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大人になんてなりたくなかった。

それこそ中学生の頃から「大人になる」ことに怯えて生きてきた。大人になったら誰も助けてくれない。こどもゆえの特権を全て失ってしまう。今まで築いてきた関係が全て失われる。それが怖かった。

いざ誕生日を迎えて、その恐怖が想像以上に大きかったことに愕然としている。

なんだかんだでわたしは誕生日を楽しみにしていたのだ。こんな誕生日が迎えられたらいいな、こんなことをしたいなという理想の誕生日があった。しかし、それらは何一つ叶うことがなく、泣きながら12時を迎えた。加えて、誕生日を安全な場所で迎えたいという最後の望みが仇となった。身体的・精神的に傷つけられる心配のない場所に身を置いたからだろうか、張り詰めていた糸がぷつりと切れ、わたしを引き摺り下ろした。

誕生日を迎える、その瞬間だけでも幸せでいたい。

その思いでいろいろと計画して、たくさんの理想を思い浮かべていた。その中には、この日を死にたいと泣きながら迎える未来なんてなかった。100%理想通りに行ってほしかったなんてわがままは言わないけれど、せめて普通に迎えたかった。朝目覚めて、死にたくて涙が溢れる誕生日なんて、わたしは欲しくなかった。また、誕生日の呪いがひとつ増えただけ。ないものねだりだし、理想が高いことはわかっている。ただ、誕生日ぐらい落ち着いて迎えたかった。


「こどもは無条件に守られるべき存在だよ。そして大人は守る義務があるんだよ」

わたしは「無条件に守られるべき存在」ではなくなってしまった。守る義務を持つ大人になってしまった。
頭ではわかっている。自分は今まで散々守られてきた。それに甘んじていたのはわたし自身だ。いつまでもその立場でいられないことなんてわかっていた。わかっていたのに何もしなかった。

ここ最近、「大人にならなければ」という焦りからむしろ悪い方向へ進んでいってしまっていることに気がついてはいる。
傷つかないために、あえて自分を遠くへ置く。長い時間かけて、その感覚を手放してきたのに、傷つきを癒そうと周囲の人間に迷惑をかけることを避けたい一心で、またその感覚に手を伸ばした。間違っていることなんてわかっている。収拾がつかなくなって、より迷惑をかけてしまうということも。それでも、そこから抜け出すことができない。

適切に相談するのが「大人」なのだろう。けれど、いま口を開いたら呪いのような言葉しか出てこない。それを相手にぶつけることは「大人」ではなくて、その言葉は吐き出されずに自分の中に溜まって増殖していく。

今までそこから救い出してくれた人たちはもういない。
わたしは自分でそこから這い上がるしかない。
もう気力もなく、どうなってもいいやという思いもある。
そんな思いを抱えている自分が、一番嫌いだ。


結局どうすればいいのかわからないまま、きっと泣いて1日を終えるのだろうな。