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違和感と共存するのむずい-20200928

先日ワンピースを着た際にペチコートを履いた。レースのペチコート。特にこだわりはなく、見えたら困るし安かったからという理由で買ったと思う。
それを畳んでいたら母に「最近男みたいな服しか着てないからそういうピラピラしたやつたまには着てくれないと困るよ。」と言われて心底気分が悪くなった。母に悪気はないのだろうが、私はめちゃくちゃに気分が悪い。

昔からなのだが、女性性を感じるようなものを強要されることに対して非常に気持ちが悪いと感じる。気分が悪い。それは同性からだろうが異性からだろうが同じことで、「生まれ持った性別に合ったものを纏うべき」というルールが本当に理解できない。
物心ついたばかりの頃はピンクがイメージカラーになっているキャラクターが好きだったのを覚えている。母も「小さいときはすごく女の子らしかった」と言っていた。これも充分気持ち悪い発言になるのだが。

育っていく過程で「ピンクは女、ブルーは男」という概念を覚えさせられる。こういった概念を持つ物が非常に居心地が悪くて、何かを手にする際にピンクやレースの物を選ばなくなった。本当に心の底から気持ち悪かったことをよく覚えている。
歳を重ねて衣服を纏うことの楽しさを覚えても尚、しばらくは体のラインが出る服やスカートが苦手だった。今でも無理な時は無理だが。
勿論「今日はスカートを履きたいな」という気持ちは普通に湧いてくるので、スカートもワンピースも着る。だがその時に向いているのは他者への意識ではなく自己への意識なのだ。女性らしく見られたいからワンピースを着るのではない。今自分がそれを着たい気分だから着るだけ。そこに女性性を絡められた瞬間に一気に気分が悪くなる。
別に私は異性に気に入られたくて服を選んでいるわけではない。自分が好きで且つ自分に似合うと思って服を選んでいるだけなのに。

「今日は好きな人と会うしおしゃれしたい、かわいい服を着たい」という気持ちは湧いてくる。私の性対象は男性なので、これは異性(男性)に対してのアプローチになるわけだし、前述の「異性に気に入られたくて服を選んでいるわけではない。」とは矛盾するのだが、それとこれとは別であると考える。
ただ単に「自分に似合っていてその時の気分にも合っているかわいい服を着たい」という私の自由な意思から派生し、特定の対象者に向けたアクションである。
私が違和感を覚えるのは「社会に属する人間としての自己の性への強要」という話。

髪の長さを男性に指摘されることがある。「俺より短いんじゃない?」と。
私からすると「は?だから何?」なのだ。あなたより短かったところで何?私が良いと思ってるんだからから良くないですか?という気持ちしか湧いてこない。
その気持ちを押さえて「ははは」と笑うしかないだなんて0から100まで全然意味が分からない。
全ての事柄が異性に好意を抱かれるため、社会的な性別基準にに準じるために自由を失うのは誰の何のためだろうか。私の体は社会の所有物ではないのにな。

朝、ここ最近で一番気候が良かった。自転車が気持ち良い。
会社のUSENが突然レベッカ流してきてテンション上がった。今まで80年代の洋POPSだったのに。

おしまい。

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