2020/5/9 晴れ 東京

職場は9時出勤だが、今日は土曜日だ。ゆっくりと眠らせてもらう。だって、まだ8時だ。9時過ぎまで眠る。そろそろ起きなければ。ベッドで5分刻みにアラームを設定する。アラームが鳴るたびに浅い夢から覚める。なんとか身を起こして風呂場に向かう。いつもは髪を乾かさずに家を出るが、今日はしっかりと乾かす。ボリュームが多少抑えられる。娘は毛量が多く、将来ヘアスタイルに苦労するだろうと同情する。今日は何線で出勤しようかと考えて、一番早い経路を選ぶ。

地下に向かう長いエスカレーターで宇多田ヒカルの新曲を聴いた。硬いビートは小袋さんが作ったものだそうだ。僕は彼の音楽もキャラクターも苦手で、その理由は「リア充っぽいから」とつまり言いがかりなのだろう。イケイケな感じ。彼はビートもイケイケで、宇多田のボーカルもそれにつられて攻撃的な印象を受ける。『初恋』もそうだった。彼女の歌は強くなった。強くなりすぎている。ボーカルに一切ブレがない。アットホームな雰囲気が消えてしまった。「Making Love」にはビートも柔らかく、声も歌詞も隙があった。その隙に魔法がヒュッと入り込んでいた。この隙のなさはなんだ。そうだミスチルだ、と思う。

最寄駅の改札を出て、信号を待つ。「Tomorrow Never Knows」を再生する。青空の下で、横断歩道を挟んで老若男女が信号を待っている。イントロが流れ瞬間にその風景が一気にのっぺりとドラマチックに映る。リスナーへの強い浸透力。人生色々あるけど、僕らは生きている。そんなメッセージが視界を濁らせてゆく。強い音楽だ、「Time」の宇多田ヒカルとは違う意味で。現実に雁字搦めにして、それを祝福する。もう逃げられないぞ、と囁く。「無邪気に人を裏切れる程/何もかもを欲しがっていた/分かり合えた友の/愛した女でさえも」。例えばそんな罪を「心のまま僕はゆくのさ/誰も知ることがない明日へ」と強烈な説得力で肯定してしまっていいのだろうか?表現が倫理的である必要はないが、これはあまりに邪悪だ。力がある音楽だ。多くの人を動かすだろう。でも、これは邪な音楽だ。

同僚が「平成生まれで一番ガンダムに詳しい」と豪語しており、拍手を送る。「平成生まれで一番詳しい」と言い切れるカルチャーがある人なんてそうはいない。尊敬すべき人だ。ガンダム学の教えを請う。「ファーストガンダムから観ればいいよ」と耳タコな言葉も彼の口から発されると説得力がダンチだ。初代ガンダムの劇場版がNetflixで配信されており、まずはここからかしら。僕もお返しがわりに『ウォッチメン』をレコメンドする。アメコミというだけで避けていた自分が、まさか原作を取り寄せるまで夢中になるとは思わなかった。

『ウォッチメン』のことばかり考えている。「現実にヒーローがいたら政治も社会システムも全部変わってしまう」という原作『ウォッチメン』の出発点は、本格ミステリに対する社会派ミステリに似ている。本格に対する社会派、社会派に対する新本格、新本格に対するアンチミステリ。リアリズムから古典への回帰を経てメタ的な反ミステリ。殆ど戦闘シーンが描かれないHBO『ウォッチメン』は社会派ヒーローもの?アンチヒーローもの?それとも古典ヒーローもの?探偵は現実にいるけど、スーパーヒーローは現実にいないから社会派はないか。タルサ暴動という史実はそのままに「アメリカがベトナム戦争に勝利した」並行世界の2019年のラジオからはフューチャーが流れている。この現実からの絶妙なズレ具合がフィクションとしての強度を支えている。殆ど同じで、でも決定的に違う世界。それは「探偵」という存在が世界すら少し歪めてしまうアンチミステリ(「推理小説が持つ特性の一部を過剰なまでに操作している」)の構造に近いのではないか。“現実を少し歪めなきゃ”語れないものがある。かたや社会問題を、かたやミステリー小説への愛を。

17時になる。家に帰ろう。晩御飯はどうしよう。たらこスパゲッティが食べたい。スペシャルズ『More Specials』を聴く。ファースト並みの大名盤だと思う。オープニングの「Enjoy Your Thing (It’s Later Than You Think)」の馬鹿騒ぎにどこか知性ゆえの乗り切れなさが滲んでいてぎこちない。これぞスペシャルズ(=制限を持った人)だ。最高傑作「Do Nothing」も収録されている。最初のヴァースの「New pair of shoes are on my feet/Cos' fashion is my only culture」(新しい靴を履いている/ファッションが僕の唯一の教養だから)というクール過ぎるパンチラインは毎回痺れる。呑気さとシニシズム。エモーショナルになるなんて、まっぴらごめんだよ。

スーパーでたらこスパゲッティの材料と燻製ナッツを買って帰る。家に帰った途端めんどくさくなって、残り物のカレーを温める。ナッツを齧りながらダラダラする。異様に眠たい。TwitterでシェアされたNujabesの記事を読む。橋本徹さんと近しい人だったんだ。レコード屋を経営していたのも初耳。彼の音楽を遠ざけていたものの正体が思い出せない。なんとなくいけ好かなかった。

相当なディガーだったのね。知らなかった。舐達磨が「FLOATIN’」でサンプリングしていたことも知らなかった。誰より早くジジ・マシンをサンプリングしたことも知らなかった。ちゃんと聴かなきゃね。空っぽの音楽ではないようだ。それをどこかで耳にしたはずの彼の音から気付くべきなんだけど、僕はダメな奴だ。まずはファーストから聴いてみようと思う。何度も出会い直せばいい。


今日の一曲/The Specials「Do Nothing」




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