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親の言葉の影響力

自分の構成要素は「遺伝」と「環境」の半分ずつから影響を受けていると言われている。それを踏まえると、そのどちらにも深く関わっている「親」という存在は、自分のパーソナリティから切っても切り離せない関係にあることがわかる。

最近、親の存在を自分自身の思想や考え方で感じさせられるタイミングも多い。

「人は外見ではなく中身」

僕の両親は、一人っ子の親の割には放任主義で好き勝手やらせてくれたと思う。

勉強も運動も得意だったので口を出すところがあまりなかったというのもあるかもしれないが、基本的に無干渉で育ててくれたのは非常にありがたかったとつくづく思う。

そんな無干渉の両親だったが、僕がまだ幼い時から母親がずっと言っていたことがある。その中の一つが、「人は外見ではなく中身」というものだ。

僕が保育園の園児だった時から、この言葉を言っていた記憶があり、いつからかは知らないが、これが自分の中で信念になっていることに最近気がついた。

特に、今の貧乏な時期は外見を取り繕うのではなくて、内面を磨くことに価値があると思っているのも、母親の言葉が効いていると思うし、何かにおいて「本質」を気にするようになったのも、母親の言葉によって外見(表層)と中身(本質)を意識するようになっていたからだと思う。

当たり前を教えてくれた両親

「人は外見ではなく中身」という言葉もそうだが、両親から口すっぱく言われてきた言葉は、基本的に「まあ当たり前だよな」と思うことが多い。だが、間違いなくどれも本質をついている。

父親から口すっぱく言われてきた「人に迷惑を変えないとか考えるな」という言葉や「先にやることやってから、あとで休めばいい」という言葉も「まあ当たり前」である。

高校生くらいの時には、その言葉の意味だけをなぞって「何を当たり前なことを」と適当に聞いていたが、いざやってみようとこれらを当たり前に行うのはなかなか難しいことに気がつく。

「当たり前のこと」こそ言うが易し行うが難しなことが多い。世界で擦り切れるほど言われてきていることだが、「当たり前なことを当たり前にすること」ほど難しいことはない。

「人に迷惑をかけることは良くないこと」として育ってきた僕にとって、今更迷惑をかけてしまうことは体が拒否反応を出してしまうこともあるし、先に休んでから後で時間がなくなる経験も何度もしてきた。

まだまだできるようにはならないが、先回りして人生の教訓を教えてくれていたことはすごくありがたい。両親は僕にありがたい言葉を送ってくれていたなということを最近になってよく感じるようになった。

両親の教えや言葉が自分に大きな影響を与えていることも多い。だから、自分が両親の切り口で自分を深掘りしていくとまた新たな自分の形が見えることもよくある。

自分の中にある他人を見つけることで、自分のパーソナリティが少し見えてくる。自分自身なんて、他人からもらった素材の組み合わせでしかないのだから。

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1997年の日本生まれ。