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斉藤恵那という性癖

俺達の輝ける日々、即ちSHINY DAYSはここにある。

キャンプというアウトドア趣味に対してあまりにも細すぎる手足と首、白い肌。
自分より弱く小さいチワワが傍にいるから、普段が守護る側だからこそふとした瞬間感じる斉藤恵那という生物の弱々しさ。全てが俺を動かしている。

斉藤恵那とは生物の名前ではない。性癖の名前に他ならない。


【ゆるキャン△】の名を知らぬオタクは居らず、今となっては一般層への浸透も浅くない。大きな市民権を得たアニメである。

【ゆるキャン△】という作品そのものに対しては基本的に素敵な作品であるということ以上に話すことはない。
しかし、限界関係性オタクとしてはしまりんと大垣の関係性、そして映画における「嘘やで」の話をしないことは嘘になる。

だがここはそういう場でない。私は一人の女に性癖を貫かれ並々の並ならぬ拗らせを抱いた自覚がある。故にここにいる。

そう、私は「斉藤恵那」という形の性癖を拗らせている。

私はゆるキャン△で斉藤が一番好きだ。なんなら斉藤を見るためにこの作品を接種していた過程で作品そのものを好きになった。

恵那斉藤のなにがそこまで私を狂わせるのか。一体なにをして性癖足らしめているのか。答えは一つ。

「弱々しさ」である。
「弱さ」ではない。「弱々しさ」だ。

助けられるのが上手な様と言っても良い。甘え上手であり生きるのが旨い様とも言う。一人っ子でありながら末っ子のような人生立ち回り上手さを見せるしたたかさも孕んでいる。
庇護欲を掻き立てる様、その弱々しさに反して飄々とした性格のコントラスト。こんなにも芸術的なバランスを抱いた生物は世界のどこを探しても斉藤以外にいなかった。こんな近くに。

しかし意識して見なければ斉藤に対してそういったか弱さや軟弱さを読み取ることは難しい。なぜならば前面的にそういった描写をされていないから。
だが必ず存在する。全体のバランスに対して俺でなきゃ見逃しちゃうような部分にこそ光るものがあった。

バランス、という部分が大事だ。常に弱々しくこいつ貧弱だしなみたいな空気で扱われることは違う。
ゆるキャン△はそういった弱さや軟弱さにフォーカスされることは多くない。だからこそ本作は誰からも愛される光の力を有している。

ターニングポイントはここだ、アニメ2期5話の激闘山中湖キャンプ編。原作で言えば6巻の話。

ゆるキャン△ 6巻 118頁

この椅子を使わず地べたに座る姿へ強烈に劣情を刺激された。その後の大垣に椅子を貸してもらうところ。明確に好きになったのはここでありここから先は右肩上がりだ。

こんな薄っぺらい毛布で地べたに座り、しかもひざ掛けで足を出しているのではなく腰までかけたら届かないような短いものを使用している。
しかも別に貧乏だから椅子を持っていないというわけではない。斉藤の父はアウトドアに好意的で高価なテントを買ってくれていたりしている。即ち自らの意思で椅子を不要としている。
だがそれが逆に庇護欲に触れている。なんでおめえはキャンプに椅子持ってこないんだよと。

事実それによって大垣から椅子を貸してもらっている。大垣が良い子だということは分かる。だがそれ以上にそら当たり前だろと。大垣だから貸したが恐らく椅子を二つ持っていれば野クルの誰でも貸すだろう。一人だけ地べたに座っているのだから。

私は流れる涙を止めることが叶わなかった。
なんだこの人の善意に甘やかされて生きている生物は、と。
そうして思い返せば多くの事象がパズルのピースのように繋がっていく。
しまりんの友達という立ち位置から野クルのみんなと仲良くなっていったこと。みんなに誘われることでキャンプの輪に入ったこと。
そういった施され体質、恵那の細い体には人の善意がもりもりに詰め込まれているのだと。

人の善意を受けて生きられる人間というものは美しい。なぜならば周囲の人間が善意を、愛を与えるにふさわしいと無意識なり意識的なりに「選択」してそういったものを与えているのだから。

このシーンは原作も非常に胸に来るがアニメの方がより斉藤の弱々しさが強調されており良かった。
何気に一歩間違えたら凍死していたという事実もまた笑顔を加速させる。
寒いのが苦手なのに防寒対策が甘いという点も深い。下手したら余裕で死んでいたという事実、なればあの3人の中で最初に死ぬのは誰だったのだろうかを考えさせる。
やはり真っ先にはアウトドア慣れしておらず体も軟弱な恵那が落ちるのだろうかと。しかしてそこで簡単には死ななそうというイメージを生み出せる。それが彼女の魅力の一つだ。ここに前述した人生単位での立ち回りの旨さが光る。
体は細いし寒さに弱いし睡眠も長い。でもだからといってあっさり死ぬような性分には見えない、という部分が肝だ。私はそういったものをひっくるめて「生き方がうまい」と称する。

