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~コロナ禍での第ー子出産STORY~U様



出産日  2021/01/12
第一子   
産院 :  中島産婦人科


2021年1月12日
17時03分  2736g 48.9cm 



男の子  私の第一子出産。


それは自分の想像を遥かに越えたものだった。

“幸せ”と“不安”がこんなにも隣り合わせなんだと初めて知った出来事だった。




2020年6月、妊娠発覚。


新型コロナウィルス感染のニュースが毎日のように流れ、世の中パニック状態。


病院の健診では、都度診療方針や出産・入院時の対応が目まぐるしく変わる。

立ち会い出産や面会、お祝いディナーやパパママ教室の開催は“できます”と言われて喜んだ矢先、“中止となりました”とお知らせがくる。

そんなことが続き、正直とても怖かった。

今思えば、病院も最新の情報をどこよりも早く入手し、安全なやり方を考えてくれてのことだったと思う。


でも、当時はそんなこと考える余裕もなくただただ不安な気持ちを抱えていた。


それでも、日々大きくなるお腹をさすって元気な胎動を感じられることが何より嬉しかった。


1月11日  36週5日目の朝。


“あれ。お腹の辺りが少し痛い?”

生理痛によく似た、そんな痛みだった。

いやいや。予定日は2月3日。
陣痛が始まるにしては、早い。

主人もそう思っていた。

痛みの強さも間隔もバラバラ。


産院に一報を入れてみるも、前駆陣痛だと思うから普通に過ごしていて大丈夫とのこと。

ならば!普通に過ごして妊娠中やりたいことを目一杯やろう!


そんな軽い気持ちだった。



主人と買い物に出かけ、食べたいものを買って家事もそこそこやって。

名前も決まったところだから、命名書も書いちゃおう。


普通に過ごしていいんだから、と思いながらもやっぱりお腹は痛い。


“ん。朝よりお腹痛い・・・。痛むときにお腹張ってる?”

“でも、病院では前駆陣痛と言われたし、調べても確かに同じようなことが書いてあったなー。”


当時、色んな情報を知るための場所や教室がコロナの影響で閉鎖されていたため、陣痛がどおいうものなのか、破水はどうなるのか、お産てどうなのか。


何も知らなかった。


そして、病院にも安易に連絡してもいいのかわからなかった。


不安は募るばかり。


それでも、お腹は痛みを増していく。


1月12日に日付を変わる頃には、お腹が痛くて横になって寝ていることが出来なくなっていた。さすがにもう一度病院に連絡し、状況を説明した。




36週6日目  1月12日の朝


“お腹が昨日連絡した時よりも痛いです!”

“うーん。でも、出産日まだだもんね。会話も出来ているし。前駆陣痛かな。時間は測ってみた?”



会話ができると陣痛じゃないの!?時間を測る!?戸惑うしかなかった。


“時間は測ってません。ただ、時間はバラバラな気がします。”

“じゃあ、時間を測って間隔が整ってきたら連絡してください。前駆陣痛だと、痛みが無くなってくる場合もあるから。今日、健診の予約も入ってるしその時にそのまま来てくれていいからね~。”


こんな会話を病院の助産師さんとした。


全然わからない。
わからないまま、お腹の痛み増すばかり。

引く様子はない。

結局、歩いたり立ったりしたまま一睡も出来ず、カウンターアプリも使ってみたが上手く測れないまま、朝を迎えた。 

前駆陣痛ってこんな痛いの?

会話ができるとまだ本陣痛じゃないの?

このままで本当に大丈夫?


