会いたい気持ちと切ない気持ち。
こんばんは。
なんだかつらいなぁ…しか出てこない私です。
先日、2番目をしていた彼から、桜を見に行かないかと誘われました。
というか、誘われてるのかもよく分からず、「お誘いですか?」と2度ほど聞いた。
なんていうか。
会えるなら会いたい。
そう思う自分と。
会ったところでどうにもならない。
その現実を見ている自分がいる。
なぜそう思うのか。
彼は、過去を懐かしみ、その過去のあの日、あの瞬間をもう一度体験したい。
私は、過去ではなく未来に繋がる一日を過ごしたい。
見ている方向が、スタートから、違う。
あの日あの瞬間はたしかに楽しかった。
こんな思い出をたくさん作って行きたいと思った。来年もそんな日がきたらいいなと思っていた。
でも、ほんとは去年、心のどこかで思っていた。
もう来年は、ここには来れないかもしれない
それは、1歳の自分を幸せにしたいと思った時に、ずれてる今の人生に気がついたこと、そして、お相手の方から随分前に、この関係を続けるのが辛いと言われていたこと、などなど、なかなかこれを来年も過ごすには無理があるのではないかなと思い始めていたからだ。
とびきり楽しんだあとの、あの、別れ際の切なさ。
手を繋いで過ごしたたくさんの幸せの時間のあとの、それでも彼は、私を「選ばない」という既に知っている現実。
選べなかったのか、選ばなかったのか
決められなかったのか、決めなかったのか
どちらにしろ、もう、私が決めるしかなかった去年の夏。
お相手の方は、別に私のことが好きというわけではないようだ。またお付き合いしたいというわけでもないようだ。ただ、あの楽しかったひとときを懐かしんで体験したい。
つまり。そう。
会っても何にもならない
会っても、祭りのあとがくる。また来年は、こない。
私は、彼に幸せでいて欲しい。
私は、私自身にも、幸せでいて欲しい。
そのために、彼を手放した。
だから、彼が好きな人にも、幸せでいて欲しい。だってつまりその2人は両想いなわけだから。桜が見たければ、その両想いの方と見に行けばいい。私との過去を懐かしむのではなく、いま、彼が選び、隣にいる人と来年につながる思い出を作ればいい。
…それを、私に思わせてどうしたいのだろう。傷つけたいのだろうか。
彼は、一体何を守っているんだろう。
これが、自分を1番に大切に、幸せにしていないと起こる、誰も幸せになってない現象のリアル。
なんだか、切ないなぁと思いながら、、、おやすみなさい。
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