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嫌なことするの、やめました!

ありのままの自分を受け入れて、自分を活かして私らしく生きていくために。

自分でコントロールできる範囲内のこと、つまり、自分自身で選択できることについては、嫌なことをするのをやめました!

最近の具体的なことについては、
【夫に対して】
スローガン『夫のイライラにもう付き合わないぞ!』
•夫の愚痴を聞き続けること
•夫の独り言を聞き受け止め続けること
•夫のイライラに反応しないこと
•夫がイライラしないように、感情を爆発させないように、自分の言いたいことを言わないで我慢をし気を遣うこと
•夫の気分ファーストになっていたこと

【家族に対して】
スローガン『良く思われようと取り繕うのをやめるぞ!』
•義母へ気を遣うこと
•義母へ毎月の家族写真(主に娘達の成長写真)アルバムを送付すること
•実父へ心配かけないように、常に元気でやっていて問題ないから大丈夫と気張っていたこと

【娘達に対して】
スローガン『娘達も一人一人異なる人格を持つ別個の人間だぞ!』
•ママのイライラをぶつけないようにすること
•「こうしなければ」という躾と称した親の焦りから生じる行動

【自分自身に対して】
スローガン『自分で自分を一番信じてあげよう!』
•自分の本心、本当の気持ちに蓋をすること
•相手の課題のことに翻弄されて、自ら悩んで辛くなっていくこと
•相手からこう思われたい、こんな言葉をかけてもらいたい、こういう風にやってもらいたい、などといった他者への自分が望むことをしてもらいたいという期待
•自分で自分を必要以上に評価を下げて責めたり、自信を失うこと
•心と身体を無視すること、無理すること

などです。
一番はやっぱり夫とのこと!
それに関連して義母とのことですね。

私は10歳、小学5年生の時から、母が癌で亡くなる24歳になるまで、ずっと両親が不仲で後半はほぼ別居生活のような家庭環境の中で育ってきました。

その環境下で自分の心身が壊れないように、無意識に両親の間に立って二人の中を取り持つ「調整役」のような役割を勝手に担っていました。

そのせいなのか、特に目上の男性がイライラしてきたり、そのイライラで不穏な空気が漂ってくること、そのうち何かが導火線となり、いきなりそのイライラが大爆発し周りが迷惑する、といったことに非常にストレスを感じます。父が母と口論になっていた際の怒っている父の姿を重ねてしまうことがあり、心臓がバクバクしてきて呼吸が苦しくなることもあります。

今だと、気分の波が激しく怒りのコントロールも自分でできない夫が、よく喋るけれども全部を言葉で表現できるわけではない、しかし自分の強い意思は持っている、まだ3歳の長女に対し、自分の思い通りにならないことで怒りを覚え、親の立場から娘を理解しようと務める前に、抑えきれずに娘に大きな声で怒鳴ってしまう。

元々夫がイライラしている状態で、夫の気に入らないことがあり、夫が私に指摘した際に、私も自分の意見を述べると、「なんだその言い方は」などから始まって急に怒り、いきなり悪い口調で私に暴言を吐いたりしてくることがあります。

そうならないように、無意識に常にアンテナを張り巡らせて、夫が少しでもイライラしていそう、と感じ取ったら、これまた無意識に夫の機嫌をこれ以上損ねないように、多少言われて嫌だと感じても口答えにならないように何も言わずにその場は流して気持ちを抑えて、夫と娘がケンカにならないように先回り先回りと振る舞っていました。

二人がケンカ(というより、娘をコントロールしようとして失敗し、機嫌が悪くなって夫が一方的に怒るだけ)始まったら、エスカレートしないうちに二人の間に入って、二人を離して長女のケアをするという感じです。

また、夫が少しでもイライラを解消できれば良いのではと思い、仕事や対人関係の不満や愚痴などをほぼ延々と聞いてもいました。
私も長女を妊娠するまでの約12年間は、日本で一部上場企業の総合職で正社員、インドで現地採用員として3社、合計4社、会社員として勤めていましたので、外で働く大変さは自分なりに体験してきたつもりです。