主人もなにもわからないまま普通に出勤をしてしまった。


健診もあるし、それまでとりあえず家でなんとか過ごそう。



そんなことを考えているうちに、どんどん恥骨の辺りに激しい痛みを感じるようになった。
冷や汗も出てくる。


自分で車を運転することは到底無理。

実家の父母に連絡をして、来てもらった。


13:30 出発
14:00 病院到着


付き添いは禁止のため、倒れこむようになんとか受付まで歩く。

助産師さんがすぐに来てくれてお腹を触る。

“別室に行こう。”

すぐに助産師さんが部屋を準備してくれて、診察が始まった。そのあと、すぐに言われた言葉に耳を疑った。

“お母さん、私の指の感覚に間違いがなければ子宮口が8cmは開いています!すぐに分娩台に行こう!”



嘘でしょ!?前駆陣痛じゃなくて陣痛だったの!?

もう産まれるの!?

頭も気持ちも全然ついていかない。


15:00 分娩台に乗る

分娩台のまわりには透明のパーテーション。

そして何より辛いのは、マスクをしたまま呼吸をしなければいけないこと。

苦しい、暑い。

たまったもんじゃない。

訳もわからないまま、お産は進んでいき最後に主治医の先生が登場。

“お母さん、ラスト一回!頑張っていきんでね!”
死ぬほどいきみ、先生はお腹を押しズルッと出たような感覚があった。


“おめでとうございます!”


パーテーション越しに、臍の緒を切られ、元気に泣いている赤ちゃんの姿・・・。


立ち会い出産はもちろん禁止。

出産直後とは思えないほど最速で携帯を探し、自分で必死に動画を撮った。

そして、主人にも初めて連絡をし報告。なにも知らない彼はパニック。


無理もない、私もパニックだったのだから。
そしてすぐに病院に駆けつけてくれた。


そこからたった15分の面会。面会は一瞬の出来事で、どんなだったのか正直記憶にない。


その後すぐにPCR検査。


検査が終わるまで水分補給も出来ない。


今思えば、ひとりでよく頑張ったなぁと思う。


同じような時期に出産をした女性は、本当に孤独だった。みんなそれぞれ色んな思いをして、色んなドラマがあったんじゃないかと思う。



病院の先生やスタッフの方も、日々コロナ出産の対応に追われ緊張感と隣り合わせの中、必死に付き添いをしてくれていた。

正解が何かなんてわからない。

ただ、今子育てをしながら思うことは、

出産=病院でなくてもいいんじゃないか。



出産にも選択肢があっていいんじゃないか。ということ。



私は現在第二子を妊娠している。
第一子出産後、ご縁がありなんでも相談できて心の拠り所となる助産院と出会うことができた。


そんな出会いから、第二子は“自宅出産”を選択した。



私は、パーテーションなんてなくて、臍の緒で繋がった我が子をすぐに自分の胸に抱いてあげたかった。

コロナで色んなことを制限された出産を経験したから、こおゆう選択を自分で考えて出来たのだと思う。


病院には病院の良さもある。
でも、出産って、もっと身近で生活の延長線上にあっていいんじゃないか。

住み慣れた家。

そして、そこには大切な家族と信頼できる助産師さん。

自分ひとりではなくて、一緒に新しい命の誕生をみんなで分かち合いたい。そんな幸せなお産を今は夢見ている。

最後に伝えたい。

なかなか不安や心配なことって誰かに話したりできないもの。でも、出産をしたらボロボロの体に更に育児もスタートする。

“子育て”は想像よりはるかに“孤育て”だと思う。

“わからない”ことはわからない

“不安”なときには不安

“助けて”のSOS

勇気を出して、是非発信してほしい。
誰かが必ず助けてくれる。

ひとりひとりの発信が、女性にとって、優しい世の中をつくるきっかけとなりますように。



U様素敵な出産STORYありがとうございました。

コロナ禍できっと不安な中での出産だったと思いますが無事にうまれてきてくれてほんとによかったです☺
U様のおっしゃっている通り出産にもいろんな選択肢があります。

いろんな方の出産STORYをみなさんで共有できたらたくさんの方の選択肢が広がると思います。

今後も皆様の出産STORY、妊活STORYを掲載していきますのでぜひご自身の選択肢のお役にたてますように。

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