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戦後日本の高級共同住宅、ビラ・ビアンカに見る先進性。

鼎談

興和商事株式会社 取締役 新槇照代 × LAPIN ART 坂本大/関電不動産開発 中平英莉

東京・神宮前エリア。明治通り沿いに建つ高層マンションのビラ・ビアンカは、日本の高級集合住宅の先駆けとなった、RC+SRC造、地上7階地下2階の建造物。興和商事株式会社の創業者・石田鑑三が「ビラ・シリーズ」の第一弾として計画し1964年に竣工しました。時代は高度経済成長期、新しい都市生活に向けて提案されたデザインの意味とは?
 
興和商事取締役の新槇照代さんに、「わたしの部屋」のディレクションを担当するLAPIN ARTの坂本大さんと関電不動産開発の中平がお話を伺いました。今回はその後編です。

前編


左側が玄関 階段側面に郵便受け兼牛乳受け

共同設備を可能な限り便利なものに

中平:竣工当時の様子を振り返ってみたいと思うのですが、1964年にできたビラ・ビアンカは日本の高級集合住宅の先駆けですよね。
 
新槇:1964年の東京には、ビラ・ビアンカを含めて4軒くらいしか集合住宅はなかったようですね。この近くですと原宿駅前のコープオリンピアが1965年に建設されました。
 
中平:区分所有法(一棟の建物を区分して所有権の対象とする場合の所有関係と共同管理について定めた法律)ができたのが1962年ですから、本当に初期の段階です。
 
新槇:集合住宅としての機能を便利に設えることに力を注いだことも、ビラシリーズの特徴です。ビラ・ビアンカでは、エントランスに共有のロビーと管理室があります。ユニークなものでいうと各部屋の郵便受けでしょうか。壁に設置されていて、牛乳受けも兼ねているんです。時代を感じさせますよね。こちらの部屋のものは、玄関を入って右側の壁にあるため、共有部分の階段の途中に開口するという構造です。部屋の外と内にゆるやかな繋がりがある造りが面白いですよね。
 
共有部分にコンクリートと木材、ガラスブロックを効果的に組み合わせていて、部屋の内側との統一感が感じられます。


木製の玄関扉

共有スペースを大切に維持する

新槇:共有の設備やスペースを快適に使っていただきながら永く維持するために、入居者の方には、リフォームを施す場合でも、玄関ドアやサッシには手を加えないことをお願いしています。
 
中平:各フロアのエレベーターホールにあるガラスブロックの筒型の大きな壁もデザインですか?
 
新槇:それもありますが、実はあの中に空気の通路があって、全住戸の空気を屋上にあげ換気しています。外壁に給排気設備はありません。
 
中平:給湯や冷・暖房と同様にセントラルシステムで管理されているんですね。今も問題なく機能しているのですか?
 
新槇:はい。建設当時、画期的だったセントラルシステムは、集合住宅としての機能の目玉の一つでもありました。メンテナンスを続けることにより今も稼働しています。
 
セントラルシステムは贅沢な計画のように見えますが、建築を担当した堀田英二は「それは、従来の共同住宅と比較してゼイタクであって、これからの生活を予測し、将来の住居として考えた場合、むしろ、当然の要求を満した住居と申せましょう」と述べています。何十年先を見据えて作られた建物と空間だったから、長い間、残ってきたのかもしれません。


テラスに、花を、緑を

坂本:テラスにプランターが設置されていますが、つまり、植栽をすることが想定されていたということですよね。玄関ドアが木製で統一されていたり、室内に緑や黄色のタイルが使われていたり、ボタニカルな要素もデザインする上で外せないファクターだったのかなと感じました。単なる無機質なコンクリートの建物ではない、温かみを感じますよね。
 
ビラ・ビアンカが当時のパンフレットで提案した暮らしの中に「SKY GARDEN 庭園のある暮らし」という言葉を見つけました。「各個室に設けられる、広いテラスでは、一家そろってバーベキューが味わえますし、花に包まれた暮らしを満喫していただけます」。東京の空を仰ぎ自然を感じる暮らしの提案です。
 
坂本:都会の集合住宅という概念さえ新しかった時代なので、ハード面だけでなく、住むことによって得られる精神の充実の提案も大切にされていたように感じました。そうした豊かさの中にこそ、その当時の富裕層の方たちのライフスタイルがあったのではないかと。美術評論家で目利きとして知られた青山二郎も住まわれていたと聞きますね。
 
新槇:はい。青山さんは、テラスに日本庭園を作られたそうですよ。


洗面室の壁に貼られたタイル

50年以上、高い価値を維持しつつづける理由

中平:不動産的価値から見た場合、建設から50年以上経った今も現行の新築マンションと変わらないほどの価値を維持している物件です。価値が下がらない理由はどこにあると思われますか?
 
新槇:特徴的なデザインという目に見える事柄もそうですが、それ以外に、建築の初期段階から石田が素材を丁寧に選び、デザインを練りに練って取り組んだことが評価されている点があると思います。基礎工事の現場に、石田自身が長靴を履いて立ち会ったとも聞いています。地下5階くらいまで深く掘り基礎を作っているので、東日本大震災の際にも壁紙が破けるくらいの被害しか起きませんでした。
 
中平:誠実に高品質なものを作ろうと取り組んだ結果が、時代を超えてきちんと評価されているということですね。その品質を維持するためにされていることはありますか? 
 
新槇:現在、戸数の4分の1は自主物件として興和商事が所有しています。発売当初に意図的に残したのか、結果としてそうなったのかは定かではないのですが、ある程度、目が行き届く状態です。それから「ビラシリーズだから入居したい」という方がいらっしゃることに助けられているところもあると思います。住む方を選ぶというとおこがましいですが、古いことの価値を分かっていただける方に入居していただくことで、価値を守っていくことも、私たちの役割の一つだと感じています。


左から新槇さん 中平 坂本さん

創業者・石田鑑三氏の先進性

中平:興和商事の創業者・石田鑑三さんにまつわるエピソードをもう少し教えていただけますか?
 
新槇:石田は、本当に個性の強い人だったんです。
 
中平:先見性のあるその感性はどのように培われたのでしょうね。
 
新槇:好奇心が旺盛だったというのはあると思います。15~16歳で志願兵として特攻隊に配属され戦争を体験したのち、東京に戻ったところ、焼け野原の土地を目の当たりにしたことがきっかけで、建設業に携わろうと決めたようです。戦後すぐ、昭和20年に会社を創業し、戸建て住宅の建設から始めました。その後、海外で見た集合住宅の暮らし方に魅力を感じ、東京にもそうした素晴らしい住環境を作りたいとビラシリーズを計画したと聞いています。
 
中平:石田さんの先見の明と、それを受け継ごうとする興和商事の活動があってこそ、ビラシリーズはこうして残ってきたのですね。
 
おわり
 
構成・文 衣奈彩子
写真 米谷享

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前編

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