ですので、家の中では本音を出してスッキリしたいのかなと、夫へ対して、現在専業主婦である妻としての勤めかなぁと、私なりに思うようにして、たくさん聞いてきたつもりではあるのですが。

夫がなんでイライラしているのか、どうしたいのか、直接言われなくても手に取るように感じとれてしまうのです。
気づいてしまったら先にどうにかしなきゃ、って先回りすることが無意識に多くなっていたような気がします。
常に気を張り詰めているうちに、今現在、夫と一緒の空間にいるだけで、ストレスを感じ、気が休まらずリラックスできなくなって心身共にとても疲れてしまっている自分がいました。

夫が気分を害しているのは、何故だか全部私にも責任があり、また一緒にいるパートナーなんだから、相手が不快な状態であれば自分も助けてあげなきゃ、のような感覚があったのかもしれません。

気付いたら夫を丸ごと全て受け入れてあげなきゃ、くらいの「母親」のような役割も勝手に担ってしまっていたと思います。

どこか自分に自信がなく、愛される価値がないというアイデンティティを持っていたので、そんな自分はイライラをぶつけられても嫌だけど仕方がないんだ、私がなんかいけないんだ、とどんどん自己肯定感が下がっていく悪循環だったと思います。

義母へ対しても、今年5月に主人と大きなケンカをしてしまった際に、電話で間に入ってくれたのが義母だったのですが、夫も私も感情的になって言い合っている声を聞かせてしまってからは、義母は完全に自分の息子である夫の味方になってしまったように感じます。

基本的に夫婦喧嘩については、夫も私もどちらにも悪いところがあると思っているのですが、私がしてしまった分については、義母にも不快な想いをさせてしまったことを謝罪しました。義母ともその時は和解したと思ったのですが、やはり以前の良好な関係からは変化してしまったようです。

これまでは毎月の家族写真を一冊のアルバムにできるサービスで毎月郵送した際、アルバムが到着すれば、義母は必ず私に「アルバム届きました。いつもありがとう!」などと喜んでいるメッセージを毎度送ってきてくれていました。

しかし今は、先々月分はアルバムが届いたことを夫にのみ電話で伝え、先月分は私の方から「アルバム送りましたので確認お願いします」とメッセージしたものの、アルバムが到着しているはずなのですが、既読のまま何の返信もありませんでした。

私はその事実に対して、
「無事に届いたから連絡してこないだけのはず」
「きっと夫との連絡でアルバムが届いたことを夫に伝えたのだと思う」
「(義母は持病があるので)最近は身体の調子が悪く携帯で小さな文字を打つのが大変なのかも」
などと、私の受け取る反応を変えようとしたのですが、頭ではそう納得しようと努めても私の心は、
「前回も避けられたと思ったけど、今回もやっぱり無視された。2度も続くならやはり義母は私と連絡を取るのが嫌なのだ。」
と感じてしまうのが本心なので、その感じ方を無理やり変えようとしてもだめでした。

本音を言えば、私も完全に夫の肩を持つようになった義母が嫌だ、それでも関係を続けようと思っているのは、娘達にとっては大切な祖母なのだし、という建前があり、
本当の本音は、私だけが夫の家で除け者にされたら嫌だ、惨めだ、恥ずかしい、などという自己保身のためでした。

今後夫の実家に家族全員で帰省する際、私だけが血が繋がっていないよそ者とされ、今回のこともあって、いなくてもよい扱いを受けてしまったら嫌だ。

でも夫と娘達だけ帰省してもらっても、義母からみたら夫と血が繋がっており、とても可愛がってくれる娘達をも義母に取られてしまうようでそれも嫌だし、私がいない方が、好きなように夫や娘達と接することができるんだろうな、という考えが勝手に巡ってきてしまうのです。

しかし先月より、私はありのままの自分を自分で受け入れて、本来の自分を取り戻し、自分はこうありたいという在り方と一致した生き方を生きていこう!と決意し直してからは、こういった私の思考の現状をまずは丸ごと認識し受け止め、感じるままに自分の感情を味わいました。

