手にとってはありがたく感じる場合もあると思います。

上記の例で言うならば、その人のことをずっと心配し続けることも大切だけれど、隠すと決めて「頑張る」と言っている人に対しては、その姿勢を応援してあげることが一番なのではないかと思います。


自分がもし立ち直ろうと決めて頑張っている矢先にずっと「つらいんじゃない?」と声をかけられた場合を考えると、なんだか自分でも「もしかしたらまだ私つらいのかもしれない」という感情に見舞われてしまうかもしれません。
もしそうなのだとしたら、その相手の言葉は私の「一番」を思ってのことだろうか、という問いが生じるでしょう。
もちろん心配してくれることは確かにありがたいことです。それ自体はありがたく受け止めて、の話です。

今相手が私にしてほしいことはなんだろう。
今相手が私に言ってほしい言葉はなんだろう。

相手にとっての一番を考えることで初めて、相手の気持ちを親身になって考えると言うことができると思うのです。

私自身が心がけていること

少し部活の話に戻ります。
そのような経験を当事者ではないものの目の前で見てきた私は、自分自身の言動にも気をつけることがあります。

それは、「できないことは最初から無理しない/言わない」、そして逆に「できると言ったことはどんなにつらくても辞めない」ということです。

つまり、先輩の言葉を借りるのであれば「隠して頑張ると決めたなら、最後まで頑張る。それができないなら、最初から隠さない」と言うことです。

これがいいのか悪いのかはその個人の価値観によって大きく変わってくるとは思うのですが、今のところ私には向いているように感じます。ただ、あんまり極め過ぎると病んでしまいそうなので程々にするべきとは思います。

頑張っている途中で心が折れそうだと予測がついた時には、頑張る前に誰かに相談して心にガムテープをぐるぐると巻いてもらう、あるいは別の道を選択することを宣言する。
どんなにめげそうでもとにかくやってみる、当たって砕けることを恐れない、自分の思いを安易に曲げない。

ある人はそれを「逃げ」と言います。また別の人は「ストイック」と言います。またある人は「真面目が過ぎる」と言います。
自覚はあります。はい。

この考えを持つようになってから、自分で自分を苦しめることも多々ありましたが、それでもよかったと思えることが増えましたし、自分の取り柄を伸ばせていると感じる機会も増えました。

スポ根が善とも精神論が善とも言いませんし、正直苦手な方ですが、部活の先輩はきっと何か本質を捉えて話をしていたのだろうなと思います。
逆風に流されることなくきちんとその言葉を記憶して体得できた高校生の当時の自分、そしてもちろんその言葉を言ってきっかけを与えてくれた先輩にも感謝ですね。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。