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【自分史】混乱の始まり

祖父の入院


2016年の7月、祖父が入院した。

電話越しの、祖父の声が息切れして
呼吸が苦しそうだった。

指摘すると、「血が出てん」と
喀血があったことを祖父から聞き、
祖父と同居している母に、
「すぐ病院連れてって!」と伝え
受診させたところ、そのまま入院になった。


その日、祖父の病室に駆けつけた。
鼻にカニューレという、酸素を取り込む管をつけていた。


「さとが病院行けって言ってくれて、
おじいちゃん命拾いしたわ」

病院に着いてからお腹が空いて、
おにぎりを2つも食べたと言って笑っていた。


病室に入ってきた看護師に
「あんた何年目や?」と祖父は聞いた

「5年目です」と看護師が答えると
「さとと一緒やな」とわたしの方を見て
にやりと笑った。


「看護師なんですか?」と聞かれたので
家族の情報として共有されてカルテに
書かれるんだろうなと思いながら
「助産師なんです」と答えた。


看護師が去った後、祖父は
わたしに向かってなぜか
若い頃の自分がいかにして
お金を稼いできたかという話をした。

なぜ急にそんな話をするのかと思いながら、
わたしは病室の窓の外を眺めて、
ふーん、と聞いていた。


祖父はトイレに行こうとした。
よろよろと立ち上がり足がおぼつかなかった。

ふと指先についた酸素飽和度を測る
モニターを見ると70%台だった。

元気な人なら100%近いのが正常だ。

尿量を測る計測用のカップを渡した。
用を足し終わった祖父は「取れへんかったわ」と
よたよたベッドまで戻った。

すぐにカニューレを鼻に当て、
酸素をかげるようにした。


祖父は年を重ねてから何度か気胸という、
肺に穴があく病気を繰り返していた。


だから、今回もどうせそれで、
しばらくしたら退院するんだろうと思っていた。


おじさんとの出会い


その週末、韓国の友人たちが
東京に来るということで、
新幹線で会いに行った。

19歳の時カナダのバンクーバーで知り合い
よく飲み歩いた留学仲間だった。
(カナダでの飲酒は19歳から合法だった)

数年振りの再会で食事を楽しみ、
〆のラーメン屋にまでしっかり同行して、
それぞれ帰路についた。

わたしは予約していた赤坂のホテルに
チェックインした。

飲み足りなかった。

ホテルの裏の路地を抜けてフラフラと
近くのカウンターのある飲み屋に入った。

そこで飲んでいたら、斜向かいに
ボーダーのTシャツをきたおじさんが座った。

カウンターのお兄さんと話をしていたら、
そのおじさんも会話に混じってくるようになった。

若い女が一人でウイスキーを、それもロックで
流し込んでいたのが面白かったらしい。

おじさんと話が盛り上がり始めると
カウンターのお兄さんは
「うちはナンパ禁止なんで」と言った。

わたしもおじさんもお兄さんの言葉に
首を傾げて、それなら六本木行く?と
タクシーで六本木のダーツバーに流れた。

そこでベロベロに酔っ払いながらダーツを投げた。
何を話したかはろくに覚えていないけど、
全然刺さらなかったことは覚えている。


多分おじさんのこれまでの話を色々と聞いたと思う。

若かった頃、海外で暮らしたこと。
一度結婚して、離婚したこと。
今月50歳になったこと。

朝、タクシーでホテルまで送り届けてくれ、
酔っ払ったままカフェでコーヒーを飲んだ。

江ノ島に行きたいという話をしたような気がする。

大阪に遊びに行くわというので、また飲もうと言って
連絡先を交換して別れた。

それが混乱の始まりだった。


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