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母と私

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母との関係や母について思ってことを書いてく。毒多め。
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備忘録 母が病気になりました

備忘録 母が病気になりました

母とはそりがあわず、実家に帰るたびにささいなことで喧嘩をしてしまうので、片道2時間かかるのに、帰郷するときは泊まりではなく日帰りにするほどの関係だ。滞在時間は短ければ短いほど喧嘩する要因を作らなくて済む。喧嘩の要因は母のいちゃもんで、それに私が我慢できずにブチ切れる、というのがいつもの流れだ。そんな母のことは嫌いではない、と自分に言い聞かせている。だって育ててくれたのだから。その恩はわすれちゃいけ

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備忘録 母の病気で思った最低なこと

備忘録 母の病気で思った最低なこと

ここには、母が病気になったと聞いて思ってしまった最低なことを書いておこうと思う。父は70代後半の高齢、母は50代後半で結構な年の差がある。父は話の通じる好々爺という風体なのだが、母は話の通じない頑固な人だ。おまけに、精神的に少しおかしなところもあり幻聴や幻覚があると、それを信じて他人を攻撃してしまう。思えば私は、母と一緒にいることが苦痛であることのほうが多かったように思う。そんな母と暮らせるのは父

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備忘録 母との確執について《後編》

備忘録 母との確執について《後編》

そう、甘かったのだ。私自身の考え方を変えようと努力しても、その努力を上回って精神の安寧を侵してくるのが母親だった。それを最近思い知った。

それは私の結婚式に対してのことだった。

3兄弟の中で、私と妹が既婚だ。妹のほうが先に結婚していて、結婚式も開いた。家族や友人、職場の人たちも呼ぶ50人~100人規模くらいの結婚式だった。とても良い式だった。妹は結婚式をしたくてやった。母親は大満足だった。

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備忘録 母との確執について《前編》

備忘録 母との確執について《前編》

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

カナダの精神科医エリック・バーンの有名な言葉だ。私はこの言葉が大好きだ。これを知ってからは生き方が楽になった。何かから解放された。昔より、少しはマシな人間になれたと思う。

この言葉を知るまでの自分は、とても愚かな生き物だった。他人を変えたくて、でも変えることができなくて、イラついて、悔しくて泣いた。過去の汚点を反芻して、勝手に悲しくなって

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