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コンビニのトルティーヤ-20200819

全然活力が湧かない。
これが伝染病の症状だと言われたら納得できるくらい体がだるい。
夏バテか軽度の熱中症だと思うけど、食事が困る。

空腹にはなるから何かを食べようという気にはなるのだが、食べたい気持ちに全くならないのでお弁当作りをさぼっている。
何を言っているかわからないだろうけど、本当にそのままなんです。

照り付ける太陽に体力をじりじりと奪われながら、昼休みにコンビニへ向かう。
コンビニで済ませるときは大体サラダとヨーグルト。気が向くとパスタにするのだが今日はどれも食べたくない。
今日はサラダじゃ足りない気がする。でもパスタは重たい。そばもうどんも冷やし中華も気分じゃない。パンやおにぎり、サンドウィッチもしっくりこない。
お弁当コーナーを行ったり来たり。

結局そこそこの食べ応えと野菜への欲を満たしてくれそうなトルティーヤを買った。でも何かよくわからなかった。
食べていてもずっとよくわからなかった。何がわからないのかもわからないけどずっと訳が分からなくて、すごく疲れた。

私以外の誰がコンビニでトルティーヤを買うんだろうとか、そもそもトルティーヤを買う人の感情って何?とか、とずっと考えたりした。
どれだけ考えても本当に全然よくわからない。
異常な疲労感を得た上にトルティーヤの事で頭がいっぱいなのも何だか癪で、今日のお昼は素直にインドカレーにすべきだったと肩を落とした。
お腹はいっぱいになった。

トルティーヤが嫌いとかそういうのではなく、コンビニでご飯を買う時の選択肢としてトルティーヤがあることがわけがわからないなと思った。
私にとって身近ではないだけなんだろうか。皆にとってはままあることなんだろうか。誰か教えてくれ。やっぱいいです。


日が落ちてから一度家に帰る。
車を家に置き、自転車で職場へ向かう。少し元気が出る。
暑さにやられているのだなとようやく理解する。


人とご飯を食べながら、可視化した信頼の話をしたことがあるだろうか。
こういう話は面白いからできることならもっとしたい。
あんなに消え失せていた食欲も夜はしっかり湧いたし、人の作るご飯は今日も美味しくて幸せだった。
むちむちのぶどう。


その人とだったから起こった奇跡を大切にしたい。
私とその人だったからこそイレギュラーなイベントが発生したという偶然性に内包された必然性。
そういうものひとつひとつ忘れたくないな。
私を苦しめる原因でもあるのだけど、それでもあんまり忘れていきたくない。


誰にも見られていないであろうという前提でこの日記を書いているのでさらっと話を出されると肝が冷える。褒められるのはとても嬉しいので何食わぬ顔で対応するが、本当はびっくりしてヒュッと息を吸い込んでいます。

このぐらいの中途半端さがちょうどいいなと思う。
私は私で見られていない前提でどうでもいいことを書ける、面白がって見る人は見たらいいと思う。それだけです。



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