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夏のおもいで

さとう りょう作

  明日お墓参り、付いてこられる? 予定なければ。
 スマホのバイブレーションの音とともに、画面に表示されたメッセージを確認する。送り主は父。久しくやり取りをしていなかったくことを反省しながら、これはデートのお誘いのような文章だと一瞬考えたりもしたが、ご先祖様への後ろめたさと、父への少しの気まずさを感じたため、ふざけた考えを頭の中からかき消した。
 私の地元は神戸にある。中心地から離れた住宅街の一角に私の住む家がある。大学を卒業し、就職してから二年経ったが、現在も実家暮らしを続けている。父は私の小さい頃から転勤が多く、中学生に上がるまでは家族みんなで全国各地に移り住んでいた。現在は父が単身で東北に住んでいるが、お盆休みの期間に合わせて帰ってきているのだ。
 私は迷うことなく、父からの提案に乗った。ご飯をご馳走してもらうという一つの目的と「ミニ」親孝行をする、という隠れたもう一つの目的を遂行するためだ。親孝行といっても、実際にものをプレゼントするということではない。一緒に時間を過ごすというプレゼントをこっそり渡そうと考えたのだ。
 墓地までは高速道路を使い、一時間半かけて向かう。父の実家近くにあるのだが、二年前に祖母が亡くなり、祖父も介護施設で暮らしているから一年ほど前に更地となってしまった。その場所を見に行くことは、出発前に父からは伝えられていた。しかし、私にとっては現実を受け入れる覚悟が足りないような気がして、あまり乗り気になれなかった。
 父の実家は、父が生まれた時からある日本家屋の立派な建物だ。私が生まれる時に里帰りをしていたこともあり、私にとっても思い入れのある場所だ。住んでいたのは生まれて二ヶ月経つまでの間だけだったが、年に一度は遊びに行っていた。父の方が強い思い入れがあったに違いない。本心を聞くことはなかったが、手放すと決めた時にはもう気持ちの区切りがついていたのだろう。
法定速度ギリギリを攻めた父の運転を久しぶりに体感して、懐かしさと少しの恐怖感がありながらもドライブを満喫した。

高速道路を降りると、田んぼが広がっている。父の生まれ育った田舎町だ。まずは一番の目的を果たすべく、墓地へと向かった。墓地に着き、車を降りて辺りを見回すと、変わらない景色に安心した。墓石のある場所まで迷わずに行くことができた自分自身にも安心した。小さい頃からやっているように、今にも壊れそうな蛇口をそっとひねって手桶に水を入れる。そこから柄杓に掬った水を石にかけ、汚れを流してあげる。タオルで拭きあげている時、先祖の名に連なって彫られた祖母の名を見て、すこし寂しい気持ちになったが、優しい祖母は天界でも愛されているだろうと想像するだけで、なんとも言えない幸福感を得た。
墓石を磨き上げた後、花立てにお花を入れる。香炉に線香を立て、父と二人で手を合わせた。お墓参りのマナーや作法に疎い私はテレビ受け売りの神社の参拝方法に倣って、住所と名前を心の中で名乗り、ご先祖様への感謝を伝えた。正しいという自信は持てない。もしかすると、優しい祖母でも「社会人にもなって」と呆れているかもしれない。しかし、大事なのは想う心だろうと言い聞かせて墓地をあとにした。

お墓参りを済ませ昼食を食べるべく、近くの定食屋へと向かった。昼時を過ぎていたからか、店は空きはじめており個室に通された。私は天麩羅定食、父は焼魚定食を頼んだ。久々の父娘の時間で盛り上がるのは野球の話題だった。昔はよく二人で球場に行って観戦していたのだが、その機会は減ってしまった。それでも毎日のニュース番組のスポーツコーナーだけは欠かさずに見ているから、話題のずれはほとんどない。私が大人になるにつれて父の熱に合わせられるようになっていったのかもしれない。父は、特に高校野球の試合を追うことが好きで、例えば県大会に繋がる地区予選の結果まで把握している。結果だけでなく有望な選手をチェックしていることもある。決してプロ野球チームのスカウトマンというわけではなく、それが父の野球の楽しみ方のひとつなのである。
ガラガラと戸を開ける音がした。大きなお盆にたくさんの器がのせられている。食べきれるかなと少し不安になった時、
「食べきれないなら、早めにちょうだい」
と父は当たり前のように言った。
小さい頃の私は、食わず嫌いを拗らせていた。体の大きな父はいつも私が食べきれなかった分を食べてくれていた。父の一言に、変わらない優しさを感じて、じんわりと心が温かくなった。
やはり私には食べきれる量ではなく、結局父の助けを借りて食べ終えた。
「ちょっとタバコ吸ってくるから、お金だけ渡しとく。あ、お母さんには内緒ね。」
父の言葉に黙って頷くことしかできなかった。それは父が愛煙者ではないと思っていたからだ。
私は、父が昔は煙草を吸っていたこと、私が生まれる前にやめていたことを母から聞かされていたから、「煙草を吸わないお父さん」しか知らなかった。だから大きな衝撃を受けてしまったのだ。
母にも言わず再び煙草を吸うようになった父。離れて暮らす期間が長い分、気づけなかったが、父の心には寂しさが募っていたのかもしれない。ひとりで家を支えてくれている父には大きな負担がかかっていたに違いない。とても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そんなことを、お手洗いで考えていた。そろそろ一服できただろう。煙草を吸う父の姿を目にする勇気はまだないから、時間を潰した。

帰りの車では、疲れがどっと来たのか、すぐに眠りについてしまった。
たとえ時間がかかっても、変わっていくことを受け入れられるほうがいい。私が見てきたその人のすべてが変わってしまうわけではない。
夢の中で、元気な祖父母と家族みんなで行った箱根旅行を思い出した。

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