性格は飄々としている、というのもギャップを生み出している。
普段は自分よりも弱く小さい存在であるチワワのちくわを連れているため、斉藤は基本的に守る側の者である。
守る側の者だからあまり前面に出ることがないのだ。こんなにも彼女はひ弱であるという事実が。あの中の誰よりも華奢な体であるというリアルをこういうふとした瞬間にこそ噛み締める。

ここに斉藤恵那という性癖は宿る。
ふとした時に見える弱さの究極、気が付けばつくほどに彼女は細く弱いところが目につく。
あまりみんなにべたべたしない性格と自分よりも弱く小さいちくわを守っているからこそあまり目につかないというこのバランスにこそ力は宿る。

斉藤が持つ弱々しさの魅力とはそれだけではない。助けられ上手であるという点だ。この観点においては上の大垣が椅子を貸してくれる場面など非常に顕著だ。
やはりキャンプに椅子もってこない時点で相当熱いものを感じる。胸いっぱいになんで? という純粋な気持ちだけが溢れて止まらない。
それでいて斉藤のあの細さだ、尻肉も厚いとは言えないだろう。そんな尻で布切れのみで長時間座ることが叶うと思ったのだろうか。そういう自分の弱さ、貧弱さを客観的に見られていないと思えるところにも胸を撃たれる。

やはり大垣は気が効くし周りを見れるしでいたたまれなくなって椅子を貸してくれている。そのいたたまれなさを抱かせることの上手さ、天然の甘え上手とも呼ぶべき助けられ上手ぶりに心を震わされたわけだ。

こうして見るとここまでの全てが繋がりを持つ。基本的に誘われ待ちで自分からぐいぐい来るようなタイプではないこと。コミュ力を持ちながらもりんの友人という野クルにとっての友人の友人ポジからなかなか抜けなかった誘われ体質。
なんだかんだでコミュ力最強で程よく構ってくれて弄ることのできる大垣への懐き具合など本当に愛おしい。

実に良いポイントとしてしまりんとは元々友人であるし仲も良いが別に2人でキャンプにいったりするようになっているわけではないというところも笑顔が湧いてくる。
友人として遊んだりとは別として大垣イヌ子なでしこのような甘えられる感をあまりしまりんは持っていないのでそういう関係性でないというのは解釈の一致だ。

ここを見てからはもう無限に好きが高まっていくばかりだ。それは過去に得た栄養素から更なる力を得られるようになったことを意味する。

さて数多の公式絵を有するビッグ覇コンテンツゆるキャン△である。が、最強の斉藤とはなんであろうか。

決まっている、答えは一つ。

これだ。今は遥かきららファンタジアなるゲームが生きていた証。それがここにある。この浴衣斉藤が最強だ。
よくもまあR指定のないゲームでこんなにもエロいイラストを出せたものだと感服して止まない。きらファンで最も卑猥なイラストはなにかと言われたら私は真っ先にまっすぐにこれを上げよう。もはやこれが許されるのであればなんでもやれるはずだ。

何よりも死体のように白く不健康な肌の色、最高の一言に尽きる。薄暗いから、いうのもあるだろうがシンプルに血色が悪い。
この不健康な肌の色というものは被虐さと弱々しさを掻き立てる。

そして首の細さだ。死体のような肌の白さに加えてあまりにも細すぎる折れやすそうなこの首の細さは犯罪である。
首に目を持っていかれがちだがやはり不健康な色をした爪、昨今の流行りに比べたらあまりにも細いがそんな中でもそれなりにちゃんと膨らんでいる太もも。やはり細い足首、靴下が若干ぶかっとなっているのはその有り余る細さを表している。
ぶっかんぶっかんの上着に対してなんと下はミニスカートという配牌には涙が出る。本編においてやはりキャンプものという性質から斉藤のミニはレアである為実に貴重で染み渡る。何よりエロい。メイドにせよ和服にせよ清楚であるべき服の改造先は下品であればあるほど良い。

武器が刀であるのは似合っている。よく考えたら本当に持てるのかとなってくるのが良いからだ。ぜひリンゴを投げたり燕返しをしたりしたあと血を吐いてほしい。

別イラストにおいても首の細さは圧巻である。笑顔に対して蒼白な顔色もとても良く似合っており劣情を掻き立てられる。こんなにも細い首にもちくわを支えられる程度の力はあるという事実には人体の神秘を感じざるを得ない。
指の細さも素晴らしい。全体的に先の座っている時と対照的に足を見えない構図であるのがレアさを感じられて良い。

他にもゆるキャン△には多くの版権グッズが存在している。燃料の多さはありがたいがその多くは尖るものなくシンプルにくそほどかわいいに収まる。
良くも悪くも市民権を得ているが故の安定感のあるイラストがほぼである。

そんな中で私の心を震わせた特にお気に入りのイラストがこれだ。
重たい物を一番持つ大垣、でけえパラソルを運ぶイヌ子。そして一番荷物の少ない斉藤。なんならチクワにも荷物運んでもらっている。
明らかに荷物バランスが崩壊していく。なんならお前寝起きだろ感の迸る気の抜けた表情も実に趣深い。

寝ぼけた雰囲気というのは実によく似合っている。初期から死ぬほど寝てるし朝に弱いという設定が多く出ていたから。
大垣散髪回でも直前まで寝ていたほどだ。

そう、よく寝る斉藤についての話をしないことはあり得ない。布団で寝ているところではない。
公園のベンチで1人ドカ寝をかます無防備さについて、だ。

アニメ3期10話という記憶に新しいこのシーンだ。ここもまた私の狂いを大きく加速させた。
あまりにも無防備すぎる。恵那斉藤ほどの女ならば自分のかわいさを自覚していそうなものである。
だがそんな気配を微塵も見せずおもくそベンチで昼寝する無防備さは私が暗殺者であれば隙だらけすぎて逆に用心するレベルだ。

ガリガリな女にはダボダボの服を着せろ塾一号生筆頭としてはこの時の私服、体の細さに見合わないダボダボぶりにも触れねばならない。
こいつくらい細ければ体のラインを出した方がスタイリッシュになる。なぜこんなにもラフな服を愛用しているのか。
答えはめんどくさいからだ。私には分かる。脱いで着るだけのこういったスタイルが合っているのだろう。留めたり外したりと手間を食う服があまり好きそうでない感を見てとれる。

電車でドカ寝もかます。ここは斉藤がなでしこに寄りかかる形で寝ているのがまたオッケー甘ったれ。
斉藤に寄りかかられて本当にこれ人間1人分の重さか? ってあまりの軽さにドン引きしたい以外の感情とは人生に必要ない。

服装に関して言えば究極はこれだ。
いまだかつてゆるキャンでこんなにも衝撃を受けたことはない。こんなどすけべ胸元ゆるゆるキャンプ△が許されると思うなよ。
タンクトップは本当に強烈すぎる。安定の首細さありがとうに反して人間らしいむにむに脇はあまりにも熱いものが滾ってくる。

タンクトップが際すぎる、この線の細さと胸の小ささでこの肩と脇の露出は本当に服装がSo life is wonderすぎて世界が広がる。一体全体果たして何が彼女をこんなにも苛烈な露出へと導いたというのだ。


まさか私もゆるキャン△ほど市民権を得て光に満ちた作品でこんなにも熱くなれる女に出逢えるとは思っていなかった。
甘く見ていたし、私自身の弱さでもあった。市民権を得るほどのアニメであればそこまで尖った生物がいるはずもないだろう。そんな甘さと弱さを突かれた。

斉藤が持つこれらの弱々しさはゆるキャン△が光だからこそ出せるものである。この世界は優しく暖かい。人は優しい、しかし自然は厳しい。
そんな穢れなきことが前提の世界だからあれほどまでの無防備さや弱々しさが描写された。

当たり前のことすぎて忘れていた。
拗れ性癖は必ずしも拗れ作品から供給が得られるわけではないと。
むしろ底抜けな光から得られる"淀み"のほうが時として良質な力を生むことを。

分かるか、だからこそ斉藤恵那が好きということは唯一無二であり他で形容できない性癖の形であることが。
ゆるキャン△という力と光ある作品だからこそ生まれた奇跡の生物なのだから。

斉藤恵那は美しく儚い淀みだ。
ゆるキャン△は続く。覇権アニメパワーに地域に根付いた町起こしパワーを携え、アニメ4期も行うだろう。
原作もまだ終わる気配はない。しまりんがだんご狩りを行いビジュアルが映画に着々と近付いたりと匂いはするも死の影は見えない。

それは即ち私への燃料が途絶えないことを意味している。嬉しくてたまらない。こんなにも喜ばしいことがあるか。
これが覇権コンテンツを追うということ。ガビガビのタオルを搾って一雫を得るような行為と無縁である喜び。

喜びとは見出だすものである。だからこそ、このように口を開けているだけで流れ込んでくる快感との出逢いはかけがえがない。
令和の世にきららアニメキャラソン文化が滅びてしまっていることだけが口惜しい。よく分からん犬がどうのこうのみたいなのを歌う斉藤のキャラソンと戦いたかった。

しかしスタンプラリーだグッズがなんだとそれを補ってなおあまりある供給の多さがキャラソンのない虚しさを書き消してくれる。これまでも、これからもだ。あまりに染み渡る。過ごしてきたSHINY DAYSがSo Preciousであった事実が。

彼女といられれば、楽しいは更新中のままだ。

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