エクストリームで行く-20201002
エクストリーム出社的な奴、すごく良い。
30分歩いてシャワー浴びてメイクして出勤。身支度にかかる時間が短くなったからこそできるなと思う。
そして朝からめちゃくちゃ汗かくじゃん・・・。無酸素運動のときは30分~1時間以上やらないと大量の汗はかかないけど、有酸素運動だと10~15分くらいですごく汗が出るからすごい。すごい汗。気持ちいいからしばらく続けたい。
恐る恐る体重を図ったら過去最高をマークしてました。気づいてはいたけど数値に出されると結構辛い。まあお酒の飲みすぎという話なんだけど。ビールがいけないよビールが。
また今年も健康診断でコソコソ呼び出されて「体重が増えてますけどどうされましたか・・・。」と看護師に心配されるんだろうな。元気いっぱいに「暴飲暴食です!!!」と言うこちらの身にもなってくれ。黙って痩せます。
元々運動は嫌いではない。
だが、元々の元々は運動が超~~~嫌いだった。
幼稚園や小学校のマラソン大会で笑顔で親に手を振りながら下位を走り、ゴール後に親の所へとヘラヘラ駆け寄った私に母が「なんで皆必死なのに、あんたはそんなに笑顔なの?もっと速く走れるでしょ?」と聞くと私は「だって一生懸命走ったら疲れちゃうもーーーん!」と言い残し、遊具へと走って消えていったという逸話を持っている。
小学生の時は"どうやって体育の授業を休むか"ということだけに注視して生きていたのをよく覚えている。仮病を使いまくってたのに加えて普通に虚弱体質だったので体育はほとんどやってなかった。なので大人側もどれが仮病でどれがマジのやつか分からず、結果的に全部休ませるという事態に陥っていた。
中学生になり、帰宅部がなかった上に母がバレー部への入部を強く勧めてきたが、反抗期なので「絶対入らねー!!」と言ってテニス部に入った。ほぼ帰宅部の茶道部に入ると言ったらめちゃくちゃに怒られたので苦肉の策だった。テニス部でも虚弱を大発揮して練習にはほぼ行けず、やっと練習に参加できたと思ったら怪我をして全治3か月~半年。ほぼ幽霊部員だった。それに加えて完治後も「また怪我したら嫌だし私がいる意味別にないし、練習キツいから休んじゃお~!」と普通に休んでいた。文化部の友達と夕方の教室の窓から部活をしている皆を見て「頑張ってんなあ~!」と見下ろしていた。ひどい奴だな。
私が運動との向き合い方を変えたのは高校入学後だった。
部活に入らずバイトをする予定だったので、友達が入る部活を付き添いで一緒に見て回った。突然、傘の先端に段ボールの看板をガムテープで固定したもので顔をぶったたかれ、びっくりしてゲラゲラと笑っていたらあれよあれよという間に入部していた。よりによってソフトボール部だった。
友達はプレイヤーとしてそのまま練習に参加しており、私はマネージャーでボールを拭いたりスコアをつける予定だったのだが、顧問に「ちょっとボール投げてみ」「ちょっとグローブ着けてみ」「ちょっとバット持ってみ」「ユニフォーム着てみ」と気づいたら試合に出てました。野球のルールすら知らなかったのにびっくりだよ。
ま~~あ練習がめちゃくちゃにきつかった。信じられないほどきつかった。口の中が血とゲロの味でめちゃくちゃになったこともあった。
運動から必死で逃げていた自分がこんなにも体を酷使するようになるとは思ってもみなかった。というのも試合に出場するようになり、競技における勝敗の重要性や自分の弱さを突き付けられる事を繰り返していくうちに、運動におけるモチベーションや見方が信じられないほどに変化したのだ。"運動は自己の満足のためのもの"というスイッチが入った瞬間、自分と運動との距離感が一気に近くなった。
虚弱体質でスポーツテストすら欠席。やってもD判定だった私が、3年連続A判定だとか、〇m走的な種目で上位をキープしたり、はたまたクラスの体育委員をやるなんて想像ができただろうか。マラソン大会で「一生懸命走ったら疲れちゃうもーーーん!」と言っていた私はいったいどこへ。こうやって思い出している今でも驚く。
ちなみに高校のクロスカントリーは2年連続で怪我して参加してません。そういうところは昔のままだった。えへへ。
あと今思い出したけど、幼稚園のマラソン大会も骨折して休んだことがある。私ってばよ・・・。
そんなこんなで運動がすごく好きになったんですよ。体を動かして得る達成感や気持ちよさは多分他のものでは得られない。ものすごく辛いししんどいし超苦しいけど、そこを乗り越えた瞬間の気持ちよさは何にも代えがたい。
苦しいことを楽しいことにするのって多分大変だし、向き不向きが絶対にあるので強要する気は全くないが、こういう変化を遂げる人間がいるということも知っていて欲しい。
何の話だっけ?明日もジムに行くぞ~。
おしまい。
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