そして、「そうか、私は本当はこんな風に感じて、こんな風に相手を認識していたんだね。嫌だ、嫌いだ、悲しい、怒り、などといった感情もあるんだね。」とまずは受け入れました。

その後で、結局思い悩んでいることの大半は、「相手の行動、思考、感情」などであって、それは私自身が直接変えられるものではなかったのです。
相手を慮って発言したり行動したりすることはもちろん大切ですが、自分なりに相手を想って行動した後、相手がそれにどう感じるか、相手が自分をどう思っているか、などといったことは、考えることはゼロにできないにしても、こう思われていたらどうしよう、などと思い悩んでも仕方がないことなんですよね。

「相手が自分の取った行動、発言などに対してどう感じるか、私のことをどう思っているのか、その結果、相手は私にどのような行動、発言をするのか」などといったこと
→相手の課題

「自分が相手に取った行動、発言に対して、相手にどのように思われているか、私自身は相手にどう思われているのだろうか、良く思われたい、感謝してもらいたい」などといったこと
→私自身の課題

このように、相手と自分の課題をしっかり分けることで、より良い自分であるために、より良い人生を送るために、では次に自分はどう行動していくか、自分がコントロールできる範疇の事柄について集中していけるようになると思ったのです。

上記の私の主な課題である夫と義母との関係について、私がコントロール=選択できる事柄について整理した結果、

「それぞれに対して、自分がしんどくなってしまう行為自体をやめよう!」

と決めたわけです。

夫がどれだけ機嫌が悪く、イライラしていても、その「機嫌が悪くイライラする」行動を選択したのは「夫自身」です。

ましてや、まだまだ自分の感情のコントロールをしたり、自分の気持ちを言葉でうまく表現できるわけではない発達の成長段階にある子供達(3歳と1歳)と違って、夫はもうすぐ45歳を迎えるいい大人、もはや中年です。

夫の言い分としては、私や娘達が取った態度、行動、発言が自分を怒らせているのだ、と反論してくることがあるのですが、どういう事象にせよ、それに対してどう反応するのか、は「相手の課題」ということになります。
もちろん、前提として、私や子供達がわざと夫を怒らせようといじめたり、嫌なことを言ったりするわけではありません。
夫のマイルールに沿っているか、反しているか、その時の夫の機嫌がどうなのか、ということで夫の反応がコロコロ変わるのですから。

義母に対しても、私が未熟な為、「こちらは嫌でも良かれと思ってしていることなのに、何の返信もないなんて」なんて相手に感謝を要求し、それが返ってこないので悲しみや怒りを感じるくらいなら、そんな行動をしない方がお互いにとってましなのだ、と思うようになりました。
私の行動は善意ではなく、相手に見返りを要求している自分本位な行動であったからです。

そして、本当に娘達のためではなく、私の自己保身のために義母と偽りの良い関係を続けていこうとするくらいなら、相手にどう思われたって、それは「相手の課題」であるので、考えたりコントロールしようとしても無駄なことです。

ですから、自分が嫌だと思いながら相手と連絡を取るくらいなら、自分はどう思われたって構わない(相手が自分をどう思うかを結局はコントロールできない)ので、最低限の連絡を取るだけ(必要以上に義母に良く思われようと、コンタクトを取ることをやめる)で良いのかな、と思うようになりました。

自分でコントロールできる範疇の事柄=「自分の課題」に集中して取り組む。
「自分自身が選択できること」のみに集中していくことだと思います。

人生は有限です。

自分の大切な「生きていられる時間」を一秒たりとも、自分以外の「他者自身の課題」に使って振り回されてしまわないように。

ここに、もう一度自戒の意味をこめて記したいと思います。

自分勝手、わがままな自己中心ということではなく、皆それぞれ、「他人の課題に首を突っ込んでいる暇などないぞ!自分の人生は自分で責任をもってハンドリングしていこう!」というメッセージをお伝えしたいと思います^_